山崎貴監督=手塚耕一郎撮影

山崎貴監督=手塚耕一郎撮影

2023.11.18

日本的宗教観映すゴジラ 「怒れる〝タタリ神〟を人間が鎮める物語なんです」 山崎貴監督インタビュー

「ゴジラ-1.0」がヒット街道をばく進している。山崎貴監督は1954年公開の「ゴジラ」第1作を強く意識し、終戦直後の日本に「戦争の象徴」としてのゴジラを登場させた。初代ゴジラの生みの親の一人、本多猪四郎監督が1992年10~11月のロングインタビューで語った半生と映画への思いを、未公開の貴重な発言も含めて掲載する。「ゴジラ-1.0」を読み解く手がかりとなるコラムと合わせて、どうぞ。

勝田友巳

勝田友巳

「ゴジラ-1.0」が公開以来快進撃を続けている。ゴジラファンを自任する山崎貴監督が満を持して登板、持てる全てを投入したシリーズ30作目。コンピューターグラフィックス(CG)の第一人者として、昭和を描いた「三丁目の夕日」シリーズ、第二次世界大戦を題材とした「永遠の0」(2013年)、「アルキメデスの大戦」(19年)で培ってきた映像技術を総動員。「自分にとっての理想形」のゴジラを生み出した。ゴジラに込めた思いを語ってもらった。


撮り終わっちゃった、寂しい……

――念願のゴジラ映画、ようやくですね。完成して、どんな気持ちですか。
 
本当に、ようやくです。ずいぶん時間はかかっちゃいましたけど、やるならやっぱり、満足のいく技術でやりたかったんです。今はちょっと、寂しいですね。ああ、ゴジラを撮り終わっちゃった、と。思い入れのある時間がすごく長かったから。ずっと一緒にいた娘を嫁に出したお父さんの感じですかね。こんなの、普段はないです。
 
――「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)の冒頭でもゴジラが登場しています。今回は終戦直後、復興中の東京に現れました。そこは決めていたのですか。
 
というより、ゴジラを「昭和」に連れて来られないかと、早いうちから考えていました。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」でゲスト出演してもらった時に、やっぱり昭和が似合うなって。
 
終戦直後の、あらがうすべが何もない状態の日本にゴジラが出てくれば、人は一生懸命、知恵を絞って戦う。いろいろそろっている時よりも何もなくて工夫して何とかしようとする姿に、人は感動するんじゃないですかね。物語として面白くなるし、映画的でもある。
 
――主人公の敷島をはじめ、戦争を生き残った人たちが再びゴジラとの戦いに臨みます。
 
「永遠の0」を作る時に、元特攻隊員の方に話を聞いたり本を読んだりして、「生き残ってしまった」という感覚を持っている人がたくさんいることが分かりました。その思いが、一つのテーマだと考えています。自分の中の戦争が終わらなかった人たちが後始末を付けて、戦争を終わらせる。今回のゴジラの襲撃は、もう1回、理不尽な戦争が来ちゃったみたいなもの。だから、登場人物の中に矛盾があるんです。戦わなきゃいけない、でも戦争はしたくない。戦争は本当にもういやだと思っている人たちが、どう感じてどう動くか。映画でしか伝えられないなと。


「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD.

初代と同じ「戦争」「核」のメタファー

――初代ゴジラは米軍によるビキニ環礁での核実験や、その時に付近で操業中だった第五福竜丸が被爆した事件の直後に作られ、「戦争」や「核」の恐怖の象徴として受け止められました。今回のゴジラに込めたものは。
 
そこは初代と同じ、ゴジラは核とか戦争のメタファーです。ただ、映画を作っている間にコロナ禍に見舞われ、仕上げの段階でウクライナで戦争が始まった。公開前の宣伝期間になったら、イスラエルとハマスの武力衝突も起きた。世の中の災厄、しかも天災というより、人の引き起こした災厄の象徴になったように思います。
 
――「永遠の0」「アルキメデスの大戦」で第二時世界大戦を舞台に、戦争とは何かを描きましたし、「海賊とよばれた男」(16年)でも戦争が大きく関わっていました。どうして繰り返し、戦争を題材にしているのでしょう。
 
こうしたインタビューに答えている間に明確になってきたんですが、ぼくは戦争が怖いんだと思うんです。もともと怖がりだし、子供のころは戦争体験者が身近にいた。話も聞くし8月15日が近くなると、戦争に触れる機会も多かった。そうして知った戦争は怖くて、だからこそその正体を見極めたい。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」じゃないですけど、そうしないと、怖くて怖くてしょうがない。それが原点にあるんじゃないかなと思ってます。
 
――戦争の正体は、分かりましたか。
 
いや、全然。むしろ、どんどん見えなくなってます。ものすごく複雑で、いろんな人たちの思いがあって、ボタンを掛け違えずれていって、戦争に至る。その正体をつかもうとするほど分からなくなる。でも相変わらず怖い。だから必死になるんじゃないかな。
 
特攻とか原爆もそうだし、兵士は戦闘よりも、戦地で病死したり飢餓で死んでいったりした。映画を作るとその状況を含めて、恐ろしいものの本当の姿が、うっすらと見えてくることもある。だから繰り返しているのかなと思いますけど。自分が戦争を考えた時に思うことを詰め込んでいます。見た人たちに何か感じてもらえればいい。


マシンのスペックが追いつくのを待った

――元々「白組」でデジタル合成やCGを手がけてきました。「三丁目の夕日」シリーズで建設中の東京タワーや昭和の町並みを造り、「永遠の0」で零戦が飛び、「アルキメデスの大戦」では戦艦大和を沈没させました。「ゴジラ-1.0」ではその全てが凝縮されています。
 
「続・三丁目の夕日」の時に、ゴジラに町を破壊させて、昭和に連れてこられるじゃんと思ったんです。同時にこんなに大変なのかと思い知ったんです。冒頭の2分のシークエンスなんですが、2分でこれだけ大変だったら、本編を全部作るのは今は無理だと。CGの技術もマシンのスピードも、全然追いつかない。マシンのスペックが上がるまで待とうと。最初に言ったように、一番いい形で作りたかったので、時期を見定めていた。
 
海を映像にする技術の開発が、すごく重要でしたね。「永遠の0」で海の映像を作った時は、本物の船を撮影して、その素材を使ったんです。CGでは白波を立てて動く船の映像は作れなかった。その後「アルキメデスの大戦」で、海を行く船に挑戦してみたら、技術的にもいけるかなというくらいになっていた。
 
ただ、一瞬だけならまだしも、「ゴジラ-1.0」では海のカットが大量にあるし、ゴジラが海の中で立ち上がるような動きは、船では作れない。シミュレーションで波を作れるようになるまでは、海がたくさん出てくる映画は無理だよなと思っていました。でも、そうこうしてるうちに「シン・ゴジラ」(16年)ができて、やばいことになったなと(笑い)。違うことしないと、と思ったらいっそう昭和に出そうという思いを固めました。


ディス・イズ・ゴジラ!

――歴代ゴジラ、日本でもスタイルが変わっていますし、ハリウッドでも独特の〝進化〟をしています。長年思い続けた「山崎ゴジラ」の造形には、どんな思いを込めたのでしょう。
 
ぼくの思うゴジラの、王道の正解みたいなものですかね。これぞゴジラ。理想のゴジラを作れたと思ってるし、すごく気に入ってます。もっともいろんな人たちの思い入れがあるから、そこで争いは起こしたくないですけど(笑い)。
 
――体高は初代と同じ50メートル。足が大きくて頭は小さいですね。そして背びれがおどろおどろしい。
 
体を支えるために、バランスが崩れない程度に足はでかく太く。でも頭は小さく。下から見た時にパースペクティブが強調されて、巨大に見えるようなバランスにしています。しっぽの長さとか体形は、今までのゴジラのいいとこ取りの総集編。
 
恐竜もハリウッドのゴジラも、首が背中から直線的につながって前傾姿勢です。日本のゴジラは垂直に立って、首がバチッと90度折れて曲がっている。初代の不気味さとか不安な感じを出したかったから、そういう部分はこれまでの造形を踏襲しています。「シン・ゴジラ」もそのあたりをうまくやっていたので、違う方向に作りたいなと。かっこよくて、しかも怖いゴジラを作りたかった。


コスパ悪かった海上撮影の大迫力

――ゴジラ、怖かったですね。人間に肉薄してきます。
 
初代ゴジラを見た当時の人たちは、本当に怖かったと思うんですよ。その怖さはゴジラ映画には大切で、現代の人たちにもそれに近い感覚を味わってもらいたかった。そのために、できるだけ人に接近させました。状況的にも映像的にも。逃げている人のすぐ後ろに巨大な足が現れるとか、海の上でゴジラに追いかけられて、今にも船ごと食われちゃいそうとか。「怖いゴジラ」を視覚的にどう見せるかを考えました。
 
