木幡美子さん44歳で初異動「アナに異動なしという定説は…」…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(7)

スポーツ報知
44歳で初の異動を経験した木幡美子さんは「アナに異動なしという定説はもうなかったです」と振り返った(カメラ・頓所 美代子)

 会社員にとって避けられない人事異動の瞬間は華やかにテレビ画面を彩るアナウンサーたちにもやってくる。高倍率を勝ち抜き、フジテレビに入社。カメラの前で活躍後、他部署に移り奮闘中の元「ニュースの顔」たちを追う今回の連載。4人目として登場するのは現在、総務局CSR推進部の局次長職兼部長として活躍中の木幡美子さん(54)。凜(りん)とした魅力で長年、ニュースキャスターを務めた木幡さんは今、企業の社会的責任を受け持つCSR部門のトップとして、フジの屋台骨を支えている。(構成・中村 健吾)

 大きな瞳にハキハキとした口調。ニュース番組「FNNスピーク」キャスターなどで活躍した木幡さんにアナウンス室からCSR推進室への異動の内示が出たのが2011年6月のこと。編成局長に呼ばれ、22年間在籍したアナウンス室との別れを告げられた時、44歳になっていた。

 「2001年に出産して1年半、産休をいただいているので、約20年間、アナウンサーとして仕事をしてきました。突然、異動を命じられたので、びっくりしましたし、『えっ!?』って思いましたね。アナウンサー採用ですから、他の部署に異動するという認識はあまり持っていませんでした」

 ただ、異動の兆候は感じ取っていた。

 「アナウンス室もだいぶ人数が増えていて。単純に数の論理で。私の時も同時に5人異動したかな。アナウンサーに異動はないという定説は、その頃にはもうなかったですね」

 アナウンサーとしての自分を冷静に見つめていた。

 「フリーになるなんて全く考えなかったですね。いざ、フジテレビという組織の外に出て、1人でやっていくつもりもないですし、そもそもアナウンサーであり続けたいという意識も私の中にはなかった。もともとゼロから何かを作り上げる方が好きで、アナウンサーとして最後の伝え手になることもすごく大事ですが、それが私にとっていいのかなって。気づくのが遅かったのですが、その前の取材を行う方が私は向いているのかなと…」

 女性アナという存在を客観視する目線もあった。

 「私は(画面に)出るということにおいて、すごく能力があったわけではないんです。アナウンサーの仕事は優劣をつけるのが難しい。噛(か)まないのがいいのか、人柄なのか、見た目なのか、番組でスタジオを回すテクニックなのか。いろいろなことが価値基準としてあると思います。でも、アナウンサーは改編の半年ごとに明日、どうなっているかが分からない仕事。自分でこの番組が好きだから継続したいと思っても、その番組が終わってしまったら続けられない。アナウンサーという仕事はあくまで受け身なんです」

 アナウンサーという仕事に正直、物足りなさを感じたこともあったと明かす。

 「『今日はこの取材、明日はこの現場』という形で、一つのことを積み重ねることが難しかったですね。浅く、広くという感じではなく、私は何か一つのことを丁寧に積み上げていきたいと思った。他の会社で働く友人が(仕事を)積み重ね、蓄積して、それぞれの分野でエキスパートになっていく姿を見てきましたが、その一方でアナウンス技術はある程度の時間をかければ、それなりの域に達しますが、そこからずっと上達し続けるかというと、そうではないと感じました。1回、1回(の放送)で終わって、次にいくという仕事のスタイルが物足りなく感じることもありましたね」

 背景には入社1年目からのフジテレビ愛があった。

 「入社1年目から『なんでもやります』と言ってやってきましたし、基本的に会社が好きなんです。ここで、お役に立てるならという感じ。(帰国子女で)海外に子どもの時にポーンと行ったことがあり、強制的に置かれた場所で『意外と楽しいじゃん』と思う経験が過去にあって。行く前から、そこに行くのが嫌とか、楽しくないのではと思いたくない。行ってみてダメだったら、そこでNOと言えばいい。先入観を持たず、なんでもとりあえず受け入れるという人生観なんです。着ぐるみで番組に出たり、唇だけ出演するバラエティーにだって出ていましたから、私」

 平成元年入社。同期には佐藤里佳さん、田代尚子さん、境鶴丸さん、野島卓さん、智田裕一さんがいた。

 「高校生くらいで『ニュースステーション』の小宮悦子さんや安藤優子さんという女性キャスターに憧れて、雑誌記事などを切り抜いたりして。(元フジの)長野智子さんや河野景子さんが上智大の先輩だったので、伝える仕事、自分から発信していく仕事がしたいと思って志望しました」

 1期上には上智大の1年先輩の河野さんとともに「花の3人娘」と言われた有賀さつきさん、八木亜希子さんがいた。

 「あの3人はスターで、すごかったですね。3人ともすごく忙しく仕事をこなされていましたが、とてもかわいがってくれて、いろいろな所に連れていってもらいました。あこがれであり、お手本でした。こんな忙しいのに、なんでそんなに笑顔でいられるのだろうって。プロ意識がすごく強かったですね。追いつけないし、追い越せないと思いました」

 それでも華やかな環境の中、必死で仕事を覚えた。

 「当時、バブルの絶頂期だったので初仕事は大物歌手の結婚披露宴。テレビ局が芸能人の結婚式を大々的に放映していた時代で、さらにその後のハワイへのハネムーン2週間もリポーターとして同行取材。まだ、アナウンス研修期間中の5月の終わりから行きました。とにかく、がむしゃらに仕事をこなしていく毎日でした」

 そんな激動の日々の中、木幡さんはライフワークとなる社会問題と出会う。

 ※CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)

 (23日配信の後編に続く)

 ◆木幡 美子(こばた・よしこ) 1967年3月3日、東京・中野区生まれ。54歳。89年、上智大外国語学部英語学科卒業後、フジテレビ入社。アナウンサーとして「FNNスピーク」キャスターなどを務め、94年に結婚。2011年、CSRの部署に異動。18年にSDGsをテーマにしたレギュラー番組「フューチャーランナーズ」(水曜・午後10時54分、関東ローカル)を発案し、現在も放送中。内閣府男女共同参画会議・女性に対する暴力に関する専門調査会委員、厚労省臓器移植委員会など政府の審議会委員も多数務める。

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