日テレ・中島芽生アナ、10年目の決意「被爆者の体験伝承したい」 藤井キャスターへの感謝といつも心に宝塚

スポーツ報知
落ち着いた進行と安定したアナウンス力には定評がある日本テレビ・中島芽生アナウンサー(カメラ・佐々木 清勝)

 日本テレビ・中島芽生アナウンサー(32)は入社10年目を迎えた。2年目から継続してニュース番組「news every.」(月~金曜・後3時50分)のキャスターを務め、落ち着いた進行と、安定したアナウンス力には定評がある。その一方で、宝塚歌劇団好きが高じて、番組を企画。昨年12月からCSの日テレNEWS24で「アプレジェンヌ ~日テレ大劇場へようこそ~」をスタートさせた。中島アナの仕事への向き合い方、転機になった出来事などを聞いた。(高柳 義人)

 アナウンサーを志した時の気持ちを忘れていない。「難しいニュースを分かりやすく伝えたい」。中島芽生アナは報道志望で入社し2年目から「news every.」のキャスターを務めている。「年を重ねて、より仕事が楽しいと感じるようになりました」とほほ笑んだ。

 大事にしているのは“2つの想像力”だ。「伝える内容を想像する、伝える相手を想像するの2つです。ただの情報として伝えるのではなく、一つ一つ心を通して伝えたい。(視聴者も)ご飯を食べたり、料理をしながら聞いている人もいると思うので、ゆっくりと言葉を選びます。例えば『台風が“サイセッキン”する』は、最も接近するのか、再び接近するのか。わかりやすさを追求しています」

 メインキャスターの藤井貴彦アナ(50)からは丁寧な指導を受けた。「藤井さんはすごくて、一人一人に的確なアドバイスをくださります。(それぞれに)オリジナルのテキストを作ってくださって…」。オンエア中でも一言一句に指導が入る。泣きそうになったこともある。「言われた厳しさではなくて、できない自分が悔しくて」。だが、優しいフォローもあった。藤井アナは「無礼講で言いたいことを言おう」と毎月、食事会に誘ってくれた。コロナ禍となり開催できていないが、心を開いて、語り合うことで“チーム力”を高めていった。

 藤井アナは、研修中にもアドバイスをくれた。「高い声だとニュースを伝える信頼感が出てこないから、もっと低い声で」と言われ、実践できず悩む中島アナに、藤井アナは「宝塚が好きなんでしょ。男役のマネしてやってみなよ」。その言葉が道しるべになった。「そこで練習していくうちに、段々低い声が出るようになって自分の声の幅が広がるようになりました」

 今でも愛してやまない宝塚との出会いは中学2年の時だった。友人から勧められ「花組 エリザベート」のDVDを鑑賞し、「ここに絶対入る」と決意した。中学3年から高校3年まで4度、宝塚音楽学校を受験したが、不合格だった。

 挫折とともに新たな夢を模索した時に浮かんだのがアナウンサーだった。高校時代にアナウンスコンクールで優勝。宝塚の受験願書を埋めるために始めた活動で充実感を得ていた。子供の頃に家族団らんでニュース番組を見て、いろいろと話し合うのが日課。「分からないことが分かっていくのがうれしかった」。その伝え手になることを選んだ。

 昨年12月からは元タカラジェンヌと対談する日テレNEWS24「アプレジェンヌ」を始めた。自ら企画書を書き、実現にこぎ着けた。今年の元日の「シューイチ」で、プロデューサーの要望で、宝塚の名作「ベルサイユのばら」のオスカルに扮(ふん)し、ヘリコプターに乗り、富士山から中継をした。「BGMをどの曲にするか、どういう言葉で表現するか、考えて楽しかったです」。自分の強みを生かした、やりがいを感じた。

 今後やりたいことを聞くと、凜(りん)とした表情で「テーマがあって、防災と戦争と宝塚です」と答えが返ってきた。「防災」は震災報道。中島アナは東日本大震災後の入社で、先輩の矢島学アナ(50)が局内で企画した防災報道研修に参加。「命を守る報道を、しっかりと継承しなければいけない」と自覚している。

 「戦争」は語り部として伝えること。母方の祖父は太平洋戦争末期、広島で被爆。中島アナは被爆3世になる。被爆者の体験を後生に伝えるために、19年に広島市の被爆体験伝承者資格の研修に参加した。コロナ禍で一時中断しているが、「アナウンサーとしてやらなきゃいけないことだと思っています」と言う。

 そして「宝塚」。「交流できるリアルなイベントをやりたいです」と今後のプランを明かした。

 大好きな宝塚に例えて、自らの役割を語る。「トップスターで真ん中じゃなくてもできる役割がある。舞台の端っこでライトが当たらなくても一生懸命やっていて、それを絶対見ている人がいる。この人がいるから舞台がなりたつ。いい脇役になれたなら…」。静かで芯の強い言葉が響いた。

 ◆中島 芽生(なかじま・めい)

 ▽生まれと経歴 1990年4月、大阪市生まれ。32歳。大阪教育大学付属高校平野校舎から慶応大法学部法律学科に進む。卒業後の2013年に日本テレビ入社。18年2月に大学時代の1年先輩の男性と結婚。身長161センチ、血液型AB。

 ▽ゴルフとサウナに魅了 コロナ禍で夫と一緒にできる趣味として、ゴルフとサウナを始めた。今年4月のコースデビューは「オマケのオマケで130」。「ゴルフとアナウンスの技術は似ています。クラブ選びと、声のトーンや表現の引き出しから、1番いいものを探していくところや再現性が大事なところも…」。サウナは週1ペース。

 ▽左利き ゴルフも、書道も左利き。「『every.』には左利きが多くて、藤井さん、鈴江(奈々)さん、(関西学院大客員教授に転身した)小西(美穂)さんも左利きなんです」。また水卜麻美アナ、後藤晴菜アナ、笹崎里菜アナも左利きだという。

 ▽落語もできます! 日本テレビへの内定後、日テレ学院・麹町落語塾で学ぶ。三遊亭とん馬の指導を受け「麹家する芽」の高座名をもらい、「片棒」「壺算」を教わる。

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