小椋佳、音楽活動“引退” 14億円でリハーサルスタジオを建設中「最後の仕事かな」…インタビュー後編

スポーツ報知
インタビューに応じる小椋佳

 「シクラメンのかほり」「愛燦燦」「夢芝居」など2000曲以上を生み出し、300人超のアーティストに楽曲を提供してきたシンガー・ソングライターの小椋佳(78)が現在開催中のファイナルコンサートツアー「余生、もういいかい」をもって音楽活動から“引退”する。銀行員と歌手を両立しながら、道なき道を切り開いてきた“元祖・二刀流”は、いま何を思うのか。(高橋 誠司、増田 寛)

 ◆インタビュー後編

 銀行員として多忙を極める中、週末や仕事の合間を縫って曲を紡ぎ続けた。「いつでも出来ましたね。曲はどんどん湧いてきたけど、大阪出張というのがとても調子が良くてね。東京から新幹線で3時間。往路で詞を書いて、復路でメロディー乗せれば完成。銀行の先輩が宝塚で結婚式をするとなって新幹線の中で作ったのが『六月の雨』とか、いっぱい曲を作った。今はもう才能が枯渇し、過去に作ったようなのばかりだね」

 浜松支店長や本店財務部サービス部長などを歴任し、出世の道も開かれていたが、49歳で銀行を去った。「要するに見終わったっていうことですね。組織内存在から見える世の中は、やっぱりかわいそうでした。人より評価されたいとか。みんなおかしくなっていくし、個を失っていく。組織の怖さですね。だけど、歌をやっていたから僕はのみ込まれなかった。歌が、いつも組織から一歩離れた場所に置いてくれた。自分を持ち続けるということができた。人間にいつも立ち返れたんです」

 自我を保ち続けられた音楽の原点は、かつて薩摩琵琶の師範だった父の琵琶の音。「父親の琵琶語りが幼い耳に入って。幼心に、オヤジの声はいい声だなと思いましたね」。中学2年の時から日記を付け、作詞にのめり込むきっかけとなったのは、高校2年の時に出会った現代文の先生だった。

 「僕だけ残して、本の精読の方法を徹底的に仕込んでくれた。それで、言葉のドロ沼にはまって悩み、頭がおかしくなって、発作が起きるようにもなった。当時は恨みに思ったけど、先生のおかげで“小椋佳”が形成されましたね」

 67年に結婚した愛妻の佳穂里(かほり)さんとは約20年前から別居している。胃がんの手術をした直後のひらめきだった。「ずっと人の世話になって生きてきたから、僕の生活は地に足がついてない。自活してみようと思ったんです。家内はビックリして、最初は泣かれましたけどね。食事も最初は自分で作ったけど、だんだんずぼらになって、デパ地下通いから、今は家内が毎日2食届けてくれます。週末は自宅で一緒に過ごしていて、家内も今が一番いいと言ってます」

 ツアー引退後の大きな夢がある。現在の事務所のある東京・代々木に14億円をかけてリハーサルスタジオを建設中だ。「来年5月ぐらいには出来ます。意外とリハーサルのスタジオ代って高くてね。舞台芸術を作る人の基地を提供したいと思った。また貧乏に逆戻りだけど。これが僕の最後の仕事かな」。スタジオ内には、100人ほどが入れる小さなライブハウスも計画している。

 「生き延びたら『小椋佳の四季報』というライブを年に4回やろうかなと思って、今さらながら、ピアノのレッスンも始めました。アメリカ留学中、バーで名も知らぬ黒人がいきなりピアノで弾き語るんです。これが格好良くてね。やってみたくなったけど、全く進歩しない。楽器全般が苦手だからね」。事務所のビルの屋上に作った家庭菜園での野菜作りも忙しく「土から芽が出てくるのがかわいくてね」と目尻を下げた。

 すっかり燃え尽きたようなモードで始まったインタビューだが、未来を想像すると話が止まらない。1時間の取材予定は30分もオーバーした。灰皿に4本の吸い殻を残し、部屋を出て行く足取りは仙人のように軽やかだった。

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