出産を経て再びオリンピックに出場したカーリングの本橋麻里さん。「育休という考え方はなかった」という産後もキャリアを続けてきた理由を伺いました。(全3回中の2回)

海外選手から受けた影響

── 産後はいつ頃から練習を再開したのですか。

 

本橋さん:出産後、2、3か月でトレーニングをスタートさせました。陣痛が来る前日まで、負荷はかけずに体を動かして最低限の筋肉はキープさせていたんです。

 

本橋麻里さん
3歳の頃の本橋さん。「ハイチーズ」で首を傾げるポーズがとっても可愛い!

体調にも個人差があると思うのですが、私にとってはそれがよかった。リフレッシュにもなりましたし、産後は体力も気力もいるので、それを想定して準備したのもあります。

 

息子が5か月のときに保育園に預けたのですが、自分の時間をキープしながら子育てをするという、オンオフをつけた生活も合っていました。私のなかで、セカンドキャリアのような、キャリアを一度きってしまうという考えはなくて、産後はステップアップキャリアだと思っていました。細くてもいいのでつながっていて、ボリュームは増やせるときに増やす。

 

育休という考え方もなかったですね。社会的な関係性を遮断すると精神的に不安になるだろうと思っていて、いろんな方を巻き込んで子育てをしていたので、そのぶん相談する方もたくさんいて。いわゆる産後うつのような、メンタルが不安定になることもありませんでした。

 

── 事前準備が素晴らしいのですが、どうしてそういう考えに至ったのでしょう。

 

本橋さん:若いときから海外の選手の姿を見ていたのが大きいですね。17歳くらいのときから海外の合宿にも行かせてもらっていたのですが、カナダの選手は試合会場で授乳していました。授乳して、試合して、また授乳して。

 

── たしかに、3時間の試合の合間だと小さい頃はちょうどいいくらいの授乳感覚かもしれません。とは言っても、子連れで試合に挑むのは大変そうです。

 

本橋さん:試合中は旦那さんやおじいちゃん、おばあちゃんが子どもあやしている姿を見ていたので、「こういうもんなんだ」と思っていました。それに、大変そうだけれど生き生きとしている姿を見ていた経験があったので、私も自然と続けようと思っていました。

 

海外は出産後もすぐに退院ですよね。1週間くらい入院期間がある日本人からすると、「歩けるの!?」と心配に思ってしまいますが、体も違いますし国のシステムも違います。

 

本橋麻里さん
長男誕生後、リンクでの練習に復帰した頃の本橋さん(写真中央)。表情は真剣そのもの!

海外の選手と日本の選手では、筋肉量が違うので復帰するタイミングやリカバリー能力が違うということは身に染みて感じました。あまりデータがないので、私は妊娠期間から産後まで自分の体を客観的に見てきたのですが、すべてを海外のやり方を真似するのはよくないというのもわかりました。

 

個人差も大きいので、自分の体についてよく知ってから復帰するということは、これからの後輩たちにもアドバイスできると思いましたね。でもこれはカーリングに限らず、どの職種の方にも言えることだと思います。

 

── 産後のイメージを事前に持つことも大切ですね。

 

本橋さん:子育ても仕事への向き合い方もいろんな考え方があっていいと思っています。そのなかから自分に合ったものを選ぶ。世界に出ると自己責任を求められることが多いのですが、出産や子育てに関しても事前に勉強できたのは、カーリングのおかげです。カーリングがここにも役立つのはおもしろいなと思いました。

 

ママはひとりしかいないんですけど、毎日100%ママでいる必要はないんじゃないかと思って。子どもを産んだからといって、ひとりの女性としての人生を捨ててしまうのはもったいない。子育てに専念する方もいますし、両立をする方もいる。でもどちらを取ってもそれぞれに難しさがある。

 

自分の精神的な状態も、家にいるほうがいいのか、社会のつながりを持たせたほうがいいのかも人それぞれです。出産してから「普通」でいようとか、「普通」ってなんだろうということについて悩んだこともあったのですが、自分が納得できる落としどころをつくるのが大切なのかなと思います。

育児は人に頼って

── 出産後に平昌オリンピックに出場されました。

 

本橋さん:長男が2歳のときでした。本当にいろいろな方にお世話になりました。でもいちばん大変なのは間違いなく夫です。私は海外選手が子育てと両立させている世界を見てきましたけど、夫にとっては「何のこっちゃ」ですよね(笑)。遠征に行くときは夫と両親に頼んで、保育士資格を持っているチームメイトのお母さんの力も借りて。田舎なので地元にはシッターさんがいないんです。

 

本橋麻里さん
長男が小さい頃の写真。優しい表情の本橋さん

本当にありとあらゆる方に頼って育児をしていました。助けてくれる人がいたら「お願いします!」という感じ。地域の方に助けられて子育てをして、私もお母さんにさせてもらったと思っています。

 

── 両立で工夫していることはなんでしょう。

 

本橋さん:人に頼る。これに尽きます。特に夫とは、保育園の送り迎えから何から、手分けしないと回りません。シーズンオフとシーズンインで1日のスケジュールを2パターンつくって、動きやすいようにしていますね。

 

あとはとにかく、家事はパパッと終わらせる。できていない罪悪感にさいなまれない程度に、なるべく溜めないようにしています。

 

── していないことがある罪悪感、わかります。

 

本橋さん:性格によると思いますが、「生活の乱れは心の乱れ」という感じでこれまで生きてきたので、どうしてもできていないことが気になってしまうんです。たとえば次の日が忙しいとわかっていたら、眠くてクラクラしながらも夜のうちに洗濯物を畳むとか。人間って、やればなんでもできますね。「よし、できる」って自分に言い聞かせながら、寝る寸前まで気合いで頑張っています(笑)。

 

── ふたりの息子さんは7歳、3歳になられたそうで。

 

本橋さん:遠征先でシッターさんを頼むときに同じ方にお願いするのですが、久々にお会いすると「こんなに大きくなって!」と言ってもらえることも多くて。成長を見てくれる人がいるのは、ありがたいですね。

 

「あのときこうだったね」と言ってくださることも多いのですが、当時は余裕がなくて、必死。周りの方が覚えてくださっているおかげで「そういえば、そんなことあったなぁ」って、会話のなかでアルバムを見返すような感覚があります。

 

振り返りながら改めて感謝することばかりです。私は全然、完璧なお母さんにはなれていないのですが、助けていただいたぶん、困っている人がいたら助けようと心から思いますね。感謝が多い子育てです。

 

チームメイトにもいつも遊んでもらって、息子は、チームが負けたときはみんなと一緒に泣いているんです。「ロコが負けて悔しい」って。そういう感情が芽生えているということも人との関わりを通じて実感します。

 

ずっと私の元に置いておくというのではなく、いつでも社会に出せるようにしてあげることが私の子育てで大切にしていることです。人の痛みがわかって、人を助けられるようになってほしいですね。

 

PROFILE 本橋麻里さん

本橋麻里さん

1986年生まれ。「チーム青森」のメンバーとしてトリノ、バンクーバーオリンピックに出場後、故郷で「ロコ・ソラーレ」を結成。平昌オリンピックでは日本カーリング史上初の銅メダルを獲得。現在は一般社団法人ロコ・ソラーレの代表理事を務めながら現役選手として活動。

取材・文/内橋明日香 写真提供/本橋麻里