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800年前の伝説が今よみがえる!佐賀県白石町の「縫ノ池」とは?

2017.12.23

佐賀県白石町(しろいしちょう)は、農業が盛んな自然あふれる地。有明海に面していることから、農産物だけでなく海産物にも恵まれています。白石町にある「縫ノ池(ぬいのいけ)」は、数々の逸話が残る伝説の池です。悲運にも遭遇しましたが、現在は住民によって大切に保護されています。縫ノ池の伝説や魅力とは?早速、詳細に迫ってみましょう。

「佐賀県白石町」と「縫ノ池」の魅力とは?

佐賀平野

白石町(しらいしちょう)は、九州・佐賀県の南西部に位置するまち。面積は99.56km2と広大で、佐賀県の約4%を占めています。面積の約80%は田畑となっていて、農業が盛んなまちとしても知られていますね。特に玉ねぎやレンコン栽培が有名で、玉ねぎについては佐賀県における生産量の約7割を占めています。ちなみに佐賀県の玉ねぎ生産量は、北海道についで全国2位の規模を誇るのだそう。まちの東南部が有明海に接していることから、平野や海などの自然が一体したまち、それが佐賀県白石町です。

数々の伝説に彩られた池「縫ノ池」とは?

縫ノ池(白石町HP)

縫ノ池は、佐賀県白石町の西部にある「杵島山(きしまやま)」のふもとにあります。6,000㎡の面積を誇る池の中央には、「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」がたたずみ、「弁天さま」として住民に親しまれています。実は、縫ノ池の水は湧き水でできていて、飲料水に適していることから、たくさんの水汲み客でにぎわいを見せています。
  

縫ノ池には800年以上の歴史があり、数々の逸話が言い伝えられています。長い歴史のなかでは、湧き水が途絶えてしまい、池が干からびるという悲運にも見舞われました。縫ノ池に伝わる逸話とは?なぜ池が干からびてしまい、どうやって湧き水が復活したのでしょうか?

なぜ池に神社があるの?縫ノ池の歴史とは?

水堂安福寺(白石町HP)

縫ノ池の歴史は、約800年前の平安時代にまでさかのぼります。当時、高倉天皇が重い病気にかかってしまい、薬も効かず困り果てていました。あるとき高倉天皇の夢のなかに観音様が現れ、九州肥前の国(現在の佐賀県)「日輪山(にちりんざん)」にある霊水を飲めば、病が治るというお告げを受けました。天皇は早速、この地を治めていた平重盛に命じ、霊水を探させます。重盛が、現在の「日輪山水堂安福寺(みずどうあんぷくじ)」、通称「水堂さん」に湧き出る霊水を献上したところ、本当に病が治ったのだそうです。
  

そこで、高倉天皇の父「後白河法皇」は、この地に厳島神社の弁天さまを移すことを指示しました。その場所として選ばれたのが、金妙水と呼ばれる清水が湧き出ている、現在の縫ノ池です。ちなみに、水堂安福寺の霊水は今でも湧き出ていて、実際に飲むことができます。霊水が湧き出るのは、4月15日から7月15日までの3ヶ月間だけ。毎年この時期には「出水法要(でみずほうよう)」が催され、たくさんの参拝客でにぎわいを見せます。

縫ノ池という名前の由来は?

永代放生池の碑 (縫ノ池公式ウェブサイト)

現在の縫ノ池は、「放生池(ほうじょうち)」としても知られています。放上池とは、殺傷を戒めて供養するために、とらえた魚などを放つ池のこと。縫ノ池が放上池となった経緯は、今から約500年前にさかのぼります。
  

当時、白石地方を治めていた当時の城主「平井経治(ひらいつねはる)」は、大勢の家来とともに、現在の縫ノ池で鷹狩りを楽しんでいました。そこに、まるまると太った鴨が現れたため、経治は早速、鷹を放ちます。すると、鴨をとらえた鷹は池に飲み込まれてしまいました。そこに、縫ノ池周辺を治めていた経治の叔父「縫殿助冶綱(ぬいどのすけはるつな)」が通りかかり、迷わず池のなかに飛び込んだのだそう。いくら探しても冶綱が見当たらないため、経治は祈祷を行います。しばらくすると、鷹と治綱が水のなかから浮かび上がりました。
  

