週刊ベースボールONLINE

ホークス球団創設85周年

本多雄一が語る2011年のキャリアハイ、そして完全優勝「カネを稼ぎたいのなら自分で考えて練習を」/ホークス球団創設85周年【第4回】

 

2023年、ホークスは球団創設85周年とドーム開業30周年のダブルアニバーサリーイヤーを迎えた。ここでは「あの時のホークス、あの時のドーム」を振り返り、過去から未来へと受け継がれるホークスの歴史を紹介し、未来につながる野球の魅力を発信していく。第4回は2005年大学・社会人ドラフト5巡目でソフトバンクに入団。2011年にはフルイニング出場を果たし打率.305、60盗塁で2年連続盗塁王、ゴールデングラブ賞にも輝き8年ぶりの日本一に貢献した本多雄一氏(現・2軍内野守備走塁コーチ)に話を聞いた。

互いに技術の高さを知り信頼しあい役割を果たした本多と内川


2011年10月18日vsオリックスの初回のシーンは「めちゃくちゃ覚えていますよ」と語る本多


 ソフトバンクにとっての2011年は2004年オフにダイエーから球団を買収して以来、初となる日本一を達成し、全球団に勝ち越し、セ・パ交流戦、リーグ連覇と合わせた「完全優勝」も果たしたメモリアルイヤーでもあったが、その快挙の原動力ともいえたのが、10月18日京セラドーム大阪vsオリックスで見せた“攻撃パターン”だった。

 オリックスはこのシーズン最終戦に勝てば「3位」となりクライマックスシリーズ進出を果たせるところまで迫っていた。勝負の分岐点はいきなり初回に訪れた。オリックスの先発はエース金子千尋。その前年には17勝を挙げ最多勝。9月には4試合で2完封を含む3勝をあげ36イニングで自責点1防御率0.25をマークし、許した四球も2つだけで月間MVPを受賞、その精密機械のような投球を見せ続けてきた右腕がソフトバンクの機動力の前にいきなりリズムを狂わされた。

 1死から本多雄一が四球で出塁するとすかさず二盗を成功させる。この1死2塁から3番内川聖一(現・独立リーグ大分B-リングス)が中前へタイムリー。オリックスはその初回の失点を逆転することができないまま1-4で試合を落とし3位の西武とわずか勝率1毛差でAクラス入りを逃すことになった。

「1年間で初回に走者なしで四球なんか初めてやったと思うわ。金子って、そんなピッチャーとちゃうんや。やっぱり金子でも勝ったらクライマックスシリーズに行けるとか、そういうゲームになるとこんなピッチングになってしまうんやと思ったわ」

 敵将の岡田彰布監督(現阪神監督)をこれほどまでに悔しがらせたシーンを本多は「めちゃくちゃ覚えていますよ」と語った。

 オリックスのエース金子は盗塁を阻止するためのクイックモーションも「遅いわけじゃないんです」と本多は振り返る。二盗成功の可否を左右する投手のクイックモーションは、投球の始動からボールが捕手のミットに収まるまで「1秒2」を切るか切らないかが分岐点ともいわれたが、金子のようなチームのエース級になるとストレートの時は「1秒1」台。捕手の二塁送球は「2秒」が基準で強肩と呼ばれる捕手になるとこの「2秒」の壁も楽々と破ってくる。本多クラスの俊足だと、スタートを切って二塁に到達するまでは3秒2から3秒3。つまり投手がストレートを投げたときの二盗は、成功か否か、机上の計算ではまさにギリギリ。スタートが少しでも遅れたり、投手の牽制球を警戒してリードが半歩でも小さくなったりしてしまえばたちまちアウトになる確率が上がる。

 2番本多と3番内川との間には“約束事”ができていた。

「真っすぐでも絶対にセーフになる自信はありました。それでも僕が走って真っすぐが来たら『とことん打ってもらっていいですから』って内川さんには言っていたんです。別に僕の盗塁成功とかどうでもいいんです。内川さんの打ちやすい球がきたら打ってくださいと。内川さんは真っすぐが来たらライト前へ打つ。しかもライト前へ打つのが得意なんですよ。選球眼もいいんでちょっと変化球だと思ったらもう打たない。それで盗塁セーフです。変化球だったら盗塁がセーフになる自信が全然あったんです」

 それぞれの役割を果たす。しかも互いの技術の高さを知り互いに信頼している。本多が走って内川がライト前へ流せばたちまち1、3塁とチャンスは広がる。単独スチールが決まれば、得点圏に走者を背負って相手投手は内川に対峙しないといけない。その年内川は打率.338で史上2人目の両リーグでの首位打者となりリーグMVPを獲得している。盗塁王を警戒しながら首位打者と対戦するのだから、相手にかかるその重圧たるや計り知れないものがある。

