“最後の2年間”が明らかに…国民的女優 森光子の生涯に迫る

スポーツ報知
森光子(C)フジテレビ

 29日のフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上SP」(木曜・後7時57)では、2009年に舞台「放浪記」の2000回公演を達成し、同年、女優として初めて国民栄誉賞を受賞した森光子さん(享年92)の生涯と、天皇陛下と美智子さまの知られざる感動秘話を放送する。

 番組では“日本一愛されたお母さん”と言われながら、プライベートでは2度の離婚を経験し、家庭を持たなかった森さんが仕事一筋の人生を貫いた理由、また2010年に舞台「放浪記」を突然降板した理由、そして知られざる最後の2年間が明らかとなっていく。これら森さんをめぐる3つの“真相”について、秘蔵映像や森さんと親交の深かった浜木綿子(83)、萩本欽一(77)らのインタビューを交えながらお伝えする。

 1920年、京都の割烹(かっぽう)旅館に生まれた森さん。13歳の時、両親が相次いで他界。歌手に憧れを持っていた森さんだったが、生活のためにいとこで当時の日本を代表する時代劇スター・嵐寛寿郎さん(享年77)を頼り、女優として芸能人生の第一歩を踏み出す。その後、森さんは歌手になるという夢を果たすため21歳で上京、27歳の時に日系アメリカ軍人の方と結婚するが、わずか1週間で夫はアメリカに帰国、音信不通となり離婚をすることに。

 その後、森さんは大阪で女優の仕事に復帰し舞台に立つが、与えられる役は常に脇役という日々が10年以上も続いた。そんな森さんに転機が訪れたのは41歳の時。生涯をかけて演じ続けることとなる舞台「放浪記」と出会い、女優人生で初めて主役を務めることになったのだ。森さんが舞台「放浪記」の主演の座をつかんだ背景には、舞台「放浪記」の脚本・演出を務めた菊田一夫氏(享年66)との、後に「奇跡の3分間」と呼ばれる運命的な出会いが。そして今回、1961年の舞台「放浪記」初演の年に、森さんが降板する危機に見舞われていたという新事実が、舞台でライバル役を演じた浜木から明かされる。電話インタビューを行った番組MC・坂上忍(51)も驚いた、森さんの降板危機の“真相”が明らかとなる。

 舞台「放浪記」以降、森さんはバラエティー番組にも進出。特に多くの人々に印象を与えたのが、萩本の「欽ドン!」(フジ系/1975年~1980年)へのゲスト出演だ。初めてファンになった芸能人が森さんだったという萩本が、当時の思い出や森さんをキャスティングした背景などについて語る。

 森さんが48年間にわたって一度も休演することなく、そして代役をたてることなく続けてきた舞台「放浪記」。2009年に前人未到の2000回公演を達成し、翌年の再公演も決定。しかし、森さんは2010年公演の3カ月前に降板を発表する。今回番組では、当時演出を担当していた北村文典氏にインタビュー。森さん降板の背景にあった真実が明かされる。さらに、滝沢秀明(36)と共演し、森さん最後の舞台となった「新春 人間革命」の貴重な映像も特別に披露。関係者などへの取材をもとに森さん“最後の2年間”の“真相”に迫る。

 さらに番組では、平成の終わりを間近に控えた今、皇室秘蔵映像と共に天皇陛下と美智子さまの知られざる感動秘話を紹介。時と共にどんどん小さくなっていった美智子さまの帽子のサイズに秘められた思い、東日本大震災後の被災地・福島での除染作業中に天皇陛下がお見せになった驚きの行動、そしてカナダを訪問された際に子供たちを前に披露された美智子さまの歌声など、両陛下のお人柄がしのばれるエピソードとともに30年を振り返る。

芸能

×