「笑っていいとも!」32年の歴史に幕 平日正午アルタ前 人 人 人~スポーツ報知カメラマンが見た瞬間の記憶~

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最終回を迎えたフジ系「笑っていいとも!」が行われるスタジオアルタ前に集まった人たち(カメラ・軍司 敦史)2014年3月31日撮影

◆2014年3月31日、フジテレビ系「笑っていいとも!」最後の放送(軍司敦史カメラマン)

 平日正午過ぎのJR新宿駅東口、通称・アルタ前広場が、人、人、人で埋めつくされた。見つめているのは、アルタビジョンに投影されたタモリ司会のフジテレビ系バラエティー番組「笑っていいとも!」。この日、単独司会者による生番組として世界記録を更新し続けていた国民的番組が、32年の歴史を終えた。

 一帯には、通りがかりも含め約1万人が集まったそうだ。視聴率にすると0・01%に満たない数だが、一番組に対するファンがこれだけ可視化された場面を他に見たことがない。それぞれが思い出に浸りながら、最後は「いいとも!」とシャウト。一時代の終わりを惜しんでいた。

 1988年4月には27・9%(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録したが、この頃は5%台に落ち込むこともあって下された決断。それでもこの日は、ビートたけしが「テレフォンショッキング」で登場するなど盛りだくさんで平均16・3%、舞台をお台場に移して放送された夜の特番は、この年の箱根駅伝中継を上回る瞬間最高33・4%と、底力を見せつけた。

 番組の打ち切りを前に、「いいとも!」でブレイクした懐かしい人を訪ね歩いた。直木賞作家の志茂田景樹さんは「ばかばかしさで自分を解放し、精神的にバランスが取れていました」、野村沙知代さん=写真左=は「本当は、有名になるのも、テレビに出るのも好きではなかったのよ。好きなように見えたでしょうけど、夫を支えるので必死だった」。所持金100ドルでイランから来日、米国の通販番組を模した口パク芸で有名になり、実業家になっていたミスターマッスルさんは、迷うことなく「私の人生を変えた」と感謝していた。

 翌日の同じ時間にもアルタ前に行ってみた。前日のにぎわいが夢だったかのように、日常を取り戻していた。

 【2014年4月1日付紙面より】

 タレントのタモリ(68)が司会を務めるフジテレビ系のバラエティー番組「笑っていいとも!」が、31日の放送で1982年10月から続く32年の歴史を終えた。最終回の「テレフォンショッキング」のゲストとなったビートたけし(67)は、タモリに向け「表彰状」を読み上げ、強烈なブラックユーモアを連発。明石家さんま(58)も電話で登場し、かつて「ビッグ3」と呼ばれた大物の“競演”となった。放送回数8054回は、単独司会者の生番組のギネス世界記録に認定された。(年齢や肩書は当時)

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