サンタクロースは本当にいるのか? ~その正体や役割とは~

サンタクロースは本当にいるのでしょうか? 誰もが一度は心に抱くこの疑問に、あなたならどう答えますか。サンタクロース、その正体や役割とは。

目次

サンタクロースは本当にいるのか?

冬の四座をかけめぐるサンタクロース

サンタクロースは本当にいるのか?

「サンタクロースは本当にいるのか?」誰でも一度は頭に浮かんだことのあるこの疑問。
1897年、アメリカに住む8歳の女の子バージニア・オハンロンも同じ疑問を抱きました。その質問に『ニューヨーク・サン新聞』の記者フランシス・チャーチは、こう答えました。

「この世の中に、愛や思いやり、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かに存在するのです。見たことがないからといっていないと思うのは、間違っています。」

これは、今から100年以上前に、実際に新聞の社説に掲載された回答ですが、今でもクリスマスが近づくと、アメリカでは、新聞や雑誌にくり返し紹介されているといいます。
大人がサンタクロースを信じることができれば、子どもたちにもサンタクロースを信じる気持ちが芽生えるのかもしれませんね。

サンタクロースの正体

手紙を持っているサンタクロースの絵

サンタクロースの正体とは?

では、このサンタクロースとは、いったいどんなものなのでしょうか。

サンタクロースの正体については、さまざまな国の歴史が複雑に絡み合っており、実にミステリアスな存在とされています。まずはサンタの先祖たちを、次に各国の伝統的サンタを見てみましょう。

サンタの先祖たち

聖ニコラウス
ニコラウスは聖書の降誕物語そのものとは関係ありませんが、今やクリスマスには欠かせない存在となっています。「今から約1500年前、ギリシャのパトラスという街で生まれ、トルコのミュラ(現在のデレム)でキリスト教の司教として慈善活動を行っていた」という以外、確かなことは分かっていません。

ニコラウスが本格的に伝説上の人物へと変貌していったのは6世紀から9世紀にかけて。この時代、どういうわけか数多くの伝説・奇跡物語が彼の名のもとに広まるという現象が起きます。中でも有名なのが、「3人の娘を身売りさせなければならなくなった貧しい貴族の家に、ニコラウスが夜中こっそり黄金の袋を投げ入れ助けた」という逸話。この逸話から、ニコラウスは結婚前の娘の守護聖人として崇敬を受けるようになりました。もうひとつは、「宿屋のおやじに殺され、塩漬けにされた3人の子どもを、7年後にその宿を訪れたニコラウスが生き返らせた」という伝説。ここからニコラウスは、子どもの守護聖人として崇敬を受けるようになりました。この2つの伝説が結び付き、「子どもにプレゼントを贈る」というイメージがニコラウスに付与されていったのではと考えられています。

聖ニコラウスは、おなじみのサンタの格好はしていません。体型もスレンダーで、服装も地域差はありますが、基本的に背の高い司教冠をかぶり、白い服に長いマント、右手には羊飼いの杖を模した先の曲がった司教杖、左手には子どもたちが良い子か悪い子か克明に記録された閻魔帳を持っています。マントの色も赤とは限らず、白や青、緑など地方によってさまざまでした。プレゼントのたくさん詰まったかごを担いだロバを連れ、悪い子に罰を与える「おどかしオバケ」をお供にしています。地方によっては、自力で空まで飛ぶそうです。

 

クリスマスおやじ
地中海より聖ニコラウスが伝来する以前から、古代ヨーロッパには、厳しい冬を象徴する「冬おやじ」あるいは「クリスマスおやじ」という精霊が出没していました。もともとは、一族の皆に「冬」の扮装をさせてもてなし、緩やかな冬を祈念するというヴァイキングの習慣が、バルト海沿岸を中心に広まったものといわれています。きちんともてなさないと機嫌を損ね、必要以上の厳しい冬や、来年の作物の実りも期待できないなどのことが起きるといいます。

