1970年7月。列車から手を振って博多駅を出発する5人の大学生は期待で胸がいっぱいだった。向かう先は北海道の日高山脈。登山計画書もしっかりと書き込まれていて、準備は万端。そして、学生生活の楽しい思い出になるはずだったこの登山が、血塗られた事件に変わることなど想像もしていなかった──半月も経たないうちに、この5人のうち3人がヒグマの餌食(えじき)になったのだ。


 今から約50年前、日本中を震撼させた「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」。彼らはヒグマに遭遇しながら、なぜ山を登り続けたのか、人を怖がるはずのヒグマはなぜ執拗(しつよう)に彼らを追ったのか……そこには知られざる背景があった。

 

■2週間にわたる登山合宿のさなかに事件は発生

日高山脈の盟主・カムイエクウチカウシ山。右手が事件現場となった八ノ沢カール。 画像:Highten31, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

 1970年の夏、福岡大学ワンダーフォーゲル部(注1)の5人は7月14日から約2週間かけて日高山脈を踏破する縦走(注2)計画にチャレンジしようとしていた。特にメンバー5人の気分は高まっていたに違いない。
注1/正式には同好会だが、報告書などの記述に従い記事中では「ワンダーフォーゲル部」とする。
注2/縦走とは、登山で尾根伝いにいくつかの山頂を通って歩くこと。(デジタル大辞泉より)


 博多から北海道までの長旅を経て、5人は縦走を始めるのだが、後半にあたる7月23日(10日目)になって予定を変更、最後の記念に日高山脈の盟主であるカムイエクウチカウシ山を登ることにした。特にリーダーのAは、長年この山の資料を集めていて山頂に登るのは長年の夢だったと、後にAの母親が語っている。この変更が、彼らの運命を変えることも知らずに……。

 

■約50年後に公開された事件の報告書

綿密な計画のもと夏の合宿に向った彼ら5人を待ち受けていたものは…… (写真はイメージ)画像:Shutterstock

 ここからは事件の翌月にあたる1970年8月にまとめられた「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」(注3)に沿って、彼らをA(リーダー、20歳)、B(19歳)、最年少の青年をC(18歳)、生還した2人を佐藤(サブリーダー、22歳)、高橋(19歳)と記す。むろんこの2人も仮名である
注3/正式には「北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書」

 

 実は2023年6月まで、「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」は公開されていなかった。それまでは、さまざまなサイトで「最初にクマを見たときに逃げれば良かった」というコメントがあった。

 

 そんな偏見を振り払うように報告書公開に至った理由は、Webメディア「YAMA HACK」の編集部員が事件の35年後に福岡大ワンゲル部に所属していて、この記録が消えないよう、当時のワンゲル部のメンバーやOBの許可を得たからだそうだ(注4)
注4/全文が掲載された記事URLはこちら→https://yamahack.com/4450/2#content_17

 

■テント場に現れたヒグマを目撃した彼らは……

初めてみる本物のヒグマに好奇心が勝った彼らは……(写真はイメージ)

画像:Erik Mandre, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 5人が初めてヒグマと遭遇したのは、縦走の最中の25日の夕方、カムイエクウチカウシ山頂から北東側にある九ノ沢カール(注5)にテントを張って夕食をとった後だった。
注5/カールとは氷河地形の一つ。山の頂上近くが氷河にけずられてできた、半欠けの椀(わん)状のくぼみ。(「コトバンク」より)

 

 福岡に住む彼らは生まれて初めてヒグマを目にした。雑食のヒグマが人を食べるとも思わなかったので、恐怖心より好奇心が勝ったのだろう。大きな声をあげて追い払うこともなく、テントから7メートルほど離れたところにいるヒグマを興味深く眺めた。

 

 しかし、テントの外にあったキスリング(大型の登山用ザック)から食料を引きずり出してヒグマが漁り始めたので、追い払うためラジオと食器を鳴らして、火を焚いた。そうするとヒグマが姿を消したので、その隙にキスリングをテントの中に入れて、翌日も登山を継続することにした(最初の襲撃)

 

 ヒグマは自分の餌だと認識したものに手を出されると、手を出した相手を敵だと認識する習性がある。今では広く知られた「常識」だ。しかし1970年代当時、それが日本全国で知られていたかはさだかではなく、「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」にも、この件については載っていない。

 

■テントを襲うヒグマに抵抗するものの……

襲撃したヒグマは人を恐れることなく、テントにまで侵入してきたという。

(写真はイメージ)画像:O-dan

 同日午後9時ごろ、ヒグマの気配と同時にテントに穴が開いた(二度目の襲撃)。驚愕した彼らは、交代で起きて見張りをする。

 

 翌26日早朝、出発しようとした彼らは、テントを張ったカールの斜面上方にヒグマがいるのを目撃した。三度目の接近遭遇となり、さすがに彼らも「こいつ(ヒグマ)は自分たちに危害を加えようとしているのかもしれない」と警戒した。

 

 15分ほど外に出て注視していると、だんだんとヒグマが近づいてくる。全員がテントに戻る。するとヒグマがテント入口の幕を引っ張り始めたので、全員でテントのポールを握って幕が開かないよう抵抗した。

 

 だが、ヒグマがさらにテントに侵入してきそうになったので、5人は一斉に反対側のテントの幕を開け、一斉に逃げ出した。この時、5人はパニック状態に陥っており、たまたま靴を履いていた高橋とB以外は素足やサンダル、靴下だけの状態であったという(三度目の襲撃)