波乱万丈の人生も笑い飛ばす

2000年にプロ野球界の大スターである清原和博選手と結婚し、二人の男児を出産、その後、2008年から2年間人気雑誌『STORY』の表紙を飾る――誰が見ても華やかで、幸せに満ちていたはずのモデルの亜希さんの人生。そんな順風満帆の生活に終止符が打たれたのは、2014年のことだった。

2016年に清原氏が逮捕された際、2014年に二人は離婚していたことも報じられた。それ以降、亜希さんは「亜希」の名前で、女手一つで二人の男児を育てることになる。

普通なら、立ち直ることも乗り越えることも、到底無理なのでは、と思ってしまうかもしれない。

ところが、現在13万人以上のフォロワーがいる亜希さんのインスタグラムには、モデルとしての仕事だけではなく、食べ盛りの二人の子どもたちへのお弁当や日々のごはん、そして亜希さんの素顔が公開され、その表情はたいてい弾けるような笑顔だ。その嘘偽りない大きな笑顔に、むしろフォロワーのほうから「励まされます」と毎回大きな反響がある。

「私なんて、悩む人生の代表選手と思われているから(笑)」

これは、亜希さんが出版した『亜希のことば 私を笑顔にしてくれるヒト・コト・モノ』にある彼女自身の言葉だ。

モデルとして、母として、ファッション・美容・食などについて語るライフスタイル本の体裁でありながら、その著書を紐解くと、自らの波乱万丈の人生を笑い飛ばせる彼女の強さの秘密が見えてくる。以下、青字は『亜希のことば』から抜粋してお届けしよう。

 

事件後初登校の日

この本には、元夫の事件後に初登校した朝のことも語られている。母親の心配をよそに、何事もなかったように登校していく子どもたち。その頼もしい後ろ姿に、亜希さんは強さを教えられる。

親の背中を見て子は育つ、とはよく聞きますが、子どもの背中にこんなにも教わることがあるなんて。13歳はまだまだ子どもだと思っていたけれど、年齢は関係ない。一度も振り返らずにまっすぐ進んで行く彼の姿に全ての答えがありました。

 一方で、ここにあるのは亜希さんの「何があっても子どもたちを守る」というはっきりとした覚悟だ。それは、腹が座った「肝っ玉母ちゃん」の姿で、「華やかなモデル」というイメージは、やすやすと覆される。

亜希さんも母子家庭で育った

本の中には、真剣に野球を続けている子どものためのボリュームたっぷりのお弁当や、笑顔で子どもたちに抱きつく姿、そして「NIKEをニケと呼んでいた昔が想像できない」といったジャージ姿が多く見られる。

育ち盛りの男児二人を女手一つで育てるには、相当の苦労があったことは想像に難くない。亜希さん自身も母子家庭で育ったことで、その母が自身の育児の手本になった面もあるようだ。

なにより、「たった一人で子育てを引き受ける必要はないんだ」というのが、離婚後の発見だったという。

「気づいたら増えていた10本の腕。」

私自身も両親が離婚しているのでわかるのですが、子どもにとって親の離婚とは、たとえば両腕あったものが、片腕になる感覚に近いと思うんです。でも私の場合は、母がとにかく明るかったので、その寂しさを感じずに育つことができました。 

だからこそ、私も子どもたちにそう感じさせたくない、私1人で両腕にならなきゃ、頑張らなきゃ、と思っていたんです。 

でも、ある日気づきました。なくなったと思っていた片方の腕が、感覚としては10本くらいに増えていたんです! 友人や周りにいる人たちが、いつの間にか親身になって、代わりの腕になってくれていました。その腕は私のためというよりも、子どもたちに対しての温かい手でした。 

私にはもう両親がいないし、親戚も近くにはいないので、誰かに甘える、という選択肢がなかったように思います。けれど、親や家族じゃない人に頼ってもいいんだということを、みんなが教えてくれました。たくさんの人を巻き込んで子育てしてもいいんだと。