肥料工場の竣工式に出席した北朝鮮の金正恩委員長。公の場は3週間ぶりだった(写真:KCNA/UPI/アフロ)
肥料工場の竣工式に出席した北朝鮮の金正恩委員長。公の場は3週間ぶりだった(写真:KCNA/UPI/アフロ)

 死亡したとか重篤であるとかのデマが国外で飛んでいた北朝鮮の金正恩が、2020年5月1日に姿を現して、順川燐肥料工場の竣工式に出席した。この順川燐肥料工場は多くの北朝鮮研究者が注目していた重要な工場である。この工場の建設は、現在進行中の国家経済発展5カ年戦略 *が掲げる目標の一つ。4月12日に開催された最高人民会議第14期第3次会議では、2つの重要建設対象の1つに挙げられていた。それだけ朝鮮労働党が力を入れる重要な工場である。
*:2016年から始まって2020年に最後の年を迎える

 まず、1つ断っておきたい。この工場の名称は、朝鮮語では「順川燐肥料工場」。固有名詞であるから直訳することにする。北朝鮮メディアの日本語版の報道では「順川燐酸肥料工場」となっている。そのