蜂蜜博物誌

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アンドロメダ瞬が女の子になったこととかついでに考えたこととか

聖闘士星矢が NetflixでフルCGアニメーションとして復活すると発表され、連載当時のそれとは異なる原作に忠実なアニメになるのでは?と期待を寄せるファンも多かったようだが、これまで公開された情報によればキャラクターの名前等変更箇所もそれなりにあるらしい。

なかでも話題になったのは主要登場人物であるアンドロメダ座の聖闘士・瞬の性別が男性から女性に変わるというものだった。この件も含めてメインシナリオライターであるEugene Son氏は原作からの改変の理由を丁寧に説明している。詳細は該当ツイートのツリーや有志による翻訳を参照。(2018年12月11日現在、Eugene Son氏の一連のツイートは削除されている)

現に2014年に公開された劇場版『聖闘士星矢 Legend of Sanctuary』でも敵対する黄金聖闘士の一人は女性に変更されている。もっとも、本作のキャラクターメイキングは、原作や連載時のアニメから特徴の一部を借りたオリジナルの要素が強いため、今回の性別変更とはいささか毛色が異なる。蠍座のミロ姉さんかっこいいのでぜひ見てください。あと双子座ジェミニ山寺宏一

なるほど性格や扱いや展開さえ変わらなければ身体的性別が変わったところで問題はないだろう。女性になったからといって扱いが変わるようであれば氏も上記のような説明はしないはずだ。女性キャラクターがジェンダーバイアスの中に閉じ込められ、多様性に満ちたひとりの人間として描かれない事実は依然として存在する。「男の子を女の子」にすることで時代柄描けなかった女性キャラクター表象を獲得することは手段として有効だとさえ思う。

一方で、ファンとして不思議に思う。「なんで選ばれたのが瞬なの?」

聖闘士星矢』における瞬のキャラクターメイク

原作における作画は性別にこだわらず平均して顔がかわいいのだが、アンドロメダ瞬はまぎれもない「かわいい」男の子として描写されている。同じくかわいい顔をしているようにみえる魚座アフロディーテは「まるで少女のような顔」と彼の容貌を評していた。

さらに、守護星座であるアンドロメダ座の逸話を背負う瞬は、戦いそのものを好まない優しい性格として描かれている。戦いにおいては兄の一輝が助けに入ることもしばしばあった。そんな彼は、命のやりとりを当然と捉えている登場人物の中でも異色の存在だったかもしれない。

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師の仇である魚座アフロディーテとたったひとりで対決する覚悟を決めた瞬。アフロディーテの美しさに思わず「あれが男かよ」と口走った星矢に対する返答がこれ(文庫版7巻)

今の時代であれば「男とか女とか決めつけんじゃねえ」「自分は自分でしょ」という結論になるだろうが、男女二元論的な「男らしさの美学」を信奉している作風のためジェンダーバイアスからの脱却には至らない。それでも瞬はどこかマチズモに浸りきれない立ち位置を確立していたのだった。

こうして美学として演出された過剰なまでのジェンダーロールから一歩引いたキャラクターとして描かれていた瞬を「女性キャラクター」としてリメイクしたのが今回のNetflix版だった。これに対しては異論が噴出した。

ファン :オリジナルシリーズのなかで瞬はしばしば『囚われの姫君』として一輝に護られてきました。『彼』が『彼女』になるにあたって、少なくない女子はジェンダーステレオタイプが強化されることを恐れています。

ライター:仰るとおり、我々はシェーン(Netflix版瞬の名前)を『囚われの姫君』にするつもりはありません。ご意見感謝します。

いちファンとして「青銅聖闘士の一人を女性キャラとしてメイキングする」発想自体は面白いと思う。自分自身がリアルタイム世代ではないため、好きになったときには既に『聖闘士星矢』には様々な派生作品が存在した。連載当時のTVシリーズでさえ原作に比較するとキャラクターの性格・振る舞い・選択にあきらかな差異が認められる。一人の作者の描いた物語作品の枠組みを超えて、神話のように語り継がれる懐が『聖闘士星矢』にはあると信じている。これまでのメディア展開から原作者も自身の作風を越えた挑戦に対して意欲的にみえるし、ビッグコンテンツにはビッグコンテンツなりのマーケティングの必要があるとも思う。

Eugene Son氏の語った動機それ自体に思うことはない。しかし、決定の経緯とその結果に座りの悪さを感じてしまう。彼が「青銅聖闘士の一人を女性キャラとしてメイキングする」と決めたとき、はたして他のキャラクターの顔を一人でも思い浮かべたのだろうか? 「少女のような顔をした」「心優しい」瞬だからこそ彼に白羽の矢を立てたとしたら? あるいは「男の目から見てそのまま女にスライドできそうなのが瞬だった」……結局そんなジェンダーバイアスの結果なのではないか? それは本人のツイートからは読み取ることはできない。

蓋を開けてみなければわからないが、これまでの娯楽作品における女性表象に批判的であればこそ、シェーンはアンドロメダ瞬と同じく「ジェンダーに縛られない一人の人間」として描かれなければならないだろう。ところがEugene Son氏は一連の説明のなかで「瞬を女性にすることで面白くなる展開がある」と述べている。(おそらく冥界編のあれのことだろう) それは要するに女性を人間として描くことではなく、フェティッシュなヒロインの量産に繋がるのではないか。性別の変更が成功するとしたらそれは視聴者が「なんだ、女になったところで何もかわらないじゃん」と拍子抜けしたときだろう。もともと色眼鏡だらけの世界、いくらクリエイターが頑張ったところできっとむずかしいだろうけれど。

とはいえ『聖闘士星矢』を原作のまんま再生産するのは厳しい気がする。たとえば「仮面の掟」

キャラクターの性別変更はさておき、ジェンダーバイアスにまつわる『聖闘士星矢』のテコ入れはそれ自体相当難しいのではないか。古めかしいセクシズムは世界観の根幹や台詞にしばしば垣間見えるので、特定の設定はパージして再構成しなければ、とてもじゃないが現代的な倫理観に対応できないとすら思う。物事が問題提起されていなかった時代の原作それ自体ではなく、現在に生きる人間が手掛ける「新しい作品」として世の中に発表するのであれば、表象における「価値観の再生産」の責任から逃れられるものではないだろう。大勢の人間が製作に関わるコンテンツならなおさらだ。

たとえば、自分が聖闘士星矢にハマったのは高校生のときだったが、批評性のかけらもなく濫読していた頃でさえ「仮面の掟」には気持ち悪さを感じてしまった。社会的な視点がまるでなかった子どものときだって少年漫画のセクシズムくらいうすぼんやりと理解できる。それでも好きになったものは仕方がないから、物語の価値観を内面化したり、あるいは目を瞑ったり、めちゃくちゃ深読みして自分にとって納得いく解釈を編み出したり、好きになったものを好きでいるための努力は考え方の変化の大きい二十歳前後の歳月において少なからず必要だった。今はもういい大人なので「無理なとこは無理だけど好き」と批評性をもって愛している。

とはいえ後年あたらしい派生作品が次々と生まれるなか、そのあたりをフラットに魅せる努力は絶え間なく続けられてたように思う。

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2012年に放映された『聖闘士星矢Ω』は展開上「仮面の掟」に向き合わざるを得なかったが、やはり手を焼いていた印象がある。主要登場人物である青銅聖闘士の一人に女の子を加えるにあたり、「聖闘士になるために女は仮面を被って女を捨てなければならない」という「女は顔が命だろう?」と言わんばかりの設定は障壁だった。結果、鷲座の聖闘士であるユナは「自分は自分」と仮面を外すことを選んだのだが、それはあくまで彼女個人の選択であり「仮面の掟」そのものへの批判には至らなかった。『聖闘士星矢Ω』シーズン1は馬越作画でほんとうにすてきなのでぜひ見てください。

すでに紹介した『聖闘士星矢 Legend of Sanctuary』では「仮面の掟」に触れることはなかった。原作における女性聖闘士の仮面は異なる演出に活用され、そもそも性別に関わりなく聖闘士の装着する鎧(聖衣)はすべてマスクのあるデザインに変更されていた。本作がオリジナリティの高い構成だったため可能だったことかもしれない。

そして2013年『セインティア翔』において「仮面の掟」はそのままに「女性のまま戦う女性戦士」の概念があらたに誕生した。これは原作者である車田正美がかねてよりあたためていた構想らしい。「聖処女であるアテナの身辺を守る少女・聖闘少女(セインティア)」たちがじつは『聖闘士星矢』の裏舞台で活躍していたのだ―――という物語は、かつてのホモソーシャル一辺倒な『聖闘士星矢』像を一転させるに相応しいものだった。

ほかにも漫画『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』では鶴座のユズリハという少女が「わずらわしい」という理由でほとんど仮面を外して過ごしている。このように派生作品ではすでにゆるやかに回避されている設定だが、Netflix版のシェーンについて「仮面はどうなるの?」と問い正すファンが絶えないほど『聖闘士星矢』にとって印象深い要素であることは事実だ。自分の顔をはじめてみたペガサス星矢に恋をする蛇遣い座のシャイナが魅力的だったこともそうした愛着の理由のひとつだろう。余談だが、「男らしさの美学」が根底にある車田作品の女性キャラはときに男性の手に負えない凶悪さを兼ね備えている。これは原作者のフェティシズムの賜物だと考えたりもする。

 

こうしてあらゆるアイデアを用いて現代的にアレンジされ、また原作の魅力や魂を抽出することに心血を注がれてきた『聖闘士星矢』派生シリーズだからこそ、今回のNetflix版に期待する気持ちはある。蓋を開けてみて「なんだ、いろんな心配は杞憂だったなあ」と言いたい。自分は山内重保監督の手掛けた劇場版が好きで、過去には『聖闘士星矢Ω』のために毎週早朝を楽しみにしていて、改変にも慣れ切ったファンだから、原作に忠実な『聖闘士星矢』を望んでいる仲間と分かち合えるものは少ないかもしれない。でもどうせなら、どんな作風であれ、どこかのだれかが新しい『聖闘士星矢』を好きになれる、そんな作品になってほしいよね、という気持ちは同じだろうと思う。

 ジェンダーの話が多かったので入門になりそうな文献や記事を載せとくね
ジェンダー (図解雑学)

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