【2019年の6月22日】“さわやか律子さん”ことボウリングの中山律子さんがプロ50周年を迎えた日「50年はあっという間」

スポーツ報知
中山律子

 「ボウリングの日」でもある6月22日。2019年のこの日は、1969年に女子プロ1期生としてデビューし、「さわやか律子さん」の愛称で1970年代に空前のボウリングブームを起こした中山律子さん(当時76)のプロ50周年を祝った日だった。都内で行われた祝賀会で、中山さんは「50年はあっと言う間。全国各地で多くの人に会えたのが幸せだった」と、トレードマークのさわやかな笑顔であいさつした。

 中山さんは永久シード選手だが、2003年度を最後に第一線から退き、子供たちの指導などボウリング界の発展に尽力している。

 1970年8月に女子プロ初のパーフェクトゲーム(12回連続ストライクで300点満点を出すこと)を達成し、翌71年には、カラフルなウェアに当時大流行していたミニスカート姿で「さわやか律子さん」の歌が流れるシャンプーのテレビCMにも出演。ボウリング大ブームの火付け役になった。2004年にプロボウリング協会(JPBA)会長に就任し4期8年務めた後、同名誉会長も歴任。現在は1976年の設立に携わった「ジャパンレディースボウリング倶楽部(JLBC)」名誉会長を務めている。

 中山さんは1942年10月12日、群馬・草津町生まれ、鹿児島県育ち。バレーボールの名門、鹿児島女子高で足腰を鍛え、OL時代の22歳でボウリングを初体験。以来、夢中になり、投げる度にスコアが伸び、友人に誘われたアマチュアの試合にも出場し、のめり込んだ。転機が訪れたのは1967年、25歳の時。大阪での「第1回全日本オープントーナメント」の女子個人の部で準優勝したこと。後に女子第1期生の同期でライセンスナンバー1の須田開代子さん(故人)と優勝を争った。26歳だった1969年6月にプロテストを受験。45人が挑み13人が合格した中で、須田さんがトップで、中山さんは2番。3番は石井利枝さん(現JLBC会長)だった。後の須田、中山、石井の「花のトリオ」で、合格の順位がそのまま日本プロボウリング協会のライセンスナンバーとなった。

 中山さんは通算タイトル33勝の永久シードプロで公認パーフェクトは2回。JPBAの記録によれば、総ゲーム数は9846で、トータルピンは194万811本(平均は197・11)。獲得賞金額は6091万5700円となっている。

 ◆ボウリングの日 江戸時代の文久元年、1861年の6月22日、長崎で発行された英字新聞にボウリング場の新装開店の告知が掲載され、このボウリング場が日本で最初のボウリング場だったことで、1972年に日本ボウリング場協会が「ボウリングの日」と定めた。

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