絵巻で見る 平安時代の暮らし

第69回『年中行事絵巻』巻九「祇園御霊会の神輿遷幸」を読み解く

筆者:
2019年1月16日

場面:祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)で神輿の遷幸がされるところ
場所:平安京の大路
時節:六月十四日

人物:[ア]駕輿丁(かよちょう) [イ]童 [ウ]水干烏帽子の神人 [エ]僧侶 [オ]榊を持つ童 [カ]・[キ]巫女 [ク]口取 [ケ]・[コ]神人 [サ]長い棒を持つ童 [シ]田楽の先頭 [ス]牛飼童 [セ]供人

神輿関係:①牛頭天王(ごずてんのう)の神輿 ②婆利女(はりめ)の神輿 ③八王子の神輿 ④葱花輦(そうかれん) ⑤鳳輦(ほうれん) ⑥引綱 ⑦鈴 ⑧総(ふさ) ⑨宝形造(づくり)の屋根 ⑩露盤(ろばん) ⑪大鳥の鳳凰 ⑫野筋 ⑬軒面 ⑭延屋根(のべやね) ⑮蕨手(わらびて) ⑯小鳥の鳳凰 ⑰銀杏 ⑱鳥居 ⑲擬宝珠(ぎぼし) ⑳囲垣 ㉑鏡 ㉒台輪(だいわ) ㉓担ぎ棒 ㉔剣巴文様(けんどもえもんよう)の飾り ㉕腰幕 (*⑥~㉕の番号は、以下の本文中画像に示す)

衣装・持ち物など:㋐鳥甲(とりかぶと) ㋑獅子舞 ㋒獅子の腰幕 ㋓太鼓 ㋔・㋩横笛 ㋕・㋡藺笠(いがさ) ㋖幣 ㋗榊 ㋘風流傘 ㋙市女傘 ㋚・㋟扇 ㋛懐紙 ㋜轡(くつわ) ㋝布衣(ほい) ㋞腹巻に水干 ㋠刀鞘 ㋢鐙(あぶみ) ㋣高足(たかあし) ㋤・㋦腰太鼓 ㋥桴(ばち) ㋧編木(びんざさら) ㋨鼓 ㋪牛車

はじめに 今回は、第66回で見ました田楽の場となった祇園社(明治以降は八坂神社に改名)の祭礼、祇園御霊会(祇園会とも)を採り上げます。疫病流行をもたらす疫神を鎮めるため、九世紀頃に庶民によって始められ、十世紀後半には形が整ったとされる祭礼です。今日でも八坂神社の祇園祭として引き継がれています。

祇園御霊会 祇園御霊会は、神輿洗い・神輿迎えなどがされて、陰暦六月七日に神輿の御旅所(おたびしょ)への神幸(渡御)が行われます。神輿は七日間、御旅所に留まった後、十四日に祇園社に遷幸しました。祭の最高潮となるのが遷幸の行列で、都大路で盛大に催されました。山鉾巡行が盛んになるのは室町時代以降で、平安時代は神輿の巡幸が主でした。

遷幸の行列 『年中行事絵巻』巻九には、遷幸の行列として、田楽、乗尻、幣を付けた榊を持つ童、御幣を持つ童、風流傘や市女傘の騎馬の巫女、散手(さんじゅ。雅楽名)の一人舞と楽人、獅子舞と囃子方、四神の鉾、三基の神輿、騎馬田楽、騎馬の神官、騎馬の細男(ほそおとこ。舞人)、御旅所などが、巻十二には、御旅所と馬長(うまおさ。騎馬で行列に供奉する者)の一団が描かれています。全体を通して見ますと、当時の様子がよくうかがわれます。今回見ますのは、行列の中心となる三基の神輿が描かれた場面です。

三基の神輿 それでは、三基の神輿を確認しましょう。神輿には神社の祭神の霊が宿されます。祇園御霊会では、先頭が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の垂迹(すいじゃく)とされる①牛頭天王、中が櫛稲田比売命(くしいなだひめのみこと)の垂迹とされる②婆利女、最後が牛頭天王の御子神八座の③八王子となります。

神輿には神霊が宿りますので、その形状は天皇用の輿となる、屋根の上部に鳳凰を載せた鳳輦(ほうれん)と、葱花を載せた皇后用の葱花輦(そうかれん)を模しています。婆利女だけが女神ですので④葱花輦になり、他の二基は男神ですので⑤鳳輦になっています。後ろの二基は簡略に線描されていますが、先頭の神輿と基本的に同じ構造と見られます。

神輿を担ぐ[ア]駕輿丁は、それぞれ四人ずつで、舞楽用の㋐鳥甲を被っています。四本の⑥引綱には⑦鈴や⑧総が付けられ、[イ]童、[ウ]水干烏帽子の神人、[エ]僧侶などが引いています。引綱四本は、天皇の鳳輦では互いに引き合うことで揺れを防ぐ役割を持っていましたが、神輿ではその働きをしていませんね。今日の神輿に飾り紐が付くのは、この引綱の名残なのでしょう。

