【1990年12月9日】中3の田村亮子が世界女王破り国際大会初V鮮烈デビューから30年の“YAWARAちゃん”秘話

スポーツ報知
17歳で臨んだバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した田村亮子

 30年前、突如現れたヒロインの、あどけない笑顔は、今もまぶたに焼き付いている。女子柔道界で当時、国際大会の中でも超一流が集まった福岡女子柔道。最終日に行われた48キロ級で、中学3年の田村亮子(現姓・谷)が強豪を次々と破り、初出場初優勝を遂げた。のちに五輪連覇、世界選手権7度優勝など数々の金字塔を打ち立て、“YAWARAちゃん”のニックネームで親しまれた柔道家だ。

 田村は1回戦で左肩を打撲しながらも、初の外国人相手にスピードで圧倒して2回戦まで連勝。準決勝の相手は当時の世界女王カレン・ブリッグス(英国)。田村が最も憧れていた選手との対戦がついに実現した。「練習してきた技を出してみよう」。開始十数秒、思い切ってかけた体落としに、世界女王の体が空中で半回転した。「技あり!」。何が起きたのか理解できないまま立ち上がったブリッグスに、田村は大内刈り。相手が腰から落ちると、再び「技あり」のコールが出て、わずか28秒で田村の勝利が決まった。2階席には、田村が通う東福岡柔道教室の子供ら250人が陣取り、声を枯らして応援していたが、この勝利の瞬間にはひときわ大きな歓声が上がった。

 畳から下りたブリッグスは、大きな組み合わせボードの裏側に回ってしゃがみこむと、タオルを頭からかぶって涙を隠した。一本を取られて敗れたのは彼女の人生で初の屈辱だったのだ。

 決勝では、連覇を狙っていた中国の李愛月の仕掛けた内股を見切っていたのか、鮮やかな内股すかしで一本勝ち。2か月前の国内予選で白帯だった15歳が国際大会初出場で初優勝。だが、田村本人は何事もなかったかのような顔で勝ち名乗りを受けた。

 「試合に臨む前の練習とか、気持ちとか、食べ物とか、記者会見とか、髪留めのリボンは赤だったとか、相手の柔道着を持った感触まで、どれも鮮明に覚えています。地元出身なので、1回戦だけでも勝てればと思っていたんですけど…。内股すかしなんて、練習でもしたことがない。体が勝手に反応しました」と後に振り返ったYAWARAちゃん。「この福岡国際は、柔道人生の中で、私の試金石となった大会。その後も(試合前には)動きなど、いつもこの大会と比較して自分を見つめ直していた」という。

 興味深いことに、試合後のパーティーで、韓国チームのコーチとして来ていた、ある五輪金メダリストが「韓国からオリンピックに出ないか?」などと、田村に声をかけてきたという。単なる“社交辞令”ではなさそうで、後日、米国のある関係者が「タムラを遺伝子レベルで研究したい」と申し込んできたそうだ。数年後、「遺伝子を調べたいので血液を採取させてほしい」と正式に書面で依頼されている。小さな体で欧米のパワー柔道に勝ち続ける秘密を本気で探りにきたという事実だけでも「田村亮子=谷亮子」という柔道家の強さを物語っている。(谷口 隆俊)

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