次第に殺し屋などの悪役で実力を見せ、岡本喜八監督の『殺人狂時代』('67年)では大好評を得た。小説家の矢作俊彦さんが語る。
「天本さんが演じた殺し屋結社の委員長・溝呂木博士が、ナチスの残党を相手にドイツ語でまくしたてるシーンを見て、すっかり彼に惹きつけられました。
それまではアクション映画に欠かせない怪優でしかなかったのが、いきなり『怪人』そのものに変わったんです」
脇役への信念
天本が親交を深めたのは、古い友人や同郷人だけだった。
映画の美術スタッフとして働いたときに同郷のよしみから天本と親しくなった、料亭「金鍋」の5代目当主・真花宏行さんもその一人だ。
身長180センチと長身の美男子だった
真花さんは、天本が映画・テレビ業界を辛辣に批判していたと振り返る。
「主役と脇役のギャラの格差があまりに大きすぎると苦言を呈していました。主役だけでなく脇役も、映画には大事であると強く思っていたんです」
己の信念を貫く天本の姿勢は、私生活で顕著に表れる。
地元企業の宣伝ポスターにも起用された
両頬を引っぱたく
天本は20代の頃にカントやパスカル、ニーチェなどの哲学書を読み漁った。
自分は何のために生きているのか……こんな哲学的な問いを考えようとしない日本人たちを深く憂えた。
また、筋を通さない日本人に対しては容赦なく怒った。
死神博士役やクイズ番組で有名になった天本が道を歩いていると、若い男の盗撮に気づいた。
天本は男の右頬を平手打ちし、「人間を断りもなく撮っていいという法はないのだ!」と言った後、左頬も引っぱたいたという。
生涯独身だったが子供が大好きだった