神輿の構造 神輿の構造をさらに①牛頭天王の神輿で見ていきましょう。原典でもはっきりしませんが、各部には螺鈿・漆塗・金細工などがされていたと思われます。

⑨屋根は宝形造で、頂の⑩露盤の上に⑪大鳥の鳳凰が据えられています。四面の屋根は⑫野筋で接合し、⑬軒面は直線となる⑭延屋根になっています。軒下の四隅からは蕨の形となる⑮蕨手が上部に延ばされ、⑯小鳥が載せられています。この小鳥も鳳凰と思われます。この四隅から下げられている飾りは、金細工の⑰銀杏でしょう。

屋根の下は、神社の構造となります。宝形造の神輿は各面が正面になるようにしますので、四面とも同じ形となります。⑱鳥居と⑲擬宝珠の付いた⑳囲垣が施され、その奥は描かれてはいませんが、神殿になるはずです。鳥居の上部に三つ並ぶ円形は㉑鏡になります。

下部は土台で㉒台輪と呼びます。㉓担ぎ棒を通す穴を二条備え、側面には㉔剣巴文様の飾りが施されています。台輪の下には㉕腰幕が下げられています。

こうして神輿を見てみますと、今日のものとほとんど変わらないことに驚かされます。また、現存する平安時代末のものとされる和歌山県紀の川市の鞆淵八幡(ともぶちはちまん)神社の沃懸地螺鈿金銅装(いかけじらでんこんどうそう)の神輿とも似ていると感じられます。装飾はさらに細密・豪華になっていきますが、画面の神輿は、その原型を示していると言えましょう。

獅子舞 続いて行列の様子を見ていきましょう。画面右側には邪気払いとなる二人立の㋑獅子舞がいます。獅子舞の「しし」はイノシシ、カノシシの「シシ」と同じで田畑を荒らす野獣の意味でした。中国から伎楽(ぎがく)の獅子舞が伝わってきますと、「シシ」は邪気や悪疫を払う霊獣となり、その舞は各種の芸能に取り入れられていきました。画面の㋒獅子の腰幕が、獣の体毛に似せてあるのは、野獣としての面影を残しているのでしょう。

獅子舞はお囃子に合わせて舞われます。画面でも、二つの㋓太鼓と㋔横笛で囃されています。囃子方は㋕藺笠を被って芸能者であることを示していますね。

幣の付いた榊 獅子舞の後ろには、㋖幣の付いた㋗榊を持つ[オ]童がいます。こうした童は、祇園御霊会の場面でたくさん登場しています。行列に加わっているのです。

騎馬の巫女 騎馬の威儀の巫女に目を転じましょう。奥の[カ]巫女には㋘風流傘が立て掛けられ、手前の[キ]巫女は㋙市女傘を被っています。どちらも右手の㋚扇と、左手の㋛懐紙で顔を隠すようにしています。

 

馬の脇には[ク]口取が㋜轡をおさえ、背後には㋝布衣や、㋞腹巻に水干を着た[ケ]神人が従っています。[キ]市女傘の巫女の後ろでは、ひと悶着があったようです。注意するのでしょうか、㋟扇を指して走ってくる[コ]神人がいます。その腰には㋠刀鞘が見えます。

騎馬田楽 最後の神輿に並んでいる一団は、騎馬田楽です。皆、ここでも㋡藺笠を被っています。また、裸足を直接㋢鐙に載せています。

 

先頭の馬の前に、[サ]長い棒を持つ童がいますが、これはお分かりですね。第66回で見ました、㋣高足用の棒でした。以下の田楽の用具についても、同回を参照してください。

[シ]先頭の者は大きな㋤腰太鼓を腹の上に載せてのけ反り、交差させた㋥桴で打たんとしています。大きく口を開けているのは、掛け声をかけているからでしょう。おかしみを誘います。

この後ろには、同じく㋦腰太鼓を打つ者、㋧編木をかざす者、㋨鼓を打つ者、㋩横笛を吹く者などがいて、盛んに演奏しています。先の獅子舞のお囃子と共に、祭は喧噪に満ちています。

見物人たち 祭礼には必ず見物する人たちが集まります。画面では、㋪牛車が立っているのが目につきます。しかるべき身分の者になります。車の右側に坐るのは [ス]牛飼童や[セ]供人たちでしょう。

この他に老若男女の庶民が描かれています。祭礼は大きな楽しみなのです。

絵巻の意義 今日、祇園祭と言えば、山鉾巡行が有名です。しかし、神輿洗いがされ、三基の神輿巡幸も行われています。今の神輿は、絵巻のものとは形が違い、また、多くの担ぎ棒が渡されて、大勢の人たちが担いで豪壮です。見物に訪れる際には、是非ともこの絵巻を見て往時を偲んでほしいものと思います。祇園祭の原型に近い姿が描かれたところに、この絵巻の意義があるのですから。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、同じ『年中行事絵巻』から、稲荷祭の様子を取り上げます。お楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております