生まれは1898年!ムッシュ・ビバンダムこと「ミシュランマン」の誕生と歴史

企業や自治体を始め、あらゆる団体に存在するキャラクター。しかし、100年以上も前に生まれ、今も世界で愛されるキャラクターは、そう多くはないでしょう。そこで注目したのは、白くて何段も重なる曲線のフォルムに、大きなクリクリの瞳。フランス発、世界屈指のタイヤメーカー「ミシュラン」の歴史あるキャラクター“ミシュランマン(正式名称:ムッシュ・ビバンダム)”です。

『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

ミシュランマンの誕生秘話

ミシュランのタイヤが初めて世に出たのは、1891年9月6日。長距離自転車レースでミシュラン兄弟(兄・アンドレと弟・エドワール)が手がけた、世界初の「取り外し可能な」ゴム製タイヤを装着した自転車が優勝したことから、「ミシュランタイヤ」の歴史がスタートしました。

その3年後、アンドレは世界初の自動車レースを経験して、ゴムを充填した“ソリッドタイヤ”では悪路での走行が厳しく、修理が大変だという観点から、空気入りタイヤの実用化に思い至り、兄弟で開発に乗り出します。

『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

自転車レースでの勝利が功を奏し、売り上げを伸ばしていたミシュランは、1894年、リヨンの万国植民地博覧会に出展。ブースには大小のタイヤが積み重ねられ、それを見たエドワールは「腕をつけたら人間になるな」と呟きました。この言葉が、兄・アンドレの意識に強く残ったそう。

ほどなくして、広告デザイナー オ・ギャロのイラストを目にする機会を得たアンドレ。彼のボツ作品の中の、あるイラストに目が止まりました。それはビール王 カンブリヌスがビールジョッキを掲げ「ヌンク・エスト・ビバンダム(今こそ飲み干すとき)」とキャッチコピーが添えられた作品。アンドレはそのイラストを見て、リヨンでエドワールが言った言葉を思い出したのです。空気入りタイヤがショックを吸収することが、「障害物を飲み込む」という比喩にもピッタリ。こうしてオ・ギャロによって新たにクロッキーが描かれ、1898年6月、ミシュランのタイヤ男のキャラクター「ミシュランマン(ビバンダム)」が誕生しました。

「ヌンク・エスト・ビバンダム」と題した初期のポスター。宴席でミシュランマンがグラスに入ったガラス破片や釘を飲み干そうとしている。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
「ヌンク・エスト・ビバンダム」と題した初期のポスター。宴席でミシュランマンがグラスに入ったガラス破片や釘を飲み干そうとしている。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

ミシュラン成長の要

見本市を始め、ミシュランの広告戦略の主役となったミシュランマンの新聞広告デビューは、1899年。1901年には、ミシュランマン誕生のきっかけとなった、ビール会社のボツイラストからヒントを得たポスターが世に出ました。初期のミシュランマンはどこか怖いようでもあり、陽気な感じもあり、と、さまざまなテイストで描かれています。これは、生みの親 オ・ギャロのほかにも多くのアーティストが描いたことから。今ではちょっと信じられませんが、そのときどきによってさまざまに変化し、扱い方も変わるというスタイルが、当時は当たり前だったようです。

「ビバンダムは世界に力を与える。」(左)と「ビバンダム万歳!来た、見た、勝った」(右)。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
「ビバンダムは世界に力を与える。」(左)と「ビバンダム万歳!来た、見た、勝った」(右)。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

ミシュランは強力なキャラクターを得て、さまざまな革新的な広告展開を行ってきました。ライバル会社を暗に揶揄するようなポスターを始め、自動車見本市に鉄輪と空気入りタイヤをそれぞれ装着したメリーゴーランドを設け、わざと障害物が散らばるトラックを走らせて乗り心地の良さを示したり、『ミシュランガイド』を発刊したりと、とにかく斬新。ときに交戦的に、ときにやさしく包み込むようにミシュランマンは精力的に活動しますが、無表情であるがゆえ、人々に与えるインパクトは強烈なものでした。

サヴィニヤックが制作したポスター。ミシュランマンが白ではなく、タイヤ色で描かれたものはおそらくこの作品のみ。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
サヴィニヤックが制作したポスター。ミシュランマンが白ではなく、タイヤ色で描かれたものはおそらくこの作品のみ。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

戦後、そして現在のミシュランマン

戦後、需要に対し供給が難しい状況になったため、ミシュランマンの陰も薄くなってしまいました。尊大で闘争心あふれていたかつての姿はありません。加えて、社内の広告スタジオのメンバーもミシュランマンを“時代遅れ”と考えていたそう。そこに光を差したのが、あのアポロ11号でした。月面着陸をしたニール・アームストロング船長の様相が、どことなくミシュランマンを想起させたのです。この機会を得て、フランス国外の拠点では、またミシュランマンを広告に起用するようになりました。

「突き進むビバンダム」。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
「突き進むビバンダム」。:『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

1980年代初頭、ミシュラン・アメリカでは、広告制作部長であったウオルター・ストロザックの描いたミシュランマンが企業イメージを刷新する、として定着し始めていました。以前より丸く、若返り、ダイナミック。ようやく私たちが見たことのあるミシュランマンに近づきます。そのような動きがあり、1985年、ミシュランは古くなってきた企業イメージの若返りを図るため、初めて広告代理店に依頼することになりました。

1986年広告代理店が展開したポスターキャンペーンの一部。「20億の車輪を征服!」。製品の新機軸と持ちの良さを土台した新しいメッセージ。『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN
1986年広告代理店が展開したポスターキャンペーンの一部。「20億の車輪を征服!」。製品の新機軸と持ちの良さを土台した新しいメッセージ。『ビバンダムの偉大なる世紀』より(C)MICHELIN

これは広告を自社で賄ってきたミシュランにとって、革新的な試みでした。そうしてミシュランマンも新しく蘇り、ユーモアも復活。世界でも同様、国ごとに展開は異なるものの、ミシュランマンの核となる部分は統一されました。

無表情と愛想の良さの両面を持ったミシュランマン。30年ほど前までは広告スタイルが統一されるわけでもなく、さまざまな姿で展開されていたことに驚きです。丸っこくて、どこか憎めない。そんなミシュランマンが今日もミシュランタイヤの素晴らしさを発信している、というわけですね。

出典:『ビバンダムの偉大なる世紀』オリヴィエ・ダルモン著 hoebeke

(取材・文:別役ちひろ 取材協力・画像提供:日本ミシュランタイヤ株式会社 編集:木谷宗義+ノオト)

[ガズー編集部]

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