【特別企画】

「ドラッグ オン ドラグーン3」10周年! 狂気と笑いが入り混ざった作品。最後の音ゲーはトラウマを通り越した凶悪難易度

【ドラッグ オン ドラグーン3】

2013年12月19日 発売

画像は全て本作の公式サイトより

 スクウェア・エニックスが2013年12月19日に、PS3用として発売したアクションRPG「ドラッグ オン ドラグーン3」(以下、「DOD3」)が、本日で発売10周年を迎えた。

 「DOD3」は、「ドラッグ オン ドラグーン」(以下、「DOD」)シリーズの3作目で、シリーズ10周年記念作品。「DOD」シリーズは、片手剣・両手剣・槍などの武器を切り替えながら主人公で戦う地上戦と、ドラゴンを操作して戦う上空戦を切り替えながら戦うアクションRPGだ。開発は「戦国BASARA バトルヒーローズ」などで知られるアクセスゲームズが担当している。

 「DOD」といえば鬼才・ヨコオタロウ氏の狂気が炸裂する作品だが、ヨコオ氏は「DOD2」で一度メインスタッフから外れた。しかし「DOD3」では再びクリエイティブディレクターとしてヨコオ氏が復帰。「DOD」、「DOD2」とキャラクターデザインを務めた藤坂公彦氏が本作でも続投、音楽は「NieR」シリーズでヨコオ氏とタッグを組んだ岡部啓一氏(MONACA)が担当している。

 本稿では、10周年を迎えた「ドラッグ オン ドラグーン3」の魅力について語っていく。なお、「DOD3」のネタバレが大いに含まれているので、未プレイの人はくれぐれも気を付けてほしい。

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「DOD」シリーズと「ニーア」シリーズの時系列をおさらいしよう

 「DOD」シリーズが、「ニーア」シリーズに連なる作品だということは知っている人も多いと思うが、ここで改めて簡単に、「DOD」シリーズの時系列について語ろう(一部の関連作品や出来事は省略)。

 初代「DOD」(「DOD1」)は、西暦1099年からスタートする。だが、その前提には、西暦856年にイベリア半島で起こった「大災厄」というものがある。大災厄によって、「DOD」の世界は様々な分岐が存在する世界になった。大災厄が起こる前の「DOD」の世界は、モンスターも亜人も魔法も全く存在しておらず、大災厄以降、ドラゴンや魔法の存在するファンタジー世界へと変わっていっているのだ。

 「DOD3」は、大災厄より150年ほど後の、西暦1000年が舞台。「DOD1」からは、100年ほど前となる。「DOD3」にも、「DOD1」や「ニーア」シリーズ同様、様々なエンディングが用意されているが、「DOD1」のEエンドが「ニーア」シリーズにつながったように、「DOD3」のエンディングも「DOD1」へと繋がっている。

 ただ、ひとつだけ違うのは、明確に「DOD1」に直結するエンディングがあるわけではなく、A~Dエンドを統合した世界が「DOD1」の世界となることだ。なお「DOD3」のノベライズでは、これら全てのエンディングを統合した物語となっているので、入手できるチャンスのある人ならばノベライズ版をおススメしたい(今はもう中古でしか手に入らないのだが……)。

 ここから先は、恐らく「DOD」シリーズのファンであれば語るまでもないとは思うのだが、「DOD1」のEエンドで2003年の東京へ、Eエンドから西暦3361年の世界が「ゲシュタルト」、西暦3465年の世界が「レプリカント」、西暦11945年の世界が「オートマタ」となる。

 ちなみに「DOD2」はというと、「DOD1」のAエンド(+微かにBエンド)から18年後の世界となっており、「DOD2」のエンディングからはどのシリーズにもつながっていない。

 ……以上、簡単にだが「DOD」シリーズと「ニーア」シリーズの時系列をお浚いした。「DOD3」のエンディングについては、後程迫っていこう。

キャラクターが濃いのはもはや当たり前な「DOD」シリーズ

 本作の物語の主人公はゼロ。ファンからは「ゼロ姉さん」などの愛称で親しまれている通り、ゼロはワン、トウ、スリイ、フォウ、ファイブから為る6姉妹の長女である。6人の姉妹は「ウタウタイ」或いは「ウタヒメ」と呼ばれている。だがゼロは5人の妹たち全ての抹殺を目論んでおり、「裏切りのウタヒメ」となった。

 ゼロはウタヒメの筆頭ワンが治める教会都市を襲撃するが、ワンの使役する魔獣・ガブリエルによって返り討ちにあう。ゲーム本編は、その教会都市の襲撃から1年後から始まる。

 ルートによって撃破する順番や展開は変わるものの、基本的にはワン、トウ、スリイ、フォウ、ファイブと妹たちを次々に撃破していくゼロと、ゼロの使役するドラゴン・ミハイルの物語である。A分岐から始まり、B、C、Dと4つの分岐で構成されている(各ルートのエンディングについては後述)。

 5人の姉妹を殺す主人公・ゼロの特徴と言えば、なんと言っても右目から咲いた大きな白い花と、左手の義手。恐ろしく戦闘能力に長け、人を殺すことや、多数の男性と肉体関係を持つことを、なんとも思っていない。

 ゼロが何者であるかはゲーム中では語られていないが、当時「DOD3」公式サイトに掲載されていたノベライズでその正体が語られていた。現在は掲載終了してしまっているが、そのノベライズで語られていた通り、人間だった頃の名は薄紅。娼館で働いていた娼婦だった(というゼロの設定に、ヨコオ氏らしさを感じる)。

 そしてゼロの眼から咲く花は、薄紅が死を迎える時に側に咲いていた、魔力を宿した花であった。花に寄生されてウタウタイとなったゼロは、花の底知れぬ魔力に気が付いて無理やり引き抜こうとしたが、その時に花の防衛プログラムによって生み出されてしまったのがワン、トウ、スリイ、フォウ、ファイブである。

ゼロ

 ゼロから生み出されてしまった5人の姉妹だが、この5人は「花」の力の代償として性欲が人一倍強い。当時は「なんでゼロといい、こんな設定なんだ」と思ったものだ。ただ実際蓋を開けてみると、トウ、スリイ、フォウ、ファイブは性欲が強いというを活かして、自身の使徒との関係を上手く築いている。例えば、トウとその使徒のセントは周囲も認めるバカップル。しかし分岐では姉妹と使徒、ゼロとの関係性にも変化が起こり、本作の物語の楽しみのひとつだった。

 一方、1人だけ表立った使徒を持たず、1人きりで教会都市に籠っているように見えたワンには、驚愕の設定があった。ワンには自身の肋骨から作り出したワンと全く同じ顔をした弟(コピー)がいて、そしてその弟と禁断の関係にあったのだ。ちなみにこの弟こそが「天使の教会」の創設者である。

 天使の教会は、「DOD1」に登場した「天使を語ってはならない。天使を描いてはならない。天使を書いてはならない。天使を彫ってはならない。天使を歌ってはならない。天使の名を呼んではならない。」という教義を掲げている宗教団体のこと。「DOD1」では帝国軍の国教となっており、信者は皆赤い目をしている(そのためヨコオ氏の作品のファンは、自称他称含め「赤目の信者」と呼ばれる)。

 また、「封印の女神」のシステムを作ったのも、この弟ワンである。「封印」とは世界を安定させるシステムで、封印が全て崩壊すると世界崩壊の機能が発動する。「女神」はその時代に必ず1人だけ存在する、封印を施された存在。「DOD1」に登場したフリアエがこの女神である。

 このように、弟ワンは「DOD」シリーズの重要なパーツとなっているのだ。弟ワンについて描いたコミックス「ドラッグ オン ドラグーン 死ニ至ル赤」は今でも電子書籍などで購入できる、貴重な関連作品のひとつなので、まだ読んでいない人はぜひこれを機に読んでほしい。

 コミカライズは「どらっぐ おん どらぐーん ウタヒメファイブ」もあり、1巻はAmazonのKindle Unlimitedの対象作品(※2023年12月現在)でもある。まるでギャグのようなコミカライズと思われてしまいそうだが、ワン、トウ、スリイ、フォウ、ファイブのウタヒメ5人の前日譚で、内容はきちんと「DOD」シリーズらしさを兼ね備えたものになっているので、「死ニ至ル赤」と同様、読んでほしい作品だ。

 ノベライズや設定資料集は現在中古品しか手に入らないが、コミカライズは今からでも本作への理解を深められることができる。まだ読んでいない人や「DOD3」に触れるチャンスがなかった人は、ここからでもぜひ入ってきてほしい。

ワン

 ちなみにこんなに個性あふれた性に奔放な人ばかりが集まる作品のためか、ストーリー本編は下ネタが非常に多かった。それを楽しく笑ってプレイできるかどうかで本作が面白く感じられたかどうか変わってしまうのだが、筆者は笑いながらプレイできたほうの部類である。

 ヨコオ氏の作品には常々性に奔放な方々が登場するが、「DOD3」はその中でも群を抜いて性に奔放である。それもあってか、発売前からどれだけ性に奔放かというのがある程度明かされていた。もちろんストーリーの本筋に関わる部分のネタバレこそなかったものの、情報を追っている人とそうでない人で本作への感じ方に随分と差が出てしまったのは事実だ。そういう意味では少々勿体なかったのだが、「DOD1」や「ニーア」とは毛色の違う1本の物語だと思ってプレイすれば、良く出来ている作品だと筆者は感じている。

 ただ、あまりに下ネタが多かったが故に、お茶の間で気軽にプレイできない問題、そうと知らずに家族の前でプレイしてしまって非常に気まずい思いをした問題はあったと思う。

 そんな中、ヨコオ氏の良心であったように感じたのは、ゼロと行動を共にしている白いドラゴン・ミハイルだ。かつてゼロと行動を共にしていた最強のドラゴン・ミカエルの転生体だが、その時の記憶を持っていないため、中身は平和主義な幼児。好戦的でひねくれ者なゼロとは真逆の性格で、ミハイルの心は純粋そのもの。ゼロからはぞんざいに扱われているが、ゼロのことが大好き。実際、趣味は「ゼロと遊ぶこと!」だそうだ。そんなミハイルが、とにかく可愛い。純真無垢に母親を慕う子供とその母親、といった風で、一生懸命ゼロに話しかけてくるミハイルには、母性がくすぐられる。このミハイルにほっこりしながらゲームを進めていったというプレーヤーも、多いのではないだろうか。

ゼロを背中に乗せて戦うミハイル

エンディングは4つ。おおよそ全てが「DOD1」に繋がる

 本作のエンディングは、おおよそ全てが「DOD1」に繋がる。そのため、全てのエンディングについて振り返りたい。なお、エンディングはA~Dまでの4つである。

Aエンド

 トウ、スリイ、フォウ、ファイブを殺したゼロは、最後の1人であるワンの下へと向かう。ゼロとミハイルはワンとガブリエルと戦うが、強大なワンの力を前に、ミハイルは重傷を負ってしまう。ミハイルは転生のためのエネルギーをガブリエルへの攻撃に使用し力尽き死んでしまうが、ゼロはガブリエルとワンを倒す。これで全ての妹を倒したゼロだったが、突如背後からワンに刺されてしまう。このワンこそが、ワンが自身の肋骨から作り出した弟(コピー)のワンで、ワンがゼロに倒された時の最後の切り札だった。ゼロを殺し、ひとり取り残された弟のワンは、姉を称える組織「天使の教会」を作ることを決意するのだった。

Bエンド

 いわゆるラスボスに当たるのは、精神崩壊したトウと、トウの使徒セント。ワン、スリイ、フォウ、ファイブは死亡。トウたちをなんとか撃破したゼロとミハイルだったが、トウたちが最期の力で召喚した毒蜘蛛の天使・ラファエルの毒により、ミハイルは死亡する。そこでゼロは「花」を利用して「契約」という新たな概念を創造。「花」をミハイルに託して、ミハイルを復活させることに成功する。しかし、その代償としてゼロは幼い少女に、そしてミハイルの右目には「花」が宿る。

Cエンド

 ラスボスは、ワンとガブリエル。しかしミハイルはガブリエルを打ち倒すことに成功するものの、相打ちとなって死亡してしまう。ゼロはワンを倒すが、世界に災いをもたらすウタウタイを1人残らずこの世から抹消するためには、最後に残った自分を殺す役目を持ったミハイルが必要なのだ。なのにもうミハイルはいない。嘔吐するゼロ。やがてゼロは自分を殺せる新たな竜を探し、どこかへと消えてゆくのだった。

Dエンド

 これまで以上に「花」の力が強くなっている分岐。「花」の力により、5人の姉妹達もより強大な力を持ってゼロの行く手を塞ぐ。ゼロは彼女らの強大な力を前に苦戦する。特にワンはこれまで以上に、より強い力でゼロを滅ぼそうとしてくるが、アコールの手助けによってなんとかワンを倒したゼロ。最後の「花」とウタウタイとなったゼロは、自身の殺害をミハイルに願う。巨大な「花」が開花する。ミハイルは「最後の歌」を封じ、「花」を異界へと封印したのだった。

 ……という、エンディングになっている。どれも救いがないが、最も救いがなかったのはCエンド。実際、Cエンドは観測者アコールも「この分岐には未来がない」としている。

 このまま救いがないエンディングが続くのかと思ったD分岐、その最後に登場したのが皆のトラウマ・音ゲーである。しかもこの音ゲー、「DOD1」から凶悪さを増していたのだ。最後の歌は8分ほどあり、その間にワンミスしただけでゲームオーバー。また、「DOD1」では先行入力ができたが、「DOD3」はほぼジャストタイミングでなければならない。しかもカメラワークが極悪で譜面が見えなかったり、特に終盤は徐々に暗転してその暗転の中でもジャストガードならぬジャストタイミングで歌を相殺しなければならない。まさに「なんなのだ、これは!」状態である。

ちなみに筆者は泣きながら数時間画面に向かいこの音ゲーを続けていたが、唯一の救いは、「最後の歌」が本当に良い曲なので、数時間ループしていても耐えられたという点だ。

 この音ゲーへの思い出は各自あると思うが、シリーズとして重要なのはこれら4つのエンディングが複合的に混ざり合ったのが「DOD1」の世界である、ということだ。

 天使の教会然り。契約制度然り。「DOD」の世界に存在しないウタウタイ。

 「DOD」シリーズを深く知りたい人には何はともあれプレイしてほしい、「DOD3」なのだが、PS3ということもあって現在ではなかなかプレイしにくいだろう。ちょっと気になった人は、前述の通り「死ニ至ル赤」や「ウタヒメファイブ」を読んでみるのがおススメ。もちろんプレイ環境がある人はPS3でぜひ。

 少々振り切った内容ではあるが、ゼロ姉さんやワンちゃん、その他姉妹らはもちろん、姉妹の使徒らのキャラクターも本当に濃くて、シリアスなのについつい笑ってしまう、そんな物語だったと思う。ある意味で感情の置き所に困る内容ではあったが、笑いと狂気の入り混じった作品に、筆者は取り込まれてしまった。

 10周年、本当に、本当におめでとうございます。