あべ静江、71歳来月50周年 「みずいろの手紙」悔し涙で大ヒット「嫌いな曲」から「大事な曲」に

スポーツ報知
5月にデビュー50周年を迎えるあべ静江(カメラ・小泉 洋樹)

 ヒット曲「みずいろの手紙」(1973年)で知られる歌手・あべ静江(71)が、5月にデビュー50周年を迎える。昨年3月に軽度の脳梗塞(こうそく)を発症したが、2か月後にステージ復帰。手足のまひ、言語の障がいも残らず、元気な歌声を響かせている。このほど取材に応じ、ヒット曲にまつわるエピソード、現在の健康状態などを語った。(加茂 伸太郎)

 リハビリ期間中、診察室でカルテに目をやると、年齢欄には「71」という数字。「嫌だ、先生違っているじゃない…」。年齢の書き間違えを指摘しようとするが、思いとどまった。「(計算し直すと)合っている(笑い)。自分が70代と思っていないから驚くわけ。立派な年齢なんだって。気をつけていても体の不調が起こりうる世代。でも、元気なためにその自覚がないのよ」

 昨年3月に軽度の脳梗塞を発症した。3週間の入院、1か月間のリハビリを経て、2か月後の5月にステージ復帰。心配された手足のまひ、言語の障がいも残らず、冗談が言えるまでに回復した。現在も定期的に通院し、小まめに健康状態をチェックしている。

 「当日のことは覚えていないことが多い。断片的に写真のように覚えていて、(映像では)流れていない。その日、仕事があったのが不幸中の幸い。早期発見が(早期の)復帰につながったので感謝しています」

 1973年5月にシングル「コーヒーショップで」でデビューした。大病を乗り越えての50周年に、喜びもひとしお。「思い返せばアッという間です。続けて来られた理由? あまり深く考えないことかな」

 半世紀の音楽活動で、ヒット曲「みずいろの手紙」(73年9月)の思い出は尽きない。作詞・阿久悠さん、作曲・三木たかしさんの黄金コンビによる作品だが、強烈な嫌悪感に襲われていた。

 「私が嫌いなタイプ、男性にこびるような弱々しいイメージの女性像が描かれていたの。オノ・ヨーコさんが『女性上位万歳』という曲を出して、時代が変わっていた頃。同性の方にもケチョンケチョンに言われるし、ずっと嫌でした」

 レコーディング当日も自宅に閉じこもって“ストライキ”した。泣き声がそのまま収録されたほどだ。「絶対に行かないって抵抗したけど、スタッフが合鍵を持っていたから、最後は引っ張り出されて。レコーディング中も悔しくて泣いているの。それなのに(会えない寂しさの涙として)曲の世界観にピッタリの雰囲気になってしまって…」と苦笑い。「結果、それがヒットにつながるんだから。人生って不思議。面白いですね」

 歌唱を避けていた時期もあったが、あるコンサートで「みずいろの手紙」を披露した際、最前列で涙を流す女性の姿が目に入った。その光景にハッとさせられた。「発売後は聴いてくださる皆さんのもの、それぞれの思い出とつながっているんだって。私はこの曲を、自分のものとしてしか見ていなかった。何て驕(おご)った考え方かしらって恥じたわ。嫌いな曲が、今は大事な曲に。これからも大切に歌っていきます」

 必要とされる限り、これからも心を込めて歌い継いでいく。

 ◆来月、故郷・三重で記念コンサート

 〇…あべは、5月20日に故郷の三重・松阪市で50周年記念コンサート(農業屋コミュニティ文化センター)を行う。「考えてみたら病み上がりですから。『ゆっくりと自分のペースで楽にやりましょう』がテーマ。できる限り務めさせていただくので、ぜひ会いに来てください。ゆったりと過ごしましょう」と話した。

 ◆あべ静江(あべ・しずえ)本名・阿部静江。1951年11月28日、三重県出身。71歳。東海学園女子大学国文科中退。「フリージアの香り」のキャッチコピーで、73年デビュー。同年日本レコード大賞新人賞。74年NHK紅白歌合戦初出場。ドラマ「真夜中のあいさつ」「青春ド真中!」に出演。みえの国観光大使、松阪市ブランド大使。血液型A。

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