『正しいオトナたち』真矢ミキインタビュー

11月・12月に東京、愛知、兵庫で上演される真矢ミキ主演『正しいオトナたち』。本作は、フランスの劇作家ヤスミナ・レザによる四人芝居(原題:Le Dieu du carnage)で、ローレンス・オリヴィエ賞演劇部門の最優秀新作コメディ賞や、トニー賞の演劇部門最優秀作品賞、最優秀主演女優賞、最優秀演出家賞などを受賞したほか、映画化もされた傑作です。翻訳は岩切正一郎、演出は上村聡史。キャストには、真矢に加え、岡本健一、中嶋朋子、近藤芳正が名を連ねます。

久しぶりの舞台出演となる本作について、主演の真矢さんにお話をうかがいました。


――舞台出演が約5年ぶり、ほぼ初めてに近いストレートプレイということですが、どんなお気持ちで出演を決められたのですか?

真矢「朝の情報番組をやらせていただいて約4年半経つのですが、それをやると決めたときに『あ、演劇から離れてしまう』とも思いました。でもこの4年半の間で『芝居をしたい』と改めて思うことになった。なぜなら、(番組を通して)物事の後ろや側面や裏面を見るという探求心や好奇心が育ったから。そういう見方ができるようになったとき、この状態で芝居をもっと考えたいと思ったんです。それにはストレートプレイがいいのだと思いました。少人数というのも決め手でしたし」


――この作品のどんなところに魅力を感じました?

真矢「この作品って何度読んでも悲劇か喜劇かわからないんですよ。でも、そういうことだよねと思う。私は去年、母を送ったのですが、そのとき喜劇みたいなことがたくさん起きて。お通夜ではみんな思い出話に花が咲いて、出会えたことが嬉しくて、意味のわからない感情が出てきて、何の日か忘れちゃって、みんなで棺を見てハッと思い出す、みたいな。そういう時間って、人間らしい愛おしい時間なんだろうなとも思います。だから私はこのお芝居をやりたいなと思った。掴みどころのない、人間特有のいやらしさやかわいげや純粋性がぐちゃぐちゃになって、生まれては消えていくような感覚があるので」


――『正しいオトナたち』というタイトルも印象的ですね。

真矢「“オトナ”という三文字に、虚構のようなものをつくっているなと思う自分もいます。以前は家にいる自分と外の自分の間にもっと差があったのですが、今はそれほどない。どこまでが私なのかよくわからなくなっていくようなね。でも、その蓋がポコッとはずれたとき、自分でも驚くような自分が生まれたり、自己嫌悪位に陥るような封印していた自分もまた顔を出すのか、みたいな。本当に今、この作品は、私に合っていると思います」


――というのは?

真矢「情報番組をやらせてもらっていると、毎朝、毎コーナー、みんなでひとつの同じものを見て、ひとつの話をしている。そうすると、人の考え方はこんなに違うのかということがよくわかる。自分が一番気になったことと人の気になったことが違って、自分を『自己中心的だな』と思ったり、『寛容じゃない?』と思ったり、『柔軟?でもこれ鈍感っていうの?』と思ったり。毎朝2時間、いろいろと自問自答しているんですよ。それは良くも悪くも自分がポロポロ見えてくる状況にあるんですね。このお芝居の登場人物は大人だから、ボロを隠すのも上手だし、そこを利点に見せる話術もついちゃってる。でもそれが悪く回ったときってこうなるんですね、みたいな。そういうグルグルした感情と似たものが自分にもあると思うので、それを演じて心地いいと思うのか、嫌になっちゃうのかわからないですが、自分がステップアップしたいと思うときは、やっぱりちょっと難しいことをやりたいと思うから。ぶつかりたいです」


――ご自身が演じるヴェロニックにはどういうふうに感じましたか?

真矢「歴史、特にアフリカの歴史に非常に興味を持っている、にもかかわらず現実の自分がわからない。まずそこに興味を持とうよっていう(笑)。その順番をはき違えているけど『はき違えている』とは思っていない感じが、愛おしいです、私は。知性とか知識のようなものを『自分の未来につながる階段になる』『本を読めば読むほど階段につながる』みたいに考えている人なんじゃないかと思います。現実を受け止めるってことが、もしかしたら苦手なのかもしれない。知識とか、いろんなものを引用して、(問題を)すりかえたり、ちょっとカタチを変えてみたり。そういうところは誰にでも大なり小なりあるんじゃないかな。だから脚本を読んでいると落ち込んでくるところはあります(笑)」


――二組の夫婦が出てきますが、それぞれの関係も面白いですね。

真矢「面白いですね。この4人の会話を見ていると『(例え夫婦でも)本当にみんな他人様なんだな』と思う。と同時に、“剥き出しの心”というのはみんなすごく個性があるんだなと思います。個性は魅力だし、本当は個性だけで生きられたら最高なんだけど、脚本を読んでいると、それは共存しにくいものなのかもなと思ったり。うちの夫婦(ヴェロック/真矢・ミシェル/近藤芳正)は割とクラシカルなファミリーというか、時代がどんなに変わっても、あまり変わらなくていいと思っているのかな。ただそこに全く違う夫婦(アネット/中島朋子・アラン/岡本健一)が入ってきて。アネットは資産運用の仕事で、アランは弁護士ですからね。なに?理詰めでくるの?じゃあ私たちは感情論でいくよ?みたいな(笑)。でもどの人も正解だし、間違いだから、演じるのはとても難しいと思います。だからこそ、ちゃんと側面や裏があるような芝居をしたい。単純化しないように、咀嚼しながら脚本を読まなければと思います」


――一緒に演じるお三方はいかがですか?

真矢「楽しすぎますね。ワクワクします。私が舞台を観ようと思ったときに、お名前を見たら『行こう』と思う方々だから。楽しいな、この職ってと思います」


――ちなみに演出の上村聡史さんとは初タッグですね。

真矢「はい。上村さんの斬新な演出は好きです。表現しすぎないところが想像力を掻き立てられますよね」


――真矢さんが本作を演じるうえでやるべきはどんなことだと思われますか?

真矢「自分の欠落をどれだけ認められるかとか、そこをどうやって修繕していくのかとか、そういうことへの努力ですね。これはヴェロニックがぶつかっているところだと思うのですが、本から得た知識をそのまま出すのは才能ではないじゃないですか。本で読んだことを自分の知識と間違えていて。それはあなたの考えではない、というところには気付かないのに、知識は持っているっていう感じ。私は、このお芝居もそういうものだと思うんですね。だから、脚本を自分の中でどうやって生むのか、みたいなことがたくさんあると思う。“欠落した部分”に生み出さなきゃいけないものを、どんどん生んでいきたいなと思います」


――ということは逆にその“欠落している部分”が大事になるのでしょうか?

真矢「どうしても人は…私は、かもしれないけど、自信がない部分には、自信があるものを持ってくればいい、みたいになってきちゃう。でもそれってざっくりした考えなんですよね。それをやってしまうと、何をしたって変わらないと思う。だから、顔を浸けるほどに欠落したところを見たい。そこにあるのは土も泥も埃も混ざったような水だけど、自分で一回顔を浸けてから、『これをどうやって純粋な水に変えるんだ』って。自分で何かを生み出して、構成しなくてはと思っています」


――ありがとうございました!

 

取材・文/中川實穂