“元祖アイドルレスラー”キューティー鈴木が明かす若手時代の苦悩 客より選手が多い会場、夕食代のために売ったグッズ

元女子プロレスラーで“元祖アイドルレスラー”のキューティー鈴木が現役時代を振り返った。今回はなぜ女子プロレスラーに憧れたのか。そして現役時代に体験した非日常的なエピソードを聞いた。

現在のキューティー鈴木は二人の男子を育てる母として多忙な生活を送っている
現在のキューティー鈴木は二人の男子を育てる母として多忙な生活を送っている

全日本女子プロレスに嘘の履歴書を…

 元女子プロレスラーで“元祖アイドルレスラー”のキューティー鈴木が現役時代を振り返った。今回はなぜ女子プロレスラーに憧れたのか。そして現役時代に体験した非日常的なエピソードを聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「中3の時に初めて全日本女子プロレスに履歴書を送ったんです。その時の応募資格は『160センチ以上』と書かれてあったけど、うその身長と体重を書きました。写真も上半身と全身を送るんですけど、両肩にタオルを入れて撮影した写真を送って。実際、オーディションに行ったらバレバレなんです。でも、書類だけで落とされるのは腑に落ちないところもあって、せめて書類だけは通りたいと思っていましたね」

 幼少期にビューティーペアに憧れ、中学時代にはクラッシュギャルズ、そして大森ゆかりの女子プロレスを観戦し、「これしかない」と履歴書を送付した時のキューティーの心境がこれだった。結果は中3と高1の2度応募し、いずれも不合格。

 翌年、またテストを受けようと思いながら高校に通っていた矢先、ジャパン女子プロレスが旗揚げすることを知る。

「応募資格を見たら、身長と体重の制限がなかったんですよ。だからもう『ここしかない!』って思いました。母親に『オーディションを受ける』って言ったら、『新しい団体はいつ潰れるか分からないからダメ』って言われたので、友だちに承諾書を書いてもらって。ハンコなんてどうとでもなるからってその辺のハンコを押して送りましたね」

 もちろん履歴書に書いたうそや友人に承諾書のハンコを押してもらうことが決して良くないことだとは分かっている。が、そこまでしてもプロレスラーになりたかった、というキューティーの気持ちには一片の偽りはなかった。

 しばらくすると、ジャパン女子から「事務所に来てほしい」旨の連絡が入る。

「事務所に行ったら『合格です』って言われて。親を説得しないといけないと思って、母に話したら『どうしようどうしよう』って感じでしたね。その時は、プロレスラーになるのがダメってことではなくて、高校を辞めるのはちょっと……っていう感じだったんです。だから『お母さんだけでは決められないから』ってお父さんに確認しました。そしたら、『別にいいじゃん』って言ってくれたけど、『高校を辞めてプロレスラーになる』って伝えたら、ビックリしていて。『でも、いいじゃん』って言ったよね? みたいに説得して……」

 しかし、後々になって話を聞くと、母親は塞ぎ込んで泣いてたことを兄から聞かされる。

「そこは本当に申し訳なかったかなとは思うんですけど、その時はなりたい一心だけだったので。でも実際、寮に入る日の前はすごく緊張して、食事も喉を通らない感じでした。私は本当にやっていけるのか。ちょっと怖くなりましたね」

「人間は思いやりが大事」(山本小鉄)

 ちなみに、ジャパン女子のコーチは、その時々によって何人か入れ替わった。まず最初は元プロレスラーの山本小鉄、続いてグラン浜田がコーチとして道場でキューティーらの指導に当たった。

「小鉄さんは基礎でした。他の子たちはスパーリングとか見てもらったりはしていたかもしれないけど、私は落ちこぼれだったので、基礎体力くらいしか教わってないんですね。でも、終わった後も、『人間は思いやりが大事だから』ってすごく人を育てる感じでした。浜田さんは一緒に巡業も回ってくれたので、プロレスのことを教えてくれたりとか」

 そんなキューティーに、いや、当時の鈴木由美(本名)に改めてリングネームの候補が伝えられた。キウイ鈴木、アップル鈴木、キューティー鈴木の三つだった。
「私的にはカッコいいリングネームが来ると思っていたので、どれが嫌かといわれれば、全部嫌でした。だから、どれがいいのか決められないから会社の人に決めてもらった感じですね」

 紆余曲折ありながら、なんとかデビューは果たしたものの、問題は、日によってジャパン女子は観客がまばらな日があったことだ。

「会場によっては選手のほうがお客さんより多い日もあったし、デビューして2年くらいした頃かな。『今日のご飯代がないからグッズを売ろう』って、必死になってパンフレットやグッズを売ったりした日があったんです。それがホントなのか冗談なのか。その頃は若かったし、何も分からなかったから、こういうもんなんだって思っていたからそこまで気にしてなかったですけどね」

 また、デビューからしばらく経つと、なぜか大仁田厚が道場に出入りすることに。だが、これに関してキューティーらは、あまり良い印象を持っていなかった。

「大仁田さんにはあんまり教えてもらったことはないですね。なぜかいた感じでした。その頃にはデビューして2、3年は経っていたんですけど、私は大仁田さんを知らなかったんです。だから、いきなりカラダのデカい知らないおじさんが道場に来て、突然、ギャアギャア怒り出してるっていうか。こっちは女子だから、そんなの完全にスルーですよね。もちろん大仁田さんは一生懸命に言っているんですけど、みんな知らない雰囲気でした。たぶんやりづらかったと思いますよ。なんで俺の言うことを聞かないんだろうって。でも、私たちからすれば、もうそれなりにオリジナルの技を持っているのに、いきなり『お前はこれを支え』って言われても、素直に聞けなかったですね」

 結局、キューティーはそこから約12年間の現役生活を送り、1998年12月に引退。現在は主婦として夫を支え、また、2児の母として子どもたちの成長を見守る日々を送っている。

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