――寛解したら別の課題があるんですね。自分を苦しめている生き方の癖、うつ病の原因のようなものはどうやって見つけていきましたか。

 隣で見ていると何となく分かっていったというか……。徹夜して何かに夢中になっていたり、やり過ぎていることがあったりしたら、後で必ず体調崩したので、そこに原因があると分かるようになっていきました。体調を崩す前に何が起きているのかを周りの人が見てあげるのが、結構重要だと思います。

――病気に向き合うのは苦労も多いと思います。離婚や別居を考えたことは。

 ないです。理由は家族だから、ですね。その人が自分にとってどれだけ重要かで考えればいいと思います。私の場合は、料理も家族以外の人とのコミュニケーションも、自分ができないところをツレにやってもらっていて、片方の自分みたいな感じでしたから。

 ツレのうつ病と向き合った3年間は、私達2人にとってはすごく大事な時間でした。自分達の良いところや悪いところに気付くことができたし、それが無かったら結構生きづらい人生だったかもしれない。お互いに相手を思いやることもできていなかったと思います。病気をきっかけに2人の関係性を取り戻せるチャンスでもあると思うので、どうやって相手を思いやれるかなと考えてみるのもいいのではと思います。

■「誰かに話したい」受け止める場を

 2007年に寛解して、少し前までは台風が来ると「頭が痛い」と寝込んだりしていましたけど、もう大丈夫になりました。飲んでいる薬も、今は胆石の薬だけです(笑)。当時、生まれた子どもは中学3年生になりました。もう全然喋ってくれませんし、部屋からほとんど出てきません。

――06年に『ツレうつ』を出版して15年以上が経ちますね。今も反響はありますか。

 ありますね。会った人に直接「本に支えられました」「励まされています」と言ってもらうことが多くて、それは最初の頃から変わりません。みんな話せる場所がないんだと思います。

 自分の住む街に何でも話せる場所があったらいいなと思い、3年前に宝塚市で「生きるのヘタ会?」を立ち上げました。そこには友達や親、家族にも話せなくて、ここに来たという人が多いです。うつ病に限らず、認知症でも誰でも参加OKで、毎月1回、15~20人が集まっています。悩みじゃなくても、モヤモヤしたことだったらなんでも話していいので、内容は毎回違います。年齢も幅広くて10~70代ぐらいまでいるので、子どもの立場からの意見や年配の人からの意見が交錯することもあります。でもこの会は「何も効果がありません」というのが前提。それでも誰かに話したいということなんだと思います。

(聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)

『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋
『7年目のツレがうつになりまして。』(細川貂々著/幻冬舎文庫)より抜粋