固定された川崎&本多の1・2番コンビ


2011年は公式戦158試合中157試合で川崎と1・2番を組んだ本多


 また、2011年の打順では1番川崎宗則、2番本多雄一のコンビはシーズンの144試合、クライマックスシリーズの3試合、日本シリーズでの7試合、一度たりともこの組み合わせは変わらなかった。その年アジアシリーズが開催されたのだが4試合のうち1試合のみ1番本多、2番今宮健太というパターンがあっただけ。つまり公式戦158試合中157試合が川崎&本多の1・2番コンビだった。

「固定した方が戦いのベースはできると思うんです。例えば僕はバントができるけど、入れ替えた選手がバントができなかったら、それでまず歯車が狂うんですよ。だからやっぱり1番2番は変わらない方がやりやすいですね。試合に入るルーティンとかピッチャーに対してのリズムとか、シーズンを戦ってくればもうだいたい分かってくる。それが9番とかに入ってしまうとまずリズムが崩れる。それはたぶん1番2番を打っている人じゃないとわからないかもしれませんね。1番2番を固定することでベンチがサインを出さなくても2人のアイコンタクトで『俺走るから真っすぐ来たら打ってくれ』『走ったときに変化球だったら、見逃してくれ』って2人でサインができているんです。そういうのができるのが“固定”なんです」

 その年川崎も31盗塁をマークしている。つまり本多と2人で91盗塁だ。チーム盗塁数でリーグ4位の日本ハム、西武がともに88、オリックスは49だからこの2人の機動力がいかに驚異的だったのかがこの数字に証明されているだろう。

「だからムネさんが塁に出たらずっと走るまで見ているんです。1、2球目までなら走って真っすぐだったら打つ。そうするとランアンドヒットになりますよね。そうやって自分たちだけの成績じゃなくて自己犠牲になる精神が持てるか。得点圏に進めるわけですから要は犠牲バントと同じ。その“犠牲”になるのはどんな形でもなれる。バントだけじゃなくて、常に一塁ランナーを助けてあげることも2番打者の役割だと思うんですね」

 そもそも「2番」という「つなぎ役」の“制約”もつく。その年本多の犠打数は53でこれはリーグトップの数字だ。それでも本多の打率は3割を超えキャリアハイの60盗塁をマークしているのだ。プロ通算342盗塁は、球団史上でも広瀬叔功(596)、木塚忠助(434)に次ぐ3位、243犠打は今宮に次ぐ2位。チームを動かすための“歯車”として抜群の働きを見せながらも個人としても輝かしい記録を生み出している。

松田に勝たないとレギュラーになれない


2005年12月5日の新入団選手発表。上段右から2番目が本多、王監督の左が松田


「足が速い。誰だ、アイツは?」

 本多の「足」を見出したのは、ルーキー当時の監督王貞治だった。本多は2005年大学・社会人ドラフト5巡目で指名を受けているがその時の1位が亜大出身の三塁手松田宣浩だった。三菱重工名古屋では都市対抗に3度出場するなど、21歳ながらキャリアは十分の本多は松田とともに2月の宮崎キャンプでルーキーながらA組に抜擢されてはいたが、やはりどうしても将来の主砲候補と位置付けられた松田の“影”に隠れてしまう。

「松田さんの名前ばっかり出るんですね。ドラ1だし希望枠だし……。ドラ1だから当たり前だとは思うんですけど、それがなんかめっちゃ悔しかったんですよ。この人に勝たんと俺レギュラーになれないなと思ったんです。仲間ですけど結局はライバルというか、蹴落とさないと自分が生き残れない。そういう気持ちは今の選手にも持って欲しいですね」

 2018年の現役引退後、2019年から4年間は1軍内野守備走塁コーチ、2023年からは2軍内野守備走塁コーチを務めている本多の、現在の立場も踏まえた“述懐”はプロの世界を生き抜くための「心の在り方」を問うものでもある。

「ホームランバッターっていっぱいいるじゃないですか。その時だって(フリオ)ズレータ(2003〜06年在籍)さんとか、松中(信彦・2004年の三冠王)さん、小久保(裕紀・現ソフトバンク2軍監督)さん。そんなところで俺どうやって生き残るんやろって思いました。これマジで思ったんです」

 並み居る先輩たちの中で、埋もれてしまいそうになる自分を奮い立たせたのは、王が見出してくれた「足」だったのだ。

「あ、これは『足』で生きていかないといけないって思ったんです。それから1年目はもう足と守備を鍛えようと思ってひたすら泥んこまみれになって球を追いました」

 本多の練習ぶりは半端ではなかった。キャンプでの全体練習が終わるとサブグラウンドでノックの名手、当時チーフ兼内野守備走塁コーチを務めていた森脇浩司との“闘い”が始まる。

「もう、対森脇さんになっていましたからね。絶対森脇さんがへばるまで、俺は絶対にへばらんみたいなね。あの人ノックがうまいんです。ギリギリのところに打つんです」

 ある時、報道陣のリクエストで「レフトポールに当ててください」と言われた森脇はその1球目で簡単に成功させたという逸話を持つほど正確無比で巧みなノックを打つ。本多へのノックでも、打球に対して最短距離で足を運び自らの体を寄せていかないと捕れないようなところへ転がしていく。

