岩手県出身の声優、浅沼晋太郎さんに2011年の東日本大震災当時のことを振り返ってもらうと「あの時の自分は、あまりいい精神状態ではなかったと思います」と口を開きました。実家がある岩手県盛岡市や、高校時代を過ごした宮城県仙台市、その他よく知る場所の被害の様子がテレビからひっきりなしに流れる状況――。いたたまれなくなった浅沼さんは、SNSで津波警報が出ていると情報提供をしたり、避難を呼びかけたりしました。「FRaU SDGs MOOK防災特集」のインタビューをお届けします。
いざという時にこそ
冷静に立ち止まって考える
「周りからは困っている人を助けようという精神でやっているように見えたかもしれませんが、それは逆で、自分を落ち着かせるためにやっていた気がします。家族とも連絡が取れず、すごく不安な時間を過ごしていたので、何かを発信していないと気持ちを持っていく場所がなかったんだと思います」
その日、東京の浅沼さんの家のベランダから見えたのは交通機関が止まってしまい歩いて帰る人たちの列。普段人通りの少ない道だったが、その日は人が途切れることがなかった。浅沼さんは帰宅できず困っている人がいたら、家に泊めるとX(旧Twitter)に書きこんだ。
「最初は知り合いで帰れない方がいたら、ということでお招きしていたのですが、最終的には初対面の人も含めて10人くらいが家に泊まりました。実はその後、それが原因で嫌な目にあったことも。でも数年後『あの時に泊めてもらえなかったら、どうなっていたかわかりませんでした』と感謝の手紙が事務所に届いて、自分の行動が少しは役に立ったんだと何年も経ってから思えました」