キリスト教が普及する以前のこうした習俗には、北欧の古い神話が少なからず反映されているようです。中でも、このクリスマスおやじの姿に影響を与えたと考えられているのが、北欧神話の最高神オーディン(ヴォーダン)と、雷と豊穣の神トール。オーディンは、つばの広い帽子を目深にかぶった、長身で髭の長い老人の姿。8本足の空飛ぶ馬スレイプニールを駆り、冬の夜、人間たちを裁きにやって来ます。一方、トールは、体格のいい赤色・赤髭の男で、2頭のヤギが引く戦車に乗るといいます。北欧に春の訪れを告げる雷は、トールのヤギの戦車が、天に駆け上がるときの轟とされています。貴族や戦士に崇拝されていたオーディンと、農民と漁師といった民間人の信仰を集めていたトール。この2人の神のイメージが、いつしか冬と豊穣の化身であるクリスマスおやじに集約されていったのだと思われます。

 

豆知識

サンタクロースと赤い服

聖ニコラウスは、教会の司教でした。司教の正式な服の色は赤で、この色は「人々の幸せのためなら自分の命でも捧げる」という決意を表すのだとされていました。また、聖ニコラウスが子どもたちにプレゼントを配りに来るときは、赤い服を着てくるといわれていました。サンタクロースは、この聖ニコラウスの愛の心、そしてその心を表す色を引き継いで赤い服となったと考えられます。ほかにも、赤色は人々を救うためにイエスが流した血の色だともいわれています。ところで、多くの人が思いつくサンタクロースの姿は、アメリカの漫画家トマス・ナストが描いた絵の影響が大きいともいわれています。

 

伝統的サンタたち

南から運河を通じて伝わった「聖ニコラウス」と、北からヴァイキングを通じて伝わった「クリスマスおやじ」は、歴史がすすむにつれいつしか互いに影響し合い、また、土着の宗教儀礼も混ざって、さまざまな変化を遂げていきます。その結果、ヨーロッパ各地に多様な「伝統的サンタ」が生まれました。中には、サンタさんと呼ぶのがはばかられる妖怪変化や、「サンタ=高齢の男性」という固定観念を破る「女サンタ」もいます。

 

シンタクラース(オランダ、ベルギー)
「聖ニコラウス」をオランダ語では「シンタクラース」と呼びます。シンタクラースの風貌は基本的に中欧の聖ニコラウスと同じですが、「黒いピート」という従者を1人ないし数人従えているのが特徴です。現在では別の聖人「シントマルテン(聖マルティヌス)」の伝承と入り混じり、11月の聖マルティヌスの日、なぜかスペインから大きな船でアムステルダムにやって来て、各地の港に立ち寄ります。そして、聖ニコラウスの日の前夜、空飛ぶ白馬にまたがり、子どもたちにプレゼントを配るのです。いわゆる「サンタクロース」は、このシンタクラースがのちにアメリカに渡り、独自の進化を遂げたものと考えられています。現代では、オランダやベルギーにもこのアメリカ産サンタクロースが逆輸入されていますが、伝統的なシンタクラースと区別するため、クリスマスイブにやって来るサンタは「ケルストマン(クリスマス男)」と呼ばれます。

 

ファーザークリスマス(イギリス)
聖ニコラウス崇敬の波が届かなかったイギリスでは、古代ケルト文化にも影響され、ヤドリギを飾ったり、豚の頭の丸焼きを食べたり、仮面劇を上演したりといった、大陸とは一風違った独特のクリスマス習俗が発展しました。クリスマスの余興の進行役を務めた恰幅のいい道化がのちに変化して生まれた「ファーザークリスマス」という精霊もそのひとつでした。しかし、17世紀の清教徒革命でクリスマスが「異教の習慣」として弾圧された際に、この伝統的ファーザークリスマスも残念ながら命脈を断たれてしましました。現代では、アメリカから渡ってきた近代型サンタクロースが2代目「ファーザークリスマス」としてイギリスを闊歩しています。

 

