「あんなにおとなしくて、この世界大丈夫かな?」と思われて…35歳になった平野綾の“同級生と話せなかったころ” から続く

 2011年に事務所を移籍した平野綾は、活動の軸足をミュージカルへと移す。2013年には『レ・ミゼラブル』ではじめて帝国劇場の舞台にも立つ。翌2014年には『レディ・ベス』で初主演を務めた。だが、その最中に最愛の父が逝去する。

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父の存在は「私の理想です」

――お写真を拝見すると、とても優しそうなお父様ですね。

平野 本当にそうでした。葬儀に来てくれた方に話を聞くと「すごく物腰が柔らかくて、みんなに優しい」と言われました。あと、「誰よりも早く出社して、ひとりでコーヒーを飲んでいる。喫茶店のマスターみたいな人でした」とも聞きましたね(笑)。

――お父様はどのようなご病気でしたか?

平野 癌です。最初は大腸癌ということでしたが、そこは転移先であって、原発巣はおそらく虫垂癌でした。開腹したけどあちこちに転移していたので、そのまま閉じただけだったんです。

 時間があったらできるだけ実家に戻るようにしていました。病院から出て在宅看護になった時期もあったので、母がすごく頑張ってくれていたんですけど、その間に母方の家で不幸があったり、実家のワンちゃんが亡くなったり、だいぶ精神的にまいっていたと思います。

――病床のお父様とは、どのような話をされましたか?

平野 父はけっして死ぬつもりはなく、「絶対復帰する」と言ってました。余命宣告をされたときも、まず最初に「いつだったら仕事に復帰できますか?」と聞いていたくらいです。「格好いいな、お父さん」と思いましたね。

――お父様はどのような存在ですか?

平野 私の理想です。仕事の仕方にしても、知識の学び方にしても、すべて父を手本にしてきました。父は外資系の放送局で仕事をし、「世界で活躍する」という理想に邁進していました。病気が分かった頃も、年齢的にはもうベテランなのに、ものすごい量の仕事を抱えていて。ジャンルこそ違えども、私も父の志を引き継ぎたいと思っています。

2023.04.08(土)
文=加山竜司