笑福亭仁鶴さん、84歳で死去…「どんなんかな~」「まぁ~るくおさめまっせー」全国的人気の上方落語界重鎮

スポーツ報知
2004年11月、インタビュー中に満面の笑みを見せる笑福亭仁鶴さん

 上方落語の重鎮で、関西芸能界の大御所でもあった笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)さんが骨髄異形成症候群のため、17日に大阪府内の自宅で死去した。84歳だった。特別顧問を務める吉本興業が20日、明らかにした。葬儀・告別式は近親者らで行われた。お別れの会は現在のところ予定していないという。

 戦後吉本の「笑い」を支えた大御所が力尽きた。

 関係者によると、最近は仕事はセーブしていたが、16日まで体調に変わりはなかったという。亡くなる2日前に話したという一番弟子の笑福亭仁智(69)は「2時間いろいろなお話をしたばかりなので、びっくりしました」と明かした。

 大阪市生まれの仁鶴さんは高校生の頃から友人とお笑いを研究。卒業後は、ガラス拭き、ブラシの行商、家業の鉄工所を手伝いながら、素人参加のお笑い番組に数多く出演し、腕を磨いた。その才能を見いだされ、1962年、番組で知り合った「上方落語四天王」の一人、6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りした。

 落語家として高座に上がる一方、タレントとしても積極的に活動。深夜ラジオでは、リスナーからのはがきを読む際に発する「どんなんかな~」、「うれしかるかる」などのフレーズがブームに。若者から絶大な人気を博した。

 69年から放送された毎日放送(現MBS)「ヤングおー!おー!」で初代司会者となり、一躍全国区に。「視聴率を5%上げる男」と呼ばれた。ラジオ番組の企画で自ら作詞した「おばちゃんブルース」は、ビル掃除をしながら子育てする母親にエールを送る楽曲で大ヒット。「ボンカレー」のテレビCMでは、当時大人気だった時代劇「子連れ狼」のパロディーで主人公・拝一刀に扮(ふん)した「3分間待つのだぞ」のセリフが流行した。

 「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせー」のナレーションで始まるNHK「バラエティー生活笑百科」の司会は86年から30年以上担当。「相談員」上沼恵美子(66)とのとぼけたやり取りはお茶の間の人気を集めた。

 師匠・松鶴さんが86年に死去。筆頭弟子だったが、「笑福亭」は松竹芸能の看板だったため、吉本所属の仁鶴さんは7代目を継ぐことを固辞した。落語への意欲は70歳を超えても衰えず、なんばグランド花月で披露した「不動坊」は多くの後輩も継承するなど上方落語の代表作と呼ばれた。

 ただ、17年6月に約50年間連れ添った愛妻・隆子さんが亡くなった前後から仕事を休みがちに。2018年10月の吉本主催の京都国際映画祭でのオープニングでのあいさつが最後の公の場で、その後は表舞台から遠ざかっていた。

 ◆骨髄異形成症候群 がんの一種。3種類の血液細胞(赤血球、血小板、白血球)の大もとになる造血幹細胞に異常が起きる病気。症状は赤血球減少による顔色不良、全身けん怠感、動悸、息切れ、血小板減少による皮膚・粘膜の点状出血や鼻血など。1つの病気ではなく、複数の似たような病気の集まりと捉えられているため症候群と呼ぶ。

 ◆笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)1937年1月28日、大阪市生野区生まれ。市立生野工業高卒。落語、演芸、放送、映画など幅広いジャンルで活躍した。舞台「なんばグランド花月」には80歳を超えて出演。テレビ「大阪ほんわかテレビ」、ラジオ「仁鶴の日曜思い出メロディー」など番組多数。大阪市民表彰文化功労賞(94年)、日本放送協会放送文化賞(02年)などを受賞。

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