ヴァイナハツマン(ドイツ北部)
別名「ヘル・ヴィンテル(=ミスター冬)」とも呼ばれます。北ドイツでは、12月6日に聖ニコラウスが、クリスマスイブにはヴァイナハツマン(=クリスマス男)が出没します。もともとは怖い「クリスマスおやじ」の一種でしたが、優しい聖ニコラウスの影響を受けたためか、18世紀ごろには、クリスマスイブの夜にプレゼントを配って歩く、無慈悲だが比較的人畜無害なキャラクターに変貌していきました。赤い毛糸のコートに身を包み、頭にヒイラギの冠をかぶり、ろうそくを何本も立てた小さなクリスマスツリーを担いだスタイルは、現代のサンタクロースのヴィジュアル面にもかなりの影響を与えたと考えられています。

 

クリストキント(ドイツ、オーストリア他)
南ドイツをはじめ広い地域に現れる伝統的サンタ。アメリカでは「クリス・クリングル」と呼ばれます。宗教改革者ルターが聖人崇敬を廃止し、聖ニコラウスの影が払拭されたドイツでは、12月6日に聖ニコラウスが来るかわりに、新たに「12月24日のクリスマスイブにクリストキント(=幼子キリスト)がプレゼントを持ってくる」という民間伝承が生まれました。現在、子どもへの贈り物がクリスマスイブにされているのは、このクリストキント伝承がそもそもの起源です。姿は天使に近く、ろうそくの灯った冠をかぶり、翼を持った幼女のような姿とされています。人に目撃されるのをひどく嫌がり、イヴの夕方、天使とともにこっそり侵入し、クリスマスツリーの下にプレゼントを置いていきます。そのため、イヴの夜までは、子どもはツリーのある部屋に入ってはいけないことになっています。また、クリストキントが立ち去るときには、必ずベルの音が聞こえるそうです。

南ドイツやドイツに近いフランスのアルザス地方では、もともと聖ニコラウスのいたポジションにクリストキントがそのまま入り、白い服を着た子どもの姿でロバとおどかしオバケを連れてやって来ます。各家庭では、クリストキントのためにワインの入ったグラスかポリッジ(ミルクがゆ)を、ロバのために少量の飼い葉を用意しておきます。やはり人に見られるのを嫌い、その姿を見た人は炎の手でひっぱたかれるそうです。地方によっては、おどかしオバケの代わりに、ヴァイナハツマンを引き連れていることもあります。

 

マダム・ノエル(フランス)
イヴの夜、バラの冠に白い服を着たマダム・ノエルは、子どもたちにプレゼントを持ってやって来て贈りものを置くと手にしたベルを鳴らして去っていきます。あきらかにドイツから渡ってきたクリストキントが変形・進化したものと思われますが、クリストキントよりも年齢は上のようです。

 

フラウ・ホレ(ドイツ)
タントゥ・マリー(フランス東部)
フラウ・ホレ(=ホレばあさん)は、巨大な歯を持ったものすごい顔の老婆で、北欧神話の豊穣の神ホルダ(フレイヤの別名)に由来するといわれています。きれい好きのホレばあさんは、クリスマスになると家々を回り、掃除が行き届いているかどうかチェックします。また、良い子には果物やお菓子をプレゼントし、悪い子には鞭で叩いたり、さらったりします。地方によっては聖ニコラウスの従者として現れたり、単体で現れたりします。グリム童話にも登場し、働き者には金銀財宝をくれますが、怠け者には一生取れないタールをかけてしまいます。

タントゥ・マリー(=マリーおばさん)は、さらに妖怪度が増し、鉄の歯とガチョウの足を持っている。やはりイヴの夜、良い子の靴の中にはお菓子やクルミを、悪い子にはロバの目だの木の枝を束ねて作った鞭を酢漬けにしたものだの、嫌な豪華プレゼントを入れていきます。

 

ペルヒタ(ドイツ)
角のある大きな仮面をかぶり、牝牛の皮をまとった恐ろしい姿の女サンタです。出現時間は、11月11日の聖マルティヌスの日から「十二夜」の終わる1月6日までと地方によって差があります。サンタというよりは怪物といったほうが近く、簡単に人を殺す無慈悲な魔物ですが、同時に新しい年の実りをもたらしてくれると考えられているため、人々はびくびくしながらもペルヒタの到来を待ち望みます。このペルヒタの特徴は、クリスマスおやじと同様、「冬の寒さ」を擬人化したものと思われます。

