亡くなっていたんですね・1 ダン池田さん

安らかに

 ダン池田――この名前を知っている人も、私の世代がギリギリ最後だと思う。というか、同年代でも少ないだろうなあ。萩本欽一が司会をしていた「オールスター家族対抗歌合戦」のバンマス、そして「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」という本を書いた人。
 亡くなっていたことを今日のネットニュースで知った。ふーん……バンマスなんて言葉も死語ですね、バンドマスターの略。昔は歌番組のほとんどが生演奏だったので、その指揮者のことをこう呼んでいたのだ。


 先の本は芸能界の暴露本、と断じたら故人は怒るかもしれない。当時はすごい騒ぎだった。「芸能界追放」「何様だ」という反響が凄まじかったのを、子供心に覚えている。大人気番組だった「夜のヒットスタジオ」で指揮をしていた人、というイメージしか私にはなかった。「あのおじさん、とんでもないことしちゃったんだな」と驚いたのを強く覚えている。
 4年前ぐらいかな、神保町の本屋で「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を見つけた。読んでみたが、さほどセンセーショナルなものでもなかった。傲慢な芸能人に対する直球な「おこごと」と、「ちくしょう、芸もないくせに稼ぎやがって」という怨み節のツートン。
 私は読んでいて、カウンターの中に入っているような気持ちになった。いわゆる「バーテン」「ママ」のポジションね。
「ダンさん、そんなに飲んじゃ体に障りますよ」
「うるせえ、黙って注げ! くそっ、あのバカプロデューサーめ。プロダクションからの賄賂全部自分のポケットに入れやがって……」
 こんな感じ。それが、不思議に腹立たしくない。よっぽど辛いことがあったんだなあ。グラスを拭きながら聞いているような、そんな本だった。殆どニュースにもなっていないようだが、そんな男の人を「昭和系日記」に書き残しておきたくなった。
 合掌。


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○記録
2008年2月22日(金)09:41 日刊スポーツ

 「ダン池田とニューブリード」のバンドマスターとして、数々の音楽番組で活躍したダン池田(本名池田啓助=いけだ・けいすけ)さんが昨年12月25日午後7時18分、急性呼吸不全のため都内の病院で亡くなっていたことが21日、分かった。72歳。旧朝鮮・京城府(現ソウル市)生まれ。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。喪主は妻節子(せつこ)さん(64)。

 節子さんによると、ダンさんは約10年前に脳梗塞(こうそく)を患い入院。退院後は自宅で療養生活を送っていたが、右半身に軽い障害が残り、その後も何度か発作に襲われたという。昨年12月13日に自宅で転倒し頭部を強打。頭蓋(ずがい)骨内部に出血もあり入院、そのまま帰らぬ人となった。節子さんは「芸能活動を離れて20年近くもたっており、静かに眠らせてあげたかった。それが故人の遺志でもあると思います」と話した。今月11日には四十九日法要を行い、ダンさんの実弟や学生時代の親友、音楽関係者らが集まって故人をしのんだ。

 ダンさんは「ダン池田とニューブリード」の指揮者として、フジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」などで活躍。NHK紅白歌合戦でも指揮者を務めるなど、ひげをトレードマークにお茶の間の人気者だった。

 一方、「日本の芸能界がアメリカのショービジネスとあまりに乖離(かいり)することに義憤を感じ」85年に芸能界の告発本「芸能界 本日モ 反省ノ色ナシ」を出版した。芸能界の実態を実名告発してベストセラーになった。翌年には第2弾も出版。しかし、この告発本が芸能界の反感を呼び、ダンさんは芸能界の華やかな世界と決別、ディナーショーやバンドなどマイペースで音楽活動を続けていた。