サマ-ワに入城せり!
サマーワで取材開始!
 祖国を離れること8000キロ、とうとうやってきました。戦友佐藤隊長から遅れることじつに2ヶ月。やっとこさ砂漠のど真ん中陸上自衛隊サマーワ宿営地へ。

 番匠1佐いわく、ここはここは日本でもなければ、クエートでもない。イラクである。世界のほかのどこででもない。自覚せよ。不肖宮嶋もその言葉を肝に銘じ、この地で無期限滞在する予定である。

 カンボジアのタケオ温泉には2回しかいれてもらえなかった。そのうち一回は自衛隊員にまぎれてこっそりである。ところが、サマワ温泉には到着初日にいともあっさり宿営地開放日にあたりご招待を受けた。

 これはひとえに日ごろのわたしのシブイ自衛隊取材が部隊に評価された結果であると思っていたら、さにあらず、サマワ特派員の新聞、テレビの全記者もご招待にたまわったのであった。・・・・なんやおおすみの時とおんなじやないか。

 しかし、日本人むきに底深であっつい風呂は不肖宮嶋ひさしぶりであった。やっぱ日本人は米と風呂があれば、世界のどんなところでも、活動できるとゆうのはホンマである。

 風呂上りには、クソあっついサマワの太陽とノンアルコールビールが待っていたなるも、悲しいかな不肖宮嶋、ビールが飲めない。汗をかいたグラスでウオッカソーダを、なんて贅沢をこの町で期待するのは、永久に無理かもしれん。


2004.04.05

しかしなんで自衛隊の屋外風呂はどこでもあんなにバスクリンをたっぷりながしこむのだろうか?か?員
クエートからぞくぞくサマワに本隊到着。砂煙をあげ、ピカピカのメイドインジャパンの車両が続く。
近頃このあたりのハイウエイもなにかと物騒である。日本のコンボイを護衛するかのようににらみをきかす装輪装甲車、現地同業者の間では、タイヤがやっつとゆう愛称、覆面姿が早くもさまになっている12.7ミリ機銃手。
第一次湾岸戦争では米軍の歩兵は銃口から砂がはいらないようこんどーさんをかぶせたとゆうがげんざいのサマワの自衛隊はサランラップを愛用。
昔電報、今ケータイ。信じられん、12年前のタケオでは給料の何分の一かをはたいてKDDのインマルを泣く泣くかけていたのが、いまはイリジュウムである。それにしても自衛隊員のブッシュハット姿なんてはじめて見た。
まだまだ仮宿営地、メシもオカズはレトルトが中心。記者団に律儀に挨拶される番匠支援施設群群長