 

ベファーナ(イタリア)
イタリアで子どもたちにプレゼントを配るのはベファーナという魔女。「エピファニー」がなまって名付けられたベファーナは、語源のとおり1月6日の公現日の前夜(または当日の夜)に現れます。顔に黒いすすを付け、黒い服に身を包んだ老婆の姿で、プレゼントの袋を背負い、ほうきに乗って空を飛び、煙突から各家に忍び込み、良い子の靴下にはお菓子を、悪い子の靴下には木炭などを入れていきます。

ベファーナはその昔、通りかかった3人の博士に「一緒にイエスを拝みに行かないか」と誘われたのですが、家の掃除にかまけて断ってしまいました。しかし後になって後悔し、ほうきに乗って3人の博士を追いかけ、いまだに探し回っているといいます。そのついでに子どもたちにプレゼントを配ってくれるということのようです。ベファーナの正体については諸説ありますが、キリスト教との関わりはないようです。

 

バーブシュカ(ロシア)
ベファーナとよく似た伝説を持つロシアの女サンタ。ベファーナ同様、公現日に出現します。バーブシュカはロシア語で「おばあちゃん」。やはり、一夜の宿を求めてやってきた3人の博士にベツレヘムへ誘われ、いったんは断りますが、博士たちが出発してから後悔し、贈り物を抱えて博士たちの後を追いかけました。その道すがら、子どもたちにプレゼントをおすそ分けしてくれているということです。

 

ジュド・マロース(ロシア)
スニェグローチカ(ロシア)
日本語に訳すと「厳寒おじさん」と「雪娘」。2人とも元来クリスマスとは何の関係もない民話の登場人物ですが、ロシア革命で宗教活動が禁止されたことから、聖ニコラウスに代わる宗教色ゼロのクリスマスのシンボルとして抜擢されました。

 

3人の博士(スペイン、ポルトガル他)
スペインでは、聖ニコラウスが船でオランダへ出かけて留守にしてしまうためか、代わりに3人の博士が1月6日にプレゼントを持ってきてくれます。中南米でもアメリカ産のサンタが上陸するはるか昔から3人の博士のほうがクリスマスシーズンのキャラクターとして人々に親しまれてきました。

 

黒いピート(オランダ、ベルギー)
黒いピートはシンタクラースの従者。顔にすすを塗り、ふくらんだだぶだぶの半ズボンとぴっちりタイツというピエロのような出で立ちをしています。良い子にはプレゼントをくれますが、悪い子は杖を振り回して追い払うか、背負った袋に放り込んでさらってしまいます。そんな危険なキャラクター付けが敬遠されたのか、のちにシンタクラースがニューヨークの守護聖人になった際、黒いピートにまでは永住許可が下りなかったそうです。

 

おどかしオバケ(ドイツ他)
オランダの黒いピートにあたる従者は、ヨーロッパ内陸部にも出現します。ドイツやオーストリアではよく聖ニコラウスのお供をしているのが「クランプス」という半人半獣の怪物。全身真っ黒で頭に羊のような角を何本も生やし、手にした鞭を振りながら悪い子をおどかします。クリストキントにも「ハンス・トラップ」というオバケが従います。スイスでは「シュムッツリ」と呼ばれ、自分が黒いだけにとどまらず、悪い子にもすすを塗りたくります。このおどかしオバケたちも冬の恐ろしさを擬人化した、ヨーロッパの古い習俗が形を変えて生き残ったものと考えられます。

 

クネヒト・ルプレヒト(ドイツ)
中世のドイツに登場した、聖ニコラウスの下部。黒い悪魔のような姿で、悪い子へのお仕置き役を担当しています。のちにクネヒト・ルプレヒトはご主人様から独立し、より人間に近い姿になり、単独で南ドイツの町々を回るようになったといいます。

 

