とっさに辻が「死んだ真似をしろ」と声を上げ、3人はいったん地面に身を伏せたものの、クマが唸り声を発すると同時に太田が立ち上がり、カールに向かって駆け下りていった。クマはすぐにそのあとを追っていき、濃いガスのなか、太田とクマの姿はたちまち見えなくなった。残った辻と坂口は懸命に山を下り続け、なんとか無事に山麓までたどり着いた。
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その後の捜索・救助活動によって、消息不明となっていた太田、杉村、平野の3人は八ノ沢カールで遺体となって発見された。遺体はいずれもクマの襲撃を受けて爪痕が残っており、損傷が激しかった。平野の遺体の近くで見つかった手帳には、クマに襲われる寸前まで、一人テントの中で怯えながら救助を待つ、彼の生々しい心境が綴られていた。その一部を以下に抜粋する。
「(27日午前)4時頃目がさめる。外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時まで、テントの中にいることにする。(中略)もう5時20分である。またクマが出そうな予感がするのでまた、シュラフ(注:寝袋)にもぐり込む。ああ、早く博多に帰りたい」
「7時 沢を下ることにする。にぎりめしをつくって、テントの中にあった、シャツやクツ下をかりる。テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」
「3時頃まで…(判読不能)…他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WV(ワンダーフォーゲル部)は連絡してくれたのか。いつ助けに来るのか。すべて、不安で恐ろしい」
3人を襲ったと思われるヒグマは、29日の夕刻、現場付近に姿を現したところをハンターによって射殺されたが、20発以上の弾丸を受けても倒れなかったと記録されている。クマは4歳の雌と推定され、体重は約130キロだった。