吉野ヶ里遺跡に眠る王は「古代中国の伝説の男」か、史料から正体を大胆予想吉野ヶ里遺跡 Photo:PIXTA

佐賀県には「徐福伝説」なるものが存在する。徐福とは、秦の始皇帝の命令で不老不死の仙薬を探しに行き、そのまま国外で王になったとされる人物だ。その徐福が、佐賀県を訪れていたというのである。時代背景を考えると、徐福が中国を発ったとされるのは紀元前210年。佐賀県の歴史的名所・吉野ヶ里遺跡において、「クニ」の始祖となった王の墓が建てられたのも約2200年前であり、つじつまも合う。そこで本稿では、「徐福=吉野ヶ里の王」という新説を大胆に提唱したい。(作家 黒田 涼)

異国の地で王になった徐福は
実は日本に来ていた!?

 佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の日本における国家形成期の「クニ」の全貌がわかる遺跡である。現在はほぼ全域が史跡公園となり、国の特別史跡に指定されている。

 高さ十数メートルもある物見櫓(ものみやぐら)や祭殿の復元が有名だが、遅れて公開された北墳丘墓には歴代の吉野ヶ里の王が葬られている。個人的には、その初代は有名な伝説の人物ではないかと夢想している。

 徐福という名を聞いたことがあるだろうか。秦の始皇帝の命令で不老不死の仙薬を探しに行った、という人物である。探検家のようなイメージをお持ちの方もいると思うが、そうではない。

吉野ヶ里遺跡に眠る王は「古代中国の伝説の男」か、史料から正体を大胆予想徐福長寿館の徐福像=佐賀県佐賀市

 漢代の史書「史記」によれば、徐福は「三千人を引き連れて渡海し、平原光沢を得て、王となって帰らなかった」とある。すなわち、大移民船団を率いた人物なのである。そして、その到着地は日本とされている。

 史記の内容は「伝説・空想の類い」だという認識も多いと思う。しかし、著者である司馬遷が史記の執筆を始めたのが紀元前100年頃。徐福の出発は紀元前210年なので、110年しかたっていない。司馬遷は遠い昔ではなく、曽祖父あたりの世代の出来事を記したことになるため、一定の正確性はあるのではないか。

 また、中国では徐福について「始皇帝をだまして資金を得た」「日本に永住して子孫は交易に来た」「日本人の祖先は徐福である」などという話も伝わっている。1981年には、中国・江蘇省で「徐福の生まれ故郷」との伝承を持つ村も見つかった。

 ただし、中国での徐福の評判は、あくまで「秦の時代に大挙して海外移住を行い、うまく立ち回って資金を得た人物」というものが中心だ。「不老不死の薬を探しに行った人物」というのは、付け足しの話である。

 実は「徐福がやってきた」という伝説が佐賀県にはある。