鞭うちじいさん(フランス)
16世紀ごろに出現した聖ニコラウスのお供。つばの広い帽子とコートに身を包み、鞭を持ってかごを担いだ、もじゃもじゃの白髭にぎょろ目の見るからにおっかない老人です。「かごじいさん」とも呼ばれます。一応人間の姿をしていますが、やることはおどかしオバケたちと同じです。地方によっては、単独で出現することもあるようです。背中のかごは悪い子を捕まえて放り込み、そのままさらっていくために使われます。

 

ヨウルプッキ(フィンランド)
フィンランド語で「クリスマスのヤギ」という意味。19世紀初頭までフィンランドでは、ヨウㇽウッコという怪しい老人がヨウルプッキと呼ばれるヤギを連れ、各家庭を半ば強引に物乞いして回るという伝説がありました。時代が下るにつれ、この両者が「ヤギの角ないしヤギの仮面をつけた老人」という形に融合し、名前も「ヨウルプッキ」のほうに統一されたようです。また、外国のサンタ伝承の影響か、物乞いではなく逆にプレゼントをくれるうれしい存在になりました。

 

トントゥ(フィンランド)
フィンランドではペイッコ(=トロール)やトントゥといった、人間の目には捉えられない妖精の存在が信じられています。ペイッコが森の奥や海、川など自然に宿る精霊のようなものとされているのに対し(有名なムーミンもペイッコの一種)、トントゥは住宅や農場など人間の手の入った場所に住み着くと考えられています。トントゥは、赤いとんがり帽子をかぶった小人のような姿で描かれます。フィンランドでは現在、ヨウルプッキにとって代わり、外来のサンタクロースが定住していますが、サンタの家にもこのトントゥたちが住み着き、プレゼントの発送を手伝っているといわれています。

 

トムテ(スウェーデン)
ニッセ(ノルウェー、デンマーク)
トムテやニッセも基本的にはトントゥの仲間です。赤い帽子をかぶり、半ズボンにニーソックス、木靴を履いた小人で、白く長い髭をたくわえています。人間の目には捉えられず、ノルウェーではニッセの姿を見ることができるのは猫と赤ん坊だけといわれています。

北欧のクリスマス(ユール)はもともと彼らが主役で、クリスマスに彼らの好物のポリッジやビールを馬小屋などに置いてごちそうしてあげると、1年間の実りと家内安全を約束してもらえます。ただし、この付け届けを忘れると、家が火事になるなどさまざまな嫌がらせをされてしまいます。近代、アメリカから等身大のサンタクロースが輸入されて以来、デンマークのニッセはフィンランドのトントゥ同様「サンタのアシスタント」に落ちつき、スウェーデンのトムテとノルウェーのニッセは、サンタのあの服装に着替え、舶来サンタと同化してしまいました。ただし、大都会以外では変わらず伝統的な装束に身を包み、豚や馬にまたがった小人がプレゼントを配ってはお供え物のポリッジをたいらげて回っているそうです。

 

ヨウルスヴェン(アイスランド)
アイスランドのサンタも妖精の一種ですが、こちらは13人組。人食い魔女グリーラの息子である13人のスヴェンたちは「鍋なめ」「ソーセージ泥棒」「窓のぞき」など、ひとりひとりろくなことをしそうにない名前が付いています。12月12日からひとりずつ山から下りてきては、自分の名前にちなんだいたずらをしでかし、クリスマスから公現日にかけてひとりずつ帰って行きます。現在は外国のサンタの影響で、ついでにプレゼントを置いていってくれるようになったそうです。

 

公認サンタクロース

雪の中で手を上げているサンタクロースと雪だるま

公認サンタクロース

世界中の子どもたちがサンタクロースからのプレゼントを待ちわびるようになり、年老いたサンタクロースひとりではプレゼントを配ることが限界に達し始めました。そこで、長老サンタクロースを補佐するため、公認サンタクロースが認定されるようになりました。現在世界に120名ほどいて、各国で活躍しています。

