ハンドボール・宮崎大輔、4時間半かけ右肩手術…40歳で迎える東京五輪

スポーツ報知
右肩手術を経て、悲願の五輪出場を目指す宮崎

 新型コロナウイルス感染拡大の影響による東京五輪の1年延期は、選手たちの人生設計を変えた。引退を決めた選手もいれば、来夏のベストパフォーマンスを目指して手術を選んだ選手もいる。ハンドボールの元日本代表で初の五輪出場を目指す宮崎大輔(39)=日体大=は右肩を6月に手術した。ベテランの決断に迫る。(取材・構成=遠藤 洋之)

 宮崎は今、我慢の日々を過ごしている。6月12日、右肩を手術し、全治は9~12か月。ボールを投げるなど実戦的な練習再開にはほど遠い。術後3か月が過ぎ、今は8~10キロを1時間かけてランニングすることが日課。現在、可能な数少ない運動の一つだ。

 「運動できなくて、体重もベスト(74キロ)から8キロくらい増えた。感覚を忘れないため、ボールを握るようにしているけど落としてしまうこともある。3か月検診で回復は順調と診断されたけど、まだ痛い。今は我慢。これから肩を動かすトレーニングを始め、術後6か月たって、年末くらいにようやくハンドボールのリハビリが始まります」

 開催国枠で1988年ソウル五輪以来、33年ぶりの出場となる五輪の舞台に立ちたい―。そのために手術を決断した。2019年の世界選手権を最後に代表から離れていた宮崎にとって“勝負できる体”を取り戻すことが重要だったからだ。

 「昨年から、まともに球を投げられない状態だった。大学の練習で、社会人の頃より走れるようにはなっていたのですが…。(五輪延期が決まるまでは)準備をしておこうと思っていたけど、この状態では役に立てないという思いもあった」

 右肩の棘上(きょくじょう)筋は部分断裂を起こしており、医師から今年初めには手術を勧められていた。五輪延期が決まり、新型コロナによる緊急事態宣言が解除されたのを受け、メスを入れた。

 「先生からは(手術で)肩を開かないと分からないところもあると言われた。実際に見てもらうと棘上筋の他にも関節筋や骨がトゲ状になって神経を圧迫していたり、8か所も(故障箇所が)あった。肩のほぼ全部という感じで手術も4時間半かかった。先生からも『よくこの状態でプレーしてましたね。歴史を感じました』と驚かれました」

 現在ほどの長期離脱はないが、すねの疲労骨折やヘルニアなど多くのけがを経験。また、18年には新たなポジションに転向したり、スピード強化と練習量を増やすために19年には大学に復学するなど、さまざまなチャレンジと経験が生きると信じている。

 「だいたい、けがをするのが五輪予選前だったんです。でも、必ず復帰してプレーできていた。今回は長い期間になりますけど、復帰できると思っているし、だから引退は考えていない。37歳になって経験のなかったサイドにも挑戦したし、環境を変えようと日体大に再入学した。自分としても変化はできていると思っている。五輪の延期はチャレンジできる時間が増えたと思っている」

 1年延期で40歳で迎える五輪。過去の4大会はいずれも主力で挑みながら予選で敗れた。完全復活の見込みは五輪直前だが、再び日本代表のユニホームを着ることを信じて、リハビリを続けている。

 「若い頃、この年齢まで現役をしていると思わなかった。一度でも五輪に出ていたら、とっくに引退しています。でも、これまでたくさん応援してくれた人たちに恩返しできる場所が五輪。だから立ちたい。今は代々木の体育館(ハンドボール会場)に立つことが目標。一日一日の積み重ねを大切にしていきたいです」

 ◆宮崎 大輔(みやざき・だいすけ)1981年6月6日、大分市生まれ。39歳。小学3年でハンドボールを始め、大分国際情報高2、3年時に全国高校総体で得点王。日体大に進学も2003年に大崎電気とプロ契約。09―10年のスペイン・アルコベンダス挑戦をはさみ、日本リーグで史上最多の975得点。19年に大崎電気を退団し、日体大に3年生として再入学。174センチ。

 ◆宮崎と五輪予選

 ▼アテネ(03年9月) 当時14連敗中の宿敵・韓国にリードする展開も22―22の引き分け。宮崎は残り3秒のセットプレーからシュートを試みたが決められず。日本は2勝1分けと勝ち点では韓国と並んだが得失点差で下回り五輪切符を逃す。

 ▼北京(08年1月) 07年の予選でクウェートに有利な判定が繰り返される“中東の笛”問題が起こり、国際連盟が再試合を決定。国立代々木競技場での韓国戦は1万257人が詰めかける注目の試合も25―28で敗退。世界最終予選でも1勝2敗で敗れた。

 ▼ロンドン(11年11月) 韓国とのアジア予選決勝で前半は10―11と競り合ったが、終盤に2選手が2分間の退場となるなど21―26。韓国戦の連敗記録が25に伸びた。世界最終予選でも1勝2敗に終わり、出場権は得られず。

 ▼リオデジャネイロ(15年11月) 同年4月に世界選手権準優勝したカタールで開催。日本はカタール、イランへの連敗が響き、3勝2敗のリーグ3位で世界最終予選進出も逃した。

 ◆ハンドボールの東京五輪への道 代表は16人登録され、ベンチ入りは14人。各ポジションは2人前後の見込み。宮崎はセンター、左サイドをこなすが、現在は代表主将でSNS発信でも人気のあるサイドの土井レミイ杏利(31)=大崎電気=や、センターの東江(あがりえ)雄斗(27)=大同特殊鋼=が主力。男子代表は来年1月に世界選手権(エジプト)が控えており、宮崎は復帰後、同大会の代表選手以上のアピールが必要となる。

スポーツ

×