米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第9回

ウイグル、チベット…侵略繰り返す中国

text by 魚谷俊輔

 

現在、新疆ウイグル自治区と呼ばれるところには、実は第二次世界大戦後に東トルキスタン共和国という独立国があって、これを中国が狙ったということになります。第1段階としては1949年8月に政府間交渉をしようということで、毛沢東が東トルキスタン共和国の政府首脳を北京に招きます。しかし、この首脳陣の乗った飛行機は突然消息を絶ち、全員行方不明になってしまいました。その結果、政府は混乱に陥って、中華人民共和国に対する服従を表明するようになります。そして12月には人民解放軍が新疆全域に展開して、中国が完全に制圧してしまったのです。

次がチベット侵攻ですが、第1段階としては1950年に中共軍がチベット侵攻を開始します。「帝国主義国家から解放するんだ」と主張して、侵攻していきます。ちょうど同じ頃に朝鮮戦争が起こっておりまして、世界の耳目はほとんど朝鮮半島に集中していたので、チベットにはほとんどの人が関心を持ちませんでした。

そして51年に中国は「17か条協定」というものを強引に締結して、チベットから外交権を奪っていきます。それは「自治権を認め、宗教、信仰の自由を保障する。ダライ・ラマの地位は変えない」という甘い言葉で誘って、強引に締結させたのです。これを根拠として1956年にチベットへの道路ができて、中国の軍がどんどん入っていくことになります。これに対して不満を抱いた民衆が1959年の3月に首都ラサで蜂起します。これを「ラサ蜂起」といいます。これを鎮圧するために中国軍は3月20日に「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を行うわけです。

中国軍はこの機に乗じてダライ・ラマを暗殺しようとしましたが、ダライ・ラマはチベットを脱出してインドに亡命します。そして、その地で中共の非道を訴える声明を発表したのです。この間、国連はチベットが侵略されるのを防ぐ上で、何もできませんでした。そして600万人のチベット人のうちの120万人、すなわち約5分の1が殺されたと言われています。1970年代に入りますと、米中接近により、アメリカによる支援も打ち切りになって、チベットは完全に孤立して中国に占領され、情報は統制されるようになりました。こうしたことをこれまで中国は行ってきたのです。

(つづく)

ウイグル、チベット…侵略繰り返す中国

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