騒ぐ阪神、勝つのは巨人…阪神に最も勝った男・堀内恒夫氏語る「蘇る伝統の一戦」

スポーツ報知
73年10月22日、甲子園球場で行われた最終戦で巨人がV9を決めたが、怒りのあまりグラウンドになだれ込んだ阪神ファンは、ベンチの王(中央右)ら巨人ナインを襲撃した

 巨人と阪神の伝統の一戦が、あと8試合で通算2000試合を迎える。スポーツ報知では節目の一戦までをカウントダウン。「蘇る伝統の一戦」と題し、思い出を語ってもらった。初回は阪神戦に最も勝った男、巨人OB・堀内恒夫氏(73)。1973年10月22日、甲子園での最終戦などを振り返った。

 現役時代、巨人・阪神戦には“天王山”と呼ばれる試合が何度かあった。でも言っちゃ悪いが、騒いでいるのは阪神の方。巨人は常に「3連敗しなければOK」の状況で戦っていた。9連覇中、阪神は2位が5度。優勝争いして、勝つのはいつも巨人だった。

 そんな両チームが、まなじりを決して戦った試合がある。1973年10月22日の甲子園。勝った方が優勝という最終戦だ。巨人は高橋一三さんが完封。9―0で大勝してV9を決めた。その試合、カズミさんが打球を足に当てたため、私は初回からリリーフの準備をしていた。ところが、カズミさんはスイスイと完封。その瞬間、阪神ファンが巨人ベンチに乱入する騒ぎになった。ブルペンから優勝を見届け、そのままバスに乗り込んでいた私は騒動を後になって知った。巨人・阪神戦というと、いつもその試合が思い浮かぶ。

 48勝29敗。巨人の投手で阪神戦に最も勝った私の成績だ。広い甲子園球場は好きだった。打席からバックネットまで距離があるせいか、捕手が近くに見えて投げやすかった。田淵幸一さんが入団するまでは長打力がある打者も少なかった。一方で先発陣はすごい。村山実さん、江夏豊、バッキー。巨人戦にはその3本柱が投げてきた。試合はいつも僅差。我々先発投手は「先に点をやらなければいい。最後に勝つのは俺たちだ」の信念で投げていた。

 今でも伝説になっているが、江夏とは100勝、150勝をかけて投げ合った。100勝は私が勝ち、150勝は江夏に勝たれた。出始めの頃の完成度は江夏の方が上。右打者の外角低めへ投げ切る制球力で彼の右に出る左腕はいない。最大のライバルだった。

 打者では藤田平との対戦が印象深い。1試合で4打数4安打をされるなど、何を投げても打たれた年があった。翌年、チェンジアップを初球から投げるなど投球スタイルを変えて抑えた。苦手とカモが1年置き。「お互い研究し合う戦い」が楽しかった。

 球界をリードするチームとして、巨人と阪神は今年もいい戦いをしてくれると思う。その伝統の一戦にかかわったOBの1人として、楽しみながら見たい。(スポーツ報知評論家)

◆73年10月22日(甲子園)

巨 人221 120 100=9

阪 神000 000 000=0

(巨)〇高橋一(23勝13敗)―森

(神)●上田(22勝14敗)、権藤、古沢、若生、谷村、鈴木皖―田淵

[本]黒江8号、土井5号2ラン(以上巨)

 史上初めてのリーグ優勝をかけた両チーム最終戦決戦。20勝投手同士が先発したが、巨人が序盤から上田に襲いかかり2回途中KO。その後も着々と加点し、高橋一が4安打完封した。9年ぶりの優勝を期待していた地元の阪神ファンは大敗に怒り、試合終了直後にはファン約5000人がグラウンドに乱入。三塁側の巨人ベンチにも突進し、この年初の3冠王となった王貞治選手らを押し倒した。ベンチ裏からバスに乗り込んだ巨人ナインはグラウンドでの胴上げを断念。宿舎に戻ってから胴上げを行った。怒りの収まらない阪神ファンはネット裏にあった時価1000万円のテレビカメラを壊し約20人が暴力行為、器物損壊などで逮捕された。

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