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【リレーコラム】旅とファッション――非日常性と日常性のあわいで(鍋倉咲希)

PROFILE|プロフィール
鍋倉 咲希(なべくら さき)
鍋倉 咲希(なべくら さき)

立教大学観光学部助教。専門は観光社会学、モビリティ研究。東南アジアや日本国内のゲストハウスを事例に、旅先の一時的かつ流動的なコミュニケーションやつながりを研究している。主な業績は「モビリティが生み出す一時的なつながり」『年報社会学論集』34(2021年)、「旅先の『相乗り』とコミューンツーリズムの両義性」須藤廣ほか編『観光が世界をつくる――メディア・身体・リアリティの観光社会学』明石書店(2023年)など。
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旅先で身にまとうもの

一定の期間、家から離れて旅へ出るとき、人は何を身にまとっているだろう。
あなたは何を身につけ、何をカバンにつめて旅先に向かうだろうか。荷物の中身を考えるとき、まず優先されるのは機能や実用性だろう。服装や携帯品は、出張や観光などの移動目的や、旅程、行き先の気候などに合わせて取捨選択される。一方、観光の場面では実用性だけでなく演出的な側面が際立つこともある。リゾートファッションや、近年定番化しつつあるレンタル着物や韓服での町歩き、ディズニーランドでの「制服」着用や「おそろコーデ」などは、実用性とは別の基準のもと、旅を盛り上げるために積極的に選択されるファッションの代表例である。
旅とファッションの問題は奥深く、幅広い。しかしながら、このテーマに関する議論はこれまであまり蓄積されてこなかった。このコラムでは観光や移動を社会学的に研究している筆者の立場から、とくに観光者のファッションについて、非日常性と日常性に注目して読み解いてみたい。
観光は一般に、日常から離れた非日常の領域で行われると考えられている。人文・社会科学的な観光研究でも、観光は通過儀礼や巡礼などと同様に、俗→聖→俗という移行を経験する現象として議論されてきた(Smith ed. 1989=2018)。こうした一般的理解にしたがい、旅とファッションの問題も、まずはその非日常的な性質から考えてみたい。はじめに、旅先の「正装」を取り上げよう[1]

旅=ハレの場

現代において、私たちは旅先の服装をある程度自由に選ぶことができる。しかし、市民がまだ旅行に不慣れであった20世紀初頭においては、旅先では体裁のよい正装が選ばれることが一般的だった。たとえば歴史学者の有山輝雄は、日露戦争後に組織された満韓旅行において、主催者である朝日新聞社が携帯品や服装のモデルを積極的に発表したことに注目している。記事においては、上陸の際に男性は「洋服」が望ましいとされ、また、現地の不潔さを前提に、清潔さを保つためのさまざまな携帯品が紹介された。こうした発表は、単に海外旅行経験の乏しい参加者に対して新しい知識を与えること以上に、欧米基準の服装やふるまいを旅先で示すことによって文明国としての日本をアピールし、「あるべき海外旅行者」像を作りあげることに寄与した(有山 2002: 56-8)。
また、第2次世界大戦後に拡大した女性の国内旅行においても同様の傾向がみられた。たとえば、農村部の女性による旅行では和装が一般的だったが、それは冠婚葬祭で着る紋付に次ぐ豪華な着物だったという(山本 2021: 289)。当時、バスツアー等の行き先となった各地の道やトイレは必ずしも整備されておらず、服が汚れる可能性も高かったが、それでも人びとは上等な着物を着て観光に出かけた。
こうした正装の歴史からは、かつて旅は日常から離れたハレの場としての性質が強く、そこでの服装は他者にみられることを前提に選択されていたことがわかる。そこで生じていたのは、いわば旅慣れない観光者を「模範的な旅行者」に仕立てあげる演出であった。しかし、1970年代以降の経済発展や交通網の整備、観光を許容する社会意識の変化などを通じ、国内・海外旅行が日本人にとって身近なものになるにつれ、旅先で正装を着る意識は次第に弱まり、服装は過ごしやすいものへと変化していった。

旅=物語の舞台

とはいえ、旅の社会的位置づけが変化しても、旅先のファッションにみられる非日常的性格は弱まらなかった。旅が一般化して生じたのは、旅という一時的な状況を利用してふだんとは異なる自分を経験したり、自分らしさやアイデンティティを表現して旅を盛り上げたりする手段としての旅とファッションの融合であった。とりわけ、旅は自分を物語の登場人物のように演出できる舞台としてみなされるようになった。
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