ヒヨケムシ(日避虫)は、節足動物門鋏角亜門クモ綱ヒヨケムシ目に所属する動物の総称である。主に熱帯の乾燥気候の場所に分布し、巨大なはさみの様な鋏角を持つ活発な捕食者である。研究は少なく、生態面にまだ不明点の多い動物である。
ヒヨケムシは地域によって様々な通称を持つ。和名のヒヨケムシ(日避虫)と学名の"Solifuges"("太陽から逃げる者")は巣穴や日当りのない場所に身を隠す習性に由来する。英語ではそのコブのように盛り上がる頭胸部からCamel spider(ラクダのクモ)、素速い動きからWind scorpionやWind spider(風のサソリ/クモ)、昼行性の種類はSun spider(太陽のクモ、サンディエゴのスペイン人によるarañhas 'del solに由来する)、他にもRed Romanとも呼ばれる。これらのほとんどが"spider"(クモ)と"scorpion"(サソリ)という別のクモ綱の動物の名前を含むため誤解されやすい。
南アフリカでは女性の髪に引き寄せる噂からhaarskeerder(髪を切る者)[1]、古代ギリシアでは10本脚(正確には2本の触肢と8本の脚)のような外見からφαλάνγιον (phalangion、"指骨"を意味する)と呼ばれ、他にも第一次世界大戦による北部アフリカの駐屯軍からjerrymanderやjerrymunglumと呼ばれる[1]。
体長は数㎜から数㎝まで達し、陸生節足動物にしては大型種を含む。多くの種は体長5㎝辺り、最大のものは附属肢を含めて12-15㎝となる[2]。
巨大な鋏角をもち、全身に毛が生えた動物である。頭胸部前半は大きく膨らみ、後半部は第2-4歩脚に合わせて3節に分かれている。腹部は楕円形で柔らかく、体節に分かれ、えさを食べると大きく膨らむ。
頭胸部の前端中央に一対の目があり、視力は発達している。前の端からは、前向きに巨大な鋏角が突き出している。鋏角は頭より大きく、背面には不動指、腹面には上下に動く可動指があり、それが鋏になっている。毒腺はない。触肢は歩脚状に発達し、先端には収納可能な吸盤(suctorial organ)がある[3]。第一脚は細く短く歩行に使われず、感覚器官としての役割をしている。残り三対は歩行用で、第四脚が最も発達しており、その基部の下面には3対または5対のラケット器官(malleoliまたはracquet organs)と呼ばれる小さな扇状の構造が並ぶ。この構造に関する功能は不明で、感覚に関わると思われる。また、一般のクモ形類と異なり、歩脚に膝節はなく、第三、四脚の転節と腿節は更に2節に分かれる。
呼吸器官は、クモ形類には他に例がないほどよく発達した気管を持つ。腹側に頭胸部1対と腹部2対の気門を持ち、気管は全身に貫通し、脚と触肢までにも分布する。それを接続する数対の気嚢は鋏角に集約し、このような配置は鋏角の重さを減少し、鋏角のガス交換の効率を上がる為と思われる[4]。
性的二形で、雌の方が大きく、雄は細身で脚も長く、ラケット器官は雌より発達し、鋏角の上に鞭毛(flagellum)という突起や鞭状構造を持つ。この構造は科によって異なり、交接中には雌の生殖孔を塞ぐことが観察されるが、その功能は不明である[5]。
乾燥地に多く生息する。主に夜行性で、派手な体色を持つ昼行性の種類もいる。脚は速く、最速のものはおよそ時速16キロメートルまで達する[6]。 砂を掘って休憩場所を作る習性を持ち、朽ち木や礫の下にいることが多い。一日の内の活動しない時間(夜行性の種類は日中、昼行性の種類は夜)をそこで過ごす[5]。
素早く走る活発な捕食者であり、昆虫、クモなど小動物を捕食するが、ときには共食いもし、大型種は小型の脊椎動物も食べることがある。
徘徊しながら触肢で獲物を偵察し、吸盤で平滑な表面や獲物を掴み[3]、強力な鋏角によって獲物の外皮や肉を食い千切り、出血多量で弱らせてから捕食する。その過程で腹部は伸縮し、鋏角は左右相互に動きながら獲物の体液を口に運ぶ。
