阿部知代さん「異動の内示日には毎年、スーツを着て準備」…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(11)
会社員にとって避けられない人事異動の瞬間は華やかにテレビ画面を彩るアナウンサーたちにもやってくる。高倍率を勝ち抜き、フジテレビに入社。カメラの前で活躍後、他部署に移り奮闘中の元「ニュースの顔」たちを追う今回の連載。6人目として登場するのは、阿部知代さん(57)。キャスターにとどまらない魅力的な表情の数々でバラエティー番組も彩ってきた阿部さんは今、報道局のキャスター兼デスクで伝え手としての日々を継続。2年後に迫った定年を前に「私からフジテレビを取ったら何も残らない」と言い切る。(構成・中村 健吾)
世界40か国以上を回った「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターに「笑っていいとも!」の「アネゴキャラ」のテレフォンアナ。全盛期のフジテレビのバラエティー番組を元気いっぱいの笑顔で彩ってきた阿部さんだが、入社直後からある悩みを抱えていた。
「当時、フジテレビの女性アナウンサーはかわいらしいタイプの人が多かったんです。パステルトーンのふわっとした洋服を着る人が多い中で、私と言えば、ヘアスタイルは刈り上げで、モノトーンのアバンギャルドな服ばかり。それは浮きますよね」
学生時代から最先端のファッション性を持っていた個性を、フジも持てあます部分があったのだろうか。
「明るく華やかで綺麗、頭脳明晰な人ばかりのアナウンス部に入った時に『ここは私の来る所じゃなかったかも』と思いました。パステルカラーやかわいらしい服は似合わないんです。似合わないものは着たくない。似合わないことはしたくない。入社したばかりのアナウンサーがそんな風に頑なだったら、制作はさぞ使いづらかったと思います。でも、自分を否定もしたくない。アナウンサーになってから、私は『人をうらやましく思う』という感情を意図的に退化させました」
今だから明かせる、こんなエピソードがある。
「20代と30代で1回ずつ、やんわりと異動の打診を受けました。20代で『異動する気はないか?』と言われて、30代では他の部署のトップから『君は、うちに来たらいい仕事ができるんじゃないかと思う』と言われました。いずれも『今、答える必要はないけれど、ちょっと考えてみて』ということで、私も返事はしませんでした」
それ以来、毎年の人事異動の内示日には覚悟して臨んだ。
「30代の打診の後は、いつ異動しても不思議はないと思っていましたから、毎年、内示の日は朝9時半にスーツを着てアナウンス室の自分の席に座っていました。いつ、どこから呼ばれてもいいように。そして、名前を呼ばれることなく内示が終わると『あぁ、またアナウンサーとして1年契約を結んでもらえたな』と思いました」
実は「とにかくアナウンサーになりたい」というタイプではなかった。
「新聞社、出版社などマスコミ志望で上智大の新聞学科に入りました。田丸美寿々さんや楠田枝里子さんなど女性アナウンサーが注目され始めた頃で、テレビや雑誌を見て憧れてはいました。マスコミ志望だったのは毎日同じことをするのは嫌で結婚しても仕事を続けたかったから。報道に携わりたいと考えていました」
だが、入社して待っていたのは“出番待ち”の日々だった。
「本当に仕事がなかった。入社2年目から週2回、夕方のニュースの2分間天気予報を読む以外、ほとんど何もない。当時、決まった仕事がなく朝から夕方までアナウンス室にいる勤務を『暇日勤』と呼んでいて。週半分が『暇日勤』だった時代が長くありました」