京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●この人と話そう
人に優しい空間を創りだしたい |
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落語会の後で視覚障害のある人と交流する桂福団治さん(中央)、福点さんら(京都ライトハウスで、写真・遠藤基成) |
《子どものころから落語は好きだったそうですね》
私の家に落語のレコードがありまして、それを聞いて面白いものやな、と思ったのが最初です。
テレビやラジオに出てくるガラガラ声の面白い芸人さんのファンになりまして。それが後から分かったんですが、うちの桂福団治師匠でした。見えない糸でつながっていたのかと…。
《桂福点としてデビューされたのが昨年、41歳のときですね。落語の好きな子が落語家になるまで、どんなことがあったのでしょう》
子どものころは漫画家を目指していたのです。でも目がだんだん見えなくなっていきました。
つらくてなにもかも絶望という感じになっていたとき、漫画を一緒にかいていた友人が、目があかんのやったら音楽やるか、といって始めたバンド活動が面白くなりましてね。救われました。
学校の先生からは、君は自分より重度の障害のある人に優しい。みんなを優しく、明るくするような仕事がいいんじゃないか。あせらずゆっくり生きたらええやんか、って言われましてね、なにかホッとして前へ進もうという気になりました。
《福点さんは音楽療法士でもあるんですよね》
大学で音楽療法を学び、音楽療法士として高齢の方や障害のある方のリハビリの支援などの活動をしています。落語好きですから音楽療法のバンド活動にプラスしてコントもやり始めて。
高齢の方などのなかには一日中全然笑わない人もおられるんです。笑いは大きな役割を果たします。笑いの力をあらためて感じて、笑いの世界を追究しよう、落語家に入門したい、そう思ったのです。
《どのようにして桂福団治さんのもとに?》
友人の父だった雑誌「上方芸能」の木津川計さんに、どうしてもやりたいと訴えまして、「手話落語という新たな挑戦をしている福団治くんやったら、君の気持ちが分かってくれるんちゃうかな」と、紹介してもらったのです。
「この子の夢を奪うことは私にはできません。あずかりましょう」。これが師匠の言葉でした。
で、半年間は、なまの舞台を聞いて電話で感想を報告しなさいと言われました。毎日のように電話しました。やっと感想を聞いてもらえるようになったある日、「テレビに出るだけが芸じゃない、テレビに出ない人が本当に客席を沸かしている芸がある、と最近は感じます」「やっと分かったな。じゃ、うちへ来なさい」。そこから勉強が始まりました。
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かつら ふくてん
1968年生まれ。先天性緑内障のため生後すぐ右目の視力を失い、18歳で左目も失明した。96年に桂福団治さんに入門する。福点の「点」は、点字の点と10番目の弟子であるという「ten」を意味するという。2009年11月、天満天神繁昌亭でデビューを果たした。音楽療法のほか、笑いと音楽、ゲームを組み合わせたバンド活動、戦争を題材にした講演など、多彩な取り組みをしている。大阪市在住。