クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#11)です。

「ダルマ」のセリカの衝撃

(DOUBLE JOY RECORDS提供 1971年「父とラスベガスの空港で(11歳)」)
(DOUBLE JOY RECORDS提供 1971年「父とラスベガスの空港で(11歳)」)

横山剣は小学校、中学校に通っていた間は音楽、作曲もなんとなく始めてはいたものの、「熱中していた」のは車であり、レースだった。

彼は毎年、欠かさず晴海の国際見本市会場で行われていたモーターショーに出かけていた。友だちと一緒に大きなカバンを持って出かけていき、手当たり次第に新車のパンフレットを集めた。集めたからといって、新車を買うことができるわけではないのだけれど、パンフレットを持っているだけで幸せだったし、友達に自慢することができた。

それほど熱中したモーターショー詣でのなかで、いまもくっきりと頭のなかに映像が残っているのが1970年のそれだった。横山剣は10歳。

「自分は宇宙空間に放り投げられたんじゃないか」というショック体験だった。

――その年、セリカとカリーナがデビューしたんです。衝撃的だった。モーターショーで見た、あの時のセリカは。

あの時のセリカは僕にとって時代の始まりを感じさせる車で、セリカから70年代が始まったな、と。流線形のスタイルのセリカは宇宙に飛んで行っちゃうんじゃないかとも思いました。でも、僕は宇宙船だと思ったけれど、他の人たちは、なぜか「ダルマ」って呼んでましたね。

(トヨタ自動車 1970年「『セリカ』『カリーナ』第1号車ラインオフ」)
(トヨタ自動車 1970年「『セリカ』『カリーナ』第1号車ラインオフ」)

僕の父親パート2はトヨタの販売店に勤めていたから、後にセリカ1600GTに試乗会で乗せてもらいました。セリカはフルチョイスシステムと言って、インテリアは何、シートはこれ、バンパーはこんな感じといろいろ選べる。エンジンも1400、1600のシングルキャブ、ツインキャブ……とありました。ただし、1600GTだけはツインカムで、選択の余地がない。

フォード・ムスタングのスタイルをちょっと日本風にしたというか、セリカはそれまでのトヨタの車とはずいぶん違っていた。それまでのトヨタってカローラのイメージだったんですよ。ただ、さかのぼればS800や2000GTのような、流線形のスペイシーな車を出していたメーカーなんですけれど。

そーそー、そういえば、そのダルマのセリカがマカオGPワンツーフィニッシュだったレースがあるんですよ。それも見に行ってます。

ドライバーは舘信秀さん、めっちゃくちゃカッコよかったです。

思えばあの頃のトヨタのレーサーはみんなイケメンでした。福澤幸雄さん、川合稔さん、舘信秀さん、高橋晴邦さん、鮒子田寛さん、見崎清志さん、みんな男前で長髪が多くて…。一方、日産は短髪でサムライばかり。トヨタと日産は対照的で、ソース顔のトヨタとしょうゆ顔の日産って感じだった。

サラリーマン兼バンドマンの時代

(DOUBLE JOY RECORDS提供 1997年「PUNCH! PUNCH! PUNCH!」)
(DOUBLE JOY RECORDS提供 1997年「PUNCH! PUNCH! PUNCH!」)

レースに熱狂していた中学時代を終えた彼は高校に進学するも、最終的には休学届を出したまま、音楽活動に専念。20歳の時にクールスRCのボーカリストになり、自分で作った曲「シンデレラ・リバティ」をうたう。その後、ダックテイルズ、ZAZOU(ザズー)、「CK'S」を経て、1997年、クレイジーケンバンドを結成、翌年、アルバム「PUNCH! PUNCH! PUNCH!」でデビューというか、CKBとして音楽シーンに登場した。

ただし、当時はまだバンドマン、作曲家だけでは食えなかったから、さまざまな仕事をした。いずれも車に関係のあるものだった。この間はあまりレースに出かけることはなかった。時間と金がなかったからである。

――1994年から8年間、外資系の検査会社に就職して、輸出品の検査をやりました。まあ、夜は夜で音楽活動と作曲をしていたわけですけれど。僕にとっては昼の仕事と夜の音楽活動の両立は当たり前でした。働かざる者、食うべからず。

職場は横浜港でした。モトローラのトランシーバーを持たされていたから、摘発する刑事みたいな感じかな。僕は特に急いでいるわけでもないのに、輸出する車の前で、キーって、ブレーキ踏んで止めたりして刑事気分を味わってましたね。

車、建機、医療関係の物品などさまざまなものを検査しました。ただ、麻薬を摘発するとかは税関の仕事で、僕がやっていたのはインボイス(船積み書類のひとつ、送り状)の内容に相違がないか厳重にチェックする仕事。

例えば中古タイヤを輸出しちゃいけない国なのにトランクにタイヤがいっぱい入ってたり、車のトランクにお金になるものを入れたまま船に載せようとしたり…。そういうものを「全部おろしてください」と言うんです。ええ、恨まれる役ですね。せっかく真面目に稼ごうとしたのに、恨まれるなんて、ねえ。

港で出会ったスーパーカーたち

フィリピン、インドネシア、マラウイ、ケニアとか、10か国ぐらいの輸出先向け荷物を担当していました。

検査官の前は船の横まで輸出する車を運転していく仕事。船のなかに入れる仕事はゴーダウンと言って、また別の専門職がやるんです。車と車の間の隙間が10センチしかないくらい、車間を空けずに止める仕事ですね。あの人たちがまた速い。港でレースをやってるみたいでしたね。僕らはゴーダウンの人たちが船に積む前までを担当するんです。横浜港で新車も中古も両方やりました。

車好きにはいい仕事でしたよ。「アゲ」と言って、海外から運んできた車を運転できる機会があったのですが、スーパーカーがあるんですよ。ロータスヨーロッパとか、フェラーリとか。たいてい、バッテリーが上がってるから、ジャンプ(違う車とケーブルでつなぐ)してエンジンをかける。スーパーカーの運転はゴキゲンでしたね。その仕事は2年かな、いや3年かな。

(朝日新聞社提供 1974年 横浜港)
(朝日新聞社提供 1974年 横浜港)

その後は、昼は車の積み込みをやって、夜はホステスさんの送り迎えもやりました。関内とか福富町のクラブのお姉さんを乗せて送っていく。僕は酒を飲まないから、そういう仕事はまったくつらくない。その間、車を運転しながら頭に浮かんだメロディーを曲にする。運転している間が作曲でした。運転しながらだと、なぜか車の曲が多くなってくるんです。

(問 横山さんが書いた車の曲は名曲です。たとえばBrand New HONDAとか。CMソングになってもいいのに)

そうですね。こればっかりはねえ。でも、車のCMソングで言えば、極めつけの名曲は「いとしのカローラ」。浜口庫之助先生です。小学校の時、レコードでなくソノシートでした。他にも「ちょっとうれしいカローラ」とか、「恋はセリカで」とか、いずれも名曲。あっ、話がズレました。車とレースの話ですね。

その後、僕は昼は検査官、夜は音楽、ライブ活動で、ふたたびサーキットに行くようになったのはCKBを始めて、レースに出るようになってからですね。見る側でなく、走る側になりました。

(続きは明日掲載します。)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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