主な活動は、例えば、事情があってお父さん、お母さんと一緒に暮らせない子どもや、病院に長期入院している子どものもとへクリスマスイブより先回りして訪問します。また、ラジオやテレビを通じて、サンタクロースからのメッセージを子どもたちに届けます。そしてもちろん、イブの夜には長老サンタがプレゼントを配るのを手伝います。

世界サンタクロース会議

公認サンタクロースは、毎年夏に開かれる「世界サンタクロース会議」への出席が義務付けられています。世界中の公認サンタクロースが、デンマークの首都コペンハーゲンに集結します。秘密の会議場は世界最古のアミューズメントパークといわれるバッケン遊園地の中にあり、そこで、1957年より半世紀にわたり行われ続けています。当初はデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、スペイン、オランダ、ドイツ、イギリスの公認サンタクロースが中心となり、主にクリスマスプレゼントの中身やおもちゃの流行についての話し合いがされていましたが、最近では、例えば、「地球環境の急変に伴うトナカイ生息地の減少による影響、それに伴うプレゼント代替輸送手段の確保」という議題から、「警報装置付き集合住宅における安全な進入経路の事前確認」という、ちょっと笑ってしまうような議題まで網羅されています。

公認サンタクロース認定試験

会議と並行して、公認サンタクロースの認定試験も行われるようになりました。公認サンタクロースが所属する「グリーンランド国際公認サンタクロース協会」の公認サンタクロースになるには、次のような条件や試験をクリアする必要があります。

 

  • 結婚していること
  • 子どもがいること
  • これまでサンタクロースとしての活動経験があること
  • サンタクロースにふさわしい体型であること(衣装やその他の装備込みで120㎏以上)

 

まず、これらの条件をクリアして書類審査を通過すると、候補生として認められ、試験日程通知が届きます。そして、自宅からサンタの格好で試験会場であるデンマークのコペンハーゲンへ出発します。真夏の暑さ、周囲の視線にも耐えなければならない苦行ともいえる道中です。

さていよいよ公認サンタクロース試験の始まりです。はじめに体力測定です。公認サンタクロース候補生2名ずつ競って測定します。

 

  • A:まず50mを全力疾走です。地元の子どもたちが声援を送ります。
  • B:はしごで煙突に上がり、応援している子どもたちに国旗をひと振りし、煙突に入ります。
  • C:煙突の下の段炉から出て、
  • D:袋からプレゼントを取り出してモミの木の下に置きます。
  • E:暖炉の上の山盛りの手作りクッキー6枚と牛乳568㎖を残さず食べ、
  • F:再び暖炉から入って煙突から顔を出したら再び国旗をひと振りし、
  • G:はしごで煙突から下りて、
  • H:スタートラインまでまた50m全力疾走します。

 

選考基準は2分以内。上位2名だけが次の長老サンタクロースとの面会に進みます。長老サンタクロースとの面接では、英語かデンマーク語で自己紹介をします。

次に、身だしなみの装備品のチェックが行われます。サンタクロースの衣装は支給されないので、その国ごとの風習に合った伝統的なものを自作します。

最後に、宣誓文の朗読を行います。このときはすべての公認サンタクロースの前でステージに登壇します。サンタクロースの誓いの言葉が書かれた巻き物の古文書をサンタクロースの世界共通語である「HOHOHO」だけで朗読します。数分後、長老サンタクロースがみんなの意見をまとめ、最終結果が伝えられるのです。

 

豆知識
サンタクロース,手紙,切手

サンタクロースと手紙

サンタクロースに手紙を出す

「国際機関日本サンタピア委員会」というところがあります。この委員会は、スウェーデンなどスカンジナビア地方の国やイギリス、アメリカなどと協力して、サンタクロースについての調査や研究、そして、サンタクロースと皆さんの手紙のやり取りを世話しています。この委員会を通してサンタクロースに手紙を出すと、きちんと返事が届きます。

 

まとめ

サンタクロース、その正体や役割について解説してきました。

サンタクロースを信じることは、想像力や思いやりの心を育てることにつながり、目に見えないものこそが人生を豊かにする大切なものなのかもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。