「キツいながらも、うわーって叫んだりしましたね」

 本多はグラウンドで、何度となく“悲鳴”を上げたという。

「球を追って自分の足を動かして捕球態勢に持って行く。これ、もう反復練習すれば今の人もそうですけど必ず勝てると思うんですよ。今宮(健太)だって、それを鳥越(裕介・元)コーチとやってきたんです。今は球を追わなさすぎる。その前に体力が全然ない。体力ってやらんかったらつかないわけなんです。上手くなりたいばっかりで、今はYouTubeを見て形ばっかり真似しようみたいなね。そんなのではプロ野球無理ですよ。そんなに現実は甘くないよって。ただ、僕らがやったから『やれ』っていうのではないんです。でも守備の上手い人に話を聞いたら、大抵の確率で『球を追ってきた』って言うんです」

 練習の効率を考える。疲労を残さない。故障を避ける。そのような選手それぞれのコンディション維持のための“一定の配慮”は必要だろう。しかし本多が言うように、ひたすらノックを受け守備を鍛え下半身を鍛える。その泥臭く地道な反復練習なくして一流への階段は決して上れないのだ。

積み重ねの結集により2011年のキャリアハイ、そして完全優勝に繋がった


2011年のホークスは全球団勝ち越し、リーグ戦優勝、交流戦優勝、クライマックスシリーズ制覇に続き日本シリーズも制覇する「完全優勝」を果たした


 本多のプロ入り時の公称身長、173cmの体は球界では“小柄”と称される。そのサイズの違いは明確にパワーの差となって表れるのも、この世界の恐ろしさだ。ならば己の特徴をどこに見出すべきなのか。名門・鹿児島実時代、冬の寒い早朝からランニングを行い、霜が降りてぐちゃぐちゃに湿っているグラウンドで腹筋と背筋をこなし、汗と泥を拭うために、温水シャワーがなかったその時代に、トイレの水道を使ったと言い「そりゃ、風邪ひかなくなりますよね」と本多は笑いながらその“思い出”を披露してくれた。高校3年間で甲子園出場こそならなかったが「よりレベルの高いところで野球をやりたい」と進学ではなく社会人の三菱重工名古屋でのプレーを選択した。

「大学へ行くという“遠回り”より、プロへの近道でと思って社会人に行ったんです。当たって砕けろ、だから“賭け”ですよ。自分が言った以上は、やらんとしゃあない。だからひたすら練習しました。それでも『壁』にぶち当たりましたよ。スピードも全然速かったし、打球の速度も『こんなの高校の時に見たことがないぞ』みたいなね」

 だからこそ必死になる。自分で考えるし工夫する。己の前に立ちはだかるその高い壁を超えるために何をすべきなのか。その答えは、時代が変わろうとも同じだ。愚直なまでに徹底的にできるまで「練習」をするしかない。

「自ら何かを得たいと思って練習をする。そういう姿って、例えばピッチャーが投げていて『こいつはあれだけ練習しているんだから、こいつがエラーしたらしょうがない』と思ってくれるくらいに僕は練習していたんですよ」

 だから本多は社会人時代、試合中にピンチを迎えた際、自分より年上の投手に向かって「全部僕のところに打たせてください」と言ったことすらあるのだという。

「それくらい言える経験、自分がやってきたという自信、それはプロに入ってもそこが必要なんです。高校時代には甲子園にも行けなかったけど社会人に行って経験したこと、今となっては正解だったんだなと。全然すべてが無駄じゃなかったんです」

 その積み重ねの結集こそが2011年のキャリアハイ、そして完全優勝という美酒を味わえたことにも繋がっていくのだ。

「カネを稼ぎたいのなら自分で考えて練習をしなさい。これは絶対野球だけじゃないです。仕事で“上”に行きたいのならってなる話なんです。その気にさせる、成長させるために、こういう練習法もあるっていう選択肢を与えるのも僕の仕事なんだと思います。気づかせて、自分で考えて向上させる。技術と脳、それも“野球脳”にしていく。その辺は、選手と一緒になってやっていかないといけないですね。彼らがどう考えているのか、例えば選手が6人いたら6人とも違う。性格も動き方も野球の観点も違う。そういった意味では自分が成功するためにどういう風な視点にしていくのか、という話はしていかないといけないですね」
 
 本多は「足」と「守備」を生かしプロの世界を生き抜いてきた。そのストロングポイントを自覚しそれを伸ばすためにたゆまぬ努力を積み重ねた末に「盗塁王」と「ゴールデングラブ賞」という足と守備の『頂点』にも立てたのだ。2011年の歓喜を後輩たちにも味わってほしい。自らが“体得”してきたことを後進に伝えていくことこそ指導者としての本多に課せられた新たな使命でもあり、それがホークスというチームに脈々と息づく『伝統』でもある。

文=喜瀬雅則 写真=筒井剛史、BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング