0005.大坂の陣 名場面10選【終了】

image

TWEETして投票しよう!
みんなで選ぶ「描かれた大坂の陣」名場面!

【*投票受付は終了しました。ご投票いただいた皆様、大変ありがとうございました。】

大坂冬の陣図屏風(デジタル想定復元)と大坂夏の陣図屏風(大阪城天守閣所蔵)に描かれた大坂の陣 選りすぐりの10場面から、「あなたの名場面」を選んで、下のTweetボタンから投票しよう!

投票結果をもとに、千田嘉博氏(城郭考古学者、奈良大学教授)と北川央氏(大阪城天守閣館長)の特別オンライン対談にて、描かれた大坂の陣を読み解きます!

(特別オンライン対談については【こちら】

■ 投票期間 7月22日 ~ 8月21日( 23時59分まで )

■ 参加方法

  • STEP1 

    公式TWITTERアカウント( @FuyunojinOffl )をフォロー

  • STEP2 

   下の10場面から、好きな場面を選択。ツイートボタンをクリック。

  以上です。ひとつと言わず、たくさんツイートしてください!


■ 大坂冬の陣図屏風 ①「大坂城天守」 ■   

  •  五層の望楼式大天守。最下層北側の屋根が大きく張り出しているのが特徴で、こうした特徴は、大坂城図屏風(大阪城天守閣蔵)、京・大坂図屏風(大阪歴史博物館蔵)に描かれる大坂城天守とも共通する。
image


■ 大坂冬の陣図屏風 ②「鴫野・今福の戦い」 ■

  • 大阪府柏原市からまっすぐ西に流れ、堺市で大阪湾に流れ込む現在の大和川は宝永元年(1704)に付け替えられたもので、それ以前は大坂城の北側で淀川(現在の大川)と合流していた。鴫野はこの大和川南岸の地名で、今福はその対岸に位置する。ここで、慶長19年(1614)11月26日に大坂冬の陣最大の激戦といわれた鴫野・今福合戦が行われ、直江兼続が鍛え上げた上杉鉄砲隊や後藤又兵衛、木村重成らが活躍した。
image


■ 大坂冬の陣図屏風 ③「真田丸」 ■

  • 豊臣秀吉が築いた大坂城は難攻不落の名城と称えられたが、南側だけは平坦な陸地が続き、大坂城最大の弱点となっていた。それを補うため、真田幸村(信繁)が築いたのが真田丸(真田出丸)である。大坂冬の陣図屏風はこの真田丸の構造を知る上で、とても重要な史料である。
image


■ 大坂冬の陣図屏風 ④ 「本町橋塙団右衛門の夜討ち」■

  • 慶長19年(1614)12月17日の未明、豊臣方の将塙団右衛門が、焼き落とさずに残されていた本町橋を渡り、徳川方の蜂須賀至鎮隊に夜襲をかけ、見事成功した。大坂城の西惣構堀(現在の東横堀川)は本町橋の南側で湾曲し、「本町の曲がり」と通称されるが、大坂冬の陣図屏風にはこの「本町の曲がり」もきちんと描かれている。 
image


■ 大坂冬の陣図屏風 ⑤「徳川軍による攻城」■

  • 徳川方では、大坂城中から放たれる銃弾を防ぐため、多量の竹束を用意したり、鉄楯を考案して鋳造したりした。また、敵から姿を隠したまま城に近づくため、築山を造ったり、仕寄道を掘ったりした。築山や仕寄道は江戸時代になっても長らく残ったようで、江戸時代後期の大坂の町絵図にも描かれている。 
image


■ 大坂夏の陣図屏風①「大坂城天守」■

  • 黒壁の五層の大天守最上層には鷺と虎が描かれる。窓には合戦の様子を不安気に眺める女性たちの顔が描かれ、中には涙を流す者もいる。アップにしないと誰も気付かない、こんなところまで丁寧に描き込む大坂夏の陣図屏風の精緻さには驚くしかない。 
image


■ 大坂夏の陣図屏風②「本多忠朝奮戦」■

  • 鹿角脇立付兜を被り、長柄の槍を振るって奮戦する本多忠朝。彼の父は、徳川四天王の一人で、「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の兜と本多平八」と謳われた本多平八郎忠勝。 
image


■ 大坂夏の陣図屏風③「 真田幸村本陣と松平忠直隊 」■

  • 茶臼山に陣取る赤備えの真田幸村(信繁)隊。その様は、まるで真っ赤な躑躅の花が咲き誇るように見えたという。この日幸村は徳川家康本陣目指して真一文字に突撃し、一時は家康が死を覚悟するほどの奮戦ぶりであった。 徳川家康の孫松平忠直隊は大坂城一番乗りを果たし、徳川方随一の3750もの首を挙げた。
image


■ 大坂夏の陣図屏風④「毛利勝永隊」■

  • 大坂五人衆の一人毛利勝永(吉政)隊のこの日の戦いぶりは凄まじく、あっという間に徳川方の一備、二備を突破し、徳川方の将本多忠朝、小笠原秀政・忠脩父子が討死した。
image


■ 大坂夏の陣図屏風⑤「左隻・大坂城落城」■

  • 左隻には大坂城落城後の悲惨な光景が生々しく描かれる。数ある戦国合戦図屏風の中でこうした情景を描くのは大坂夏の陣図屏風だけで、大坂夏の陣図屏風が「戦国合戦図屏風の白眉」と高く評価される理由の一つにこの左隻の存在がある。 
image


名場面コメント執筆:北川央(大阪城天守閣館長)

「大坂夏の陣図屏風」画像提供:佐多芳彦(立正大学文学部教授)
※JSPS科研費JP17102001(立正大学)の助成を受けた研究成果を活用しています。

【*運営サイドによる転載ミスにより、一部、誤りがございましたので修正いたしました。(2020年7月22日 21:23)】  

Comments