「サンデー・ジャポン」や「はなまるマーケット」などで活躍した、元TBSアナウンサーの海保知里さん。小学生のころは帰国子女として文化の違いに戸惑い、中学生時代はひどい反抗期だったそうです。(全4回中の1回)

必死で勉強したアメリカでの小学生時代

── 海保さんは英語が堪能ですが、小学生のころアメリカに住んでいたそうですね。

 

海保さん:父の仕事の都合で、6歳のときアメリカに渡りました。アメリカでも小学校を転々としたので、環境の変化に適応するのが大変でした。とくに最初のころは英語が分からなかったので、友達とコミュニケーションが取れず、授業も分からず、すごく困惑しました。

 

「何とか授業についていかなきゃ」「早く英語をマスターしなきゃ」と、毎日必死で勉強して、やっと英語や授業を理解できるようになったとき、現地の友達から「勉強頑張ったね!」と言ってもらえたんです。そのとき、「努力が認めてもらえた!」と、すごく嬉しかったのを覚えています。

 

でもそんなとき、日本への帰国が決まって。「せっかく英語をマスターしたのに、帰りたくない!」と反発しましたが、まだ小学6年生だった私は両親とともに帰国するしかありませんでした。

 

幼少期はアメリカで過ごした海保さん

── 帰国後、日本の生活にはすぐ馴染めましたか?

 

海保さん:帰国当初は、日本の植物や、地理・歴史の知識がほぼなかったので、理科や社会の授業についていけず、必死に勉強する毎日に戻りました。他の教科でも、英語なら分かるのに日本語が分からないことがあって混乱しました。

 

あと、日本の学校では、女の子たちが休み時間に連れ立ってトイレに行く文化がありますよね。帰国当初は、「なんで?」とすごく不思議でしたし、男の子がスカートめくりをしていて心底衝撃を受けました。

 

そんななか、親に帰国子女枠のある中学校への受験を勧められました。私は公立中に通うつもりだったので、「帰国のタイミングも進学先も、私のしたいようにさせてくれない!」と、親に猛反発しました。結局、親が勧めた中学校に進学しましたが、中学進学と同時に張り詰めた糸が切れたのか、ひどい反抗期に入りました。

 

大学卒業後はTBSにアナウンサーとして入社

「糸の切れた凧」のようだった反抗期

── おおらかで明るい海保さんの様子から、反抗期の姿が想像がつきません。

 

海保さん:中学生のころは、常に家でイライラしていました。わざと大きな音を立ててドアを閉めたり、「勉強しなさい」と言われてもお友達と長電話したりと反発していました。親は私を「糸の切れた凧」に例えて、当時は荒くれ者として扱っていました(笑)。

 

── 中学生になっても、学校での勉強や文化の違いに戸惑うことはありましたか?

 

海保さん:土日の部活後、仲のいい女性の先生に「一緒におやつ食べよう!」と気軽に声をかけたら、先生がキョトンとしていて「これは日本ではフランクすぎるのか!」と学びました。ほかにも、英語の授業で先生の発音の訛りが気になってしまうなど、毎日小さな戸惑いや歯がゆさを感じていました。

 

でも、「目立たないようにしなきゃ」と自分に言い聞かせて、戸惑いや歯がゆさは心にしまい込んでいました。振り返ると、そういったモヤモヤした感情が親への反抗心になっていたんだと思います。

ラジオと出会い「とげとげした心が癒やされた」

── アナウンサーを目指したきっかけが、中学時代に出会ったラジオだったそうですね。

 

海保さん:ある日、祖父がラジカセを私にくれたんです。部屋でラジオのチャンネルを合わせてみると、テレビでは華やかに活躍しているアイドルが「眉毛が太いのが悩み」と打ち明けているのが聞こえてきました。

 

そのとき、「憧れのアイドルも、普通の悩みを抱えているんだ」と思って、すごく新鮮で、身近な存在に感じたんです。スターたちのテレビとは違う一面を垣間見て、普段のとげとげした心が癒やされました。

 

そのあたりから夜は部屋に閉じこもってラジオを聴くように。気づけば将来はラジオのパーソナリティになって、「隣のおねえさん」のような身近な存在として誰かを元気づけたい、楽しませたいと思うようになっていました。

 

TBS卒業後も、家庭とバランスをとりながら幅広く活動

── 最初からテレビ局のアナウンサーを目指していたわけではなかったのですね。

 

海保さん:大学生になり、「DJ・リポーターコース」があるアナウンス学校に受講申し込みに行ったら、「大学生なら、アナウンサーも目指してみたら?」と勧められました。それまで、アナウンサーの仕事は原稿を読むだけだと思い込んでいたのですが、調べてみると、TBSならリポートはもちろん、ラジオの仕事もできると知りました。そこで、「アナウンサーに挑戦してみよう」とTBSを第一志望に決意しました。

 

一生分の運を使ってTBSにアナウンサーとして入社でき、テレビをはじめ、念願だったラジオでもお仕事させていただきました。退職後もさまざまなお仕事をさせていただいていますが、今でも媒体や表現の場に関わらず、中学生のころに感じた「誰かを元気づけて、笑顔にしたい」という気持ちが根底にあります。

 

PROFILE 海保知里さん

1999年TBSにアナウンサーとして入社。「サンデー・ジャポン」や「はなまるマーケット」などで活躍。2008年にTBSを寿退社し、アメリカで出産・育児を経験。現在は、日本で2児を育てながら、絵本の読み聞かせをライフワークに幅広く活動している。2023年10月よりYouTubeにて全編英語による日本観光ガイドチャンネル「Travel Japan」のナビゲーターも務めている。

 

取材・文/笠井ゆかり 画像提供/海保知里