――残留機雷回収の仕事をしていた主人公の敷島たちが、日本に向かうゴジラを食い止める任務を任される。木造のオンボロ船のすぐ後ろにゴジラの巨大な口が迫ってきました。
 
予告編にもとられた場面ですけど、手前に船があって、その奥にゴジラが迫っているという画(え)。あそこはどうしても望遠レンズで撮りたかったんです。距離感が圧縮された画面の中に、船の直後に迫る巨大なゴジラの頭を見たかった。でも海の上で望遠レンズを使って撮影すると、ものすごくコストがかかるんです。プロデューサーに、どうしてもってお願いして。ほんの数カットなんですけど、大がかりな撮影になりました。
 
岸で撮れればいいけど、海の色を求めると沖合に出るしかない。ぶれやすい望遠レンズのために足場を安定させないといけないし、その上にクレーンも立てたから、巨大タグボートが必要だった。逆算して準備したらえらいゴージャスなことになってて「うわ、やばいことした。1日いくらかかんだろうなと」(笑い)。しかも、撮影当日は晴れなくて。1日待ったのかな。次の日もまだ曇ってたけど、あとで処理すればいいからと。
 
効果的だったと思いますよ。あのショットが入るか入らないかで、だいぶ印象が違う。予告編に採用されたのも、編集者に感じるものがあったんでしょう。やったかいがありました。ただ、コスパは悪かった(笑い)。


空飛ぶ戦車も実物大で再現

――対ゴジラ作戦では「震電」という戦闘機が大活躍します。戦争末期に開発されながら実戦では使用されなかった、幻の戦闘機ですね。米軍のB29戦闘機に対抗するための高速高性能を有していました。
 
震電も、どうしても映画に出したいものの一つでした。戦記ファンには人気があるから、テンションが上がると思いますよ。あれも実物大で作ったんです。最初はとてもそんな予算がないと言われたんですが、どこかの博物館が撮影後に購入してくれるならできると言われて。一生懸命探してもらったら、引き取ってくれるところが見つかった。
 
震電は、無駄を省いて設計されているので小型のイメージがあったんですが、実はバカでかい。小型化するために、通常の戦闘機とは違って機体前部に機銃を装備して、エンジンは後ろに載せている。でも、B29を撃墜するために30ミリの機銃を4門も積んでいる。空飛ぶ戦車なんですね。30ミリ4門の戦闘機としては小さいけど、零戦よりもよほど大きい。みんなびっくりしてました。
 
大戦末期に、戦いに参加できなかった者たちというのは、今回のテーマにつながるかなという気がしましたけど、8割方、自分が実写で空飛ぶ震電を見たかったんです。(笑い)


〝怖い〟も〝かわいい〟も内包 なんでもあり

――ゴジラは誕生から70年。どうしてこれほど長く作られ続けているのでしょうか。
 
ゴジラは非常に幅広い存在で、良い者でも悪者でも成立するし、〝怖い〟から〝かわいい〟まで内包している。超越的な存在にもなりうるし、悪意を持っていてもいなくてもかまわない。世界のキャラクターはだいたい善か悪かのどちらかですが、ゴジラはフォルムと巨大さだけを担保できてれば、どうやってもゴジラなんです。これほど立ち位置を決めていないキャラクターは珍しい。いろんなアプローチの仕方があると思います。
 
――そのあいまいさは、どうして可能になったと思いますか。
 
先人が「エイヤ」ってやっちゃったことが。何でもありの土壌を作ったんじゃないですかね。1作目は怖かったけれど、2作目の「ゴジラの逆襲」(55年)からちょっとかわいいですから。抵抗感はあったかもしれないけど、そこでタガが外れたんじゃないですか、これもありなんだと。

そして、モンスターであり神様であることが、日本のゴジラの特徴だと思うんですよ。ゴジラは「もののけ姫」に登場する「タタリ神」なんです。そもそもアメリカの核実験で目覚めたものが日本をめちゃくちゃにするって、冷静に考えるとおかしな話じゃないですか。でも、タタリ神だと捉えれば納得できる。タタリ神の襲撃を、みんなで鎮める話。そういう意味では、日本人の宗教観に合致していて、日本のゴジラはハリウッド版とはまた違うものを背負っているのかなという気がしています。

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

カメラマン
ひとしねま

手塚耕一郎

てづか・こういちろう 毎日新聞写真部カメラマン

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