一方、ヒヨケムシは無毒で体も柔らかい為、天敵に狙われやすい。同じ生息地の哺乳類や鳥類など大型脊椎動物の糞から鋏角の残骸が多く見られ、特に昼行性の種類は鳥類にとって重要な獲物とされる。ヒヨケムシの背側を向いている中眼も、その敏感な視力を主に天敵への警戒に使うと思われる[5]。
同じくクモ綱のサソリ、クモとは、時にお互いを捕食する関係となる。中でも地面にトンネルを作るアシダカグモの一種は、何かのメカニズムを通じて雄のヒヨケムシをクモの穴に同種の雌が居ると勘違いさせて捕食する[5]。
刺激を受けると触肢を高く上げ、鋏角を開き、腹部を立てる動作をする。これはサソリに擬態する威嚇姿勢と考えられている。それでも相手が諦めない場合は、鋏角で噛み付いて防御する。鋏角を擦り合わせ、音を出して威嚇する種も知られる[2]。
Solpugidae科に属するヒヨケムシの一種は、黒い体に白い腹部背面を持ち、これは黒い体と白い前翅を持つ一部のOnymacris属とStenocara属のゴミムシダマシ科の甲虫に擬態すると思われる[7]。
擬態モデルとして、イランに生息するツノメクサリヘビ属のヘビPseudocerastes urarachnoidesは、尻尾先端でヒヨケムシの腹部と脚に擬態し、それを使って鳥類を誘惑して捕食する(攻撃擬態)[7]。
多くのクモ綱動物と同じく、真の交尾は行わない。配偶行動は、雄が雌に触れれば、雌は動かない状態に入り、雄は排出した精包を鋏角で拾って雌の生殖孔へ受け渡す。Eremobatidae科のヒヨケムシは例外的に、雄の生殖孔から精包を直接的に雌の生殖孔へ渡す[8]。途中で雄は鋏角を使って雌の腹部を噛んでマッサージすることも多く、相手を傷つけないように雄の鋏角は相対的に発達しないと思われる[5]。雌は雄よりも体が太っていて力が強く、配偶行動に失敗した雄や、終了後の雄が食べられてしまう事もあり、ほとんどの雄は無事に逃げ出すことができる種も知られる[5]。また、雌がハンドリングなど人為的な刺激を受けて交接過程のような動かない状態に入ることもある[8]。
産卵を迎えると、雌は深く穴を掘って卵を産む、卵の数は種によって50から200までとなる。卵の世話をする習性を持つ雌は卵を保護する間に捕食しない為、産卵の前には大量の餌を摂食する。幼生は9-10齢期を通じて成体になる。一生の寿命は1年以下、雄の方が短命と思われ、生活環は一年周期である[1]。
オセアニアを除き、砂漠などの乾燥した地方を中心として世界の熱帯から亜熱帯にかけて分布する。日本には分布しない。
化石種を含め、13科153属1100種以上が記載されている。
以下の表記した符節数は第1脚から第4脚までの符節の節数となる[9]。
大型種に嚙まれると傷つけるほど痛む種もいるが、ヒヨケムシは無毒で人間を自発的に襲う動物ではなく、傷口を下手にケアしない限り症状を起こす恐れは無いとされる[17]。
人間の日常とさほど係わりのない動物で、その奇妙な姿から「毒を持つ」「ラクダを喰う」など、不正確な情報や根拠のない噂が原産地やネットなどで誇張されて伝えられた。紛らわしい英語名に加えて、クモ(spider)やサソリ(scorpion)の仲間だと勘違いされることも多い。しかし古代ギリシアではクモと異なる動物として認識され、 クモはἀράχνη (arachne)、ヒヨケムシはφαλάνγιον (phalangion)と呼ばれる。
稀にペットとして流通するが、不明点の多い生態により確立した飼育方法は無く、人工飼育に不向きとされる。
インド産のRhagodes nigrocinctusという種に関しては、上皮腺に毒があるとの報告がインド人の研究者らによって1978年になされている。それによれば、この種の上皮腺から抽出した毒をトカゲ類に注入したところ、10匹のうち7匹が麻痺したとされる。しかし他のヒヨケムシからはそのような上皮腺は見つかっておらず、この種についての追試も行われていない。またもし上皮腺に毒があるとしても、その毒を彼らがどのように用いるのかも不明である[18]。
サソリに捕食されるヒヨケムシ。