2023.05.13

保阪正康が親友・西部邁の変化に不安を抱いた夜

保阪正康『Nの廻廊』をよむ その4

昭和史研究の第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康さんの新刊『Nの廻廊』が各紙誌で話題だ。Nとは5年前に自裁した思想家・西部邁さんのこと。保阪さんと西部さんは中学生のとき、札幌郊外から市内まで汽車と路面電車でともに越境通学していた間柄だった。

妻ががんに冒されてからの西部さんの姿に、保阪さんは、友が己の過去に別れを告げようとしているのではないかとの不安に襲われる。

(全5回のその4。本記事は『Nの廻廊』の一部を抜粋、Web用として独自に再編集したものです)

「Nさんは奥さまがいなければ生きていけないと思う」

(前略)
N夫人が、がんに冒された。彼女は医師の娘であった。西洋の近代医学では完治が難しいと告げられた。

Nは献身的に妻を支えた。漢方薬が効くという有力な説があると聞くと、それを日々の生活にもちこんだ。服むだけでなくお風呂にも薬を浸して、まさに健気に闘病生活を助けている。会えばそうした薬の効用について詳しく聞かされた。

(PHOTO)iStock

「女房がね、少しでもラクになればと思ってね、西洋医学よりもやはり東洋医学なのかね。まあ効き目のあるという療法に取り組んでいるんだ」

私とふたりの会話になったとき、唐突に、「苦労をかけてきたから……」と呟き、感傷的にもなっていた。私はふたりの出会いを知らなかったが、夫人と中学、高校時代に親しかった友人から、Nとのなれそめを聞いていた。このことはNも自伝風の読み物のなかで書いているのだが、夫人はあまり人と接して騒ぎ立てるほうではなく、静かに読書を楽しむタイプであった。Nはそういう同級生に惹かれたようであった。

しかし情熱的であった。東京で学生運動で官憲に追われたり、逮捕されたり、裁判があったり、人の何倍もの苦労をしているNに、札幌から駆けつけて支えつづけたのであった。Nと夫人と私たち夫婦が会話しているときに、ふと示す夫人の柔らかい言葉に、私の妻は涙ぐむこともあった。「どんなことがあっても保阪さんを支えてあげてね」という一言に、妻は夫人の実感がこもっていることを知ったと言っていた。

「Nさんは奥さまがいなければ生きていけないと思う」

なんども妻が漏らしていた。私には印象に残る言葉であった。

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