太平洋の中央部に浮かぶビキニ環礁付近で行われた核実験は、あの原爆の翌年、昭和21年(1946年)から始まりました。アメリカが67回、同じく太平洋諸島で核実験を行ったイギリスをあわせると120回以上実施されています。
すべての放射性物質が大気中にバラまかれました。終わったのは昭和37年(1962年)です。その年は30回を超える核実験が行われています。
当時、私は2歳。放射能の影響を受けやすいとされる乳幼児期に重なっていることを考えると残念です。今後、健康にそれなりの覚悟が必要だと思っています。
汚染海域にいたのは第五福竜丸だけではありませんでした。数多くの貨物船、捕鯨船、漁船等がいたのです。当然、魚も被ばくしていました。
騒ぎが大きかった昭和29年(1954年)については、水揚げされた魚の放射能検査が行われました。結果、延べ992隻もの漁船が被ばくした魚を水揚げしたのです。ところが、政府は12月31日をもって検査を中止。昭和30年1月1日からはすべての魚が食卓に運ばれました。
そして、洋上で被ばくしたマグロ漁船の乗組員たちは、その多くが40~50代で次々と亡くなっていったのです。
これが、私が、10年以上にわたって追い続け、『放射線を浴びたX年後』として番組にし、映画にし、そして今回書籍にした事件です。
最近になって、やっと事件が解決に向けて動き出しました。3・11がきっかけでした。皮肉なことです。
「放射能雨は本当に降ったのか」
──半世紀以上が過ぎた2014年、私たちは、科学者の手を借り、沖縄、京都、山形でかつて核実験によって日本に降りそそいだセシウム137の検出実験を行いました。その結果、10ヵ所中、9ヵ所からセシウム137が検出されたのです(もちろん、今となっては人体に影響を与えるような線量ではありません)。
過去の記録で知っていたにもかかわらず、この結果に私自身、衝撃を受けましたし、強い失望を感じました。
福島第一原発事故後の私たち日本人は「半減期の短い記憶」などと揶揄されています。実際私たちは、半世紀前の被ばくを「雨にあたると髪の毛が抜ける」という言葉以外、きれいに忘れ去りました。
しかし、いくら人々が忘れようとも、放射性物質は、消えることなく、大地に存在し続け、少なからず人体に影響し続けるのです。
読書人の雑誌「本」2015年1月号より
南海放送ディレクター。1960年愛媛県生まれ。1993年からビデオアーティストとして、バンクーバー国際映画祭、ベルリンビデオフェスト、イギリス短編映画祭など海外映画祭で招待上映を重ねる。2002年からはドキュメンタリー番組制作を開始、『一片のいのち』は日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。2004年から取材を始めた太平洋核実験による被ばく問題では、『わしも死の海におった』で、「『地方の時代』映像祭」グランプリ、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。映画『放射線を浴びたX年後』は2012年の全国公開から多大な反響を呼び、同年のキネマ旬報ベストテン入り、ギャラクシー賞報道活動部門大賞など、数多くの賞を受賞。
伊東英朗・著
『放射線を浴びたX年後』
税抜価格:1,600円
全国劇場公開、ギャラクシー賞、日本放送連盟賞ほか各賞総ナメ。封印されたビキニ事件の真相を追う、執念のノンフィクション。
=> Amazonはこちら
=> 楽天ブックスはこちら