治綱に事情を聴くと、池のなかには宮殿があり、美しいお姫様のおもてなしを受けたのだというのです。このお姫様は、池の弁天さまだと名乗り、経治の無意味な殺傷を戒めました。それから縫ノ池では放生会が行われるようになり、縫ノ池というネーミングの由来ともなっています。現在、縫ノ池を見渡す場所には、「永代放生池」という石碑も建てられています。

ロマンティックな恋の言い伝えも

新緑の轟の滝

縫ノ池から15kmほど離れたところに、「轟の滝(とどろきのたき)」と呼ばれるスポットがあります。佐賀県嬉野市にある滝で、水が流れ落ちる音が雷のように轟くことから、轟の滝と名付けられました。縫ノ池と轟の滝は地下水でつながっていると考えられていて、轟の滝の龍神さまが地下水を通じ、縫ノ池の弁天さまに逢いに行っていた、という言い伝えがあります。縫ノ池は一時、干からびてしまいましたが、弁天さまに逢えなくなった龍神さまが、湧き水を復活させたのでは、というロマンティックな伝説が残っています。

縫ノ池が干からびた理由と復活した経緯は?

池の底は地割れが(縫ノ池公式ウェブサイト)

住民によって親しまれていた縫ノ池ですが、昭和33年(1958年)に干からびてしまいました。農業用水を確保するために、地下水を汲み上げすぎてしまったことが原因だと考えられています。池底には亀裂が生じ、痛々しい姿に様変わりしてしまいました。

冬の縫ノ池(縫ノ池公式ウェブサイト)

それから43年後の平成13年(2001年)、飲料水などを地下水から表流水へ転換したころから、徐々に湧き水がよみがえりました。

縫ノ池の湧き水(白石町HP)

水質検査を行ったところ、池の湧き水は飲料水に適合しているという結果が出ました。湧き水の復活は新聞などで扱われ、町内だけでなく町外からも湧き水を求めるたくさんの人々でにぎわいを見せています。現在の湧き水量は、1.2リットル/1秒、一日に換算すると、100,000リットルもの湧き水がもたらされています。この数字は、汲み取り口1ヶ所だけの水量なので、全てを合計すると、一日200,000リットルくらいの湧き水が発生していると考えられています。その水量は、500ミリリットルのペットボトルの400,000本分!どれだけ豊富な湧き水に恵まれているのか、実感できるのではないでしょうか?

「縫ノ池湧水会」の活動(縫ノ池公式ウェブサイト)

湧き水の復活をきっかけに、縫ノ池の美しい景観を取り戻そうと、平成14年(2002年)には「縫の池湧水(ゆうすい)会」という保存会が結成されます。住民みずから清掃活動を行い、現在では10数種類もの淡水魚が生息するようになりました。池ではさかな釣り大会やお茶会が催され、人々の憩いの場となっています。命の尊さを知り、豊かな地域資源を保全しようと、保存会とまちの子供たちによって放生会も行われています。

縫ノ池夏祭り(縫ノ池公式ウェブサイト)

毎年7月15日には、水環境の保全を祈って「縫ノ池夏祭り(キャンドルナイト)」が催されています。子ども会を主体とし、ペットボトルを利用して作られた1,200ものキャンドルが、池に明かりを灯します。800年もの歴史がありながら、池が干からびてしまうという悲運にも見舞われた、縫の池。逆にその経験こそが、水の大切さや命の尊さを再認識するきっかけとなった、とも言えるのではないでしょうか?
  

佐賀県白石町は、水と緑にめぐまれた自然豊かなまち。白石町にある縫の池には、興味深いたくさんの伝説が残っていました。一時は湧き水が枯渇してしまいますが、40年後には復活し、現在は保存会などの手によって大切に保全されています。池が干からびてしまった経験が、水や命の尊さを再認識するきっかけとなったのかもしれません。これも平井経治と同じく、池に住まわる弁天さまの戒めだったのかもしれませんね。
  
  
参考サイト: 縫ノ池公式ウェブサイト  

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