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佐藤道郎コラム 第26回「俺の野球人生の分かれ道? 移籍先に大洋を選んだ理由は」

 

大洋1年目の佐藤氏


大洋は超管理野球だった!


 この間も話したけど、南海ホークスから好きで離れたわけじゃないよ。俺の青春時代みたいなものだし、大阪の街も大好きだったしね。ただ、プロの世界はいらないと言われたら、そこまでさ。

 1977年、野村(野村克也)さんがマミー(沙知代夫人)のこととかいろいろあって監督を辞め、一選手としてロッテに移籍になった。そのとき野村さんを慕う江夏(江夏豊)や柏原(柏原純一)が志願して移籍したり、南海はかなりバタバタした(江夏は広島、柏原は日本ハムに移籍)。

 野村さんのあとは広瀬(広瀬叔功)さんが監督になって、次の年も俺は先発でスタートしたけど、肩痛もあって3勝8敗と結果が出なかったんだ。それでオフ、球団代表と広瀬さんに呼ばれて、「ミチ、お前は来年の構想に入ってない」と通告されちゃった。

 そのとき、「ミチは南海に功績があったから、行き先を選んでもいいよ。今、大洋と巨人から声がかかっているけど、どっちがいい?」と言ってくれた。運命の分かれ道だね。そのとき俺の頭に浮かんだのはオヤジの顔だった。超巨人ファンだから巨人を選んだら喜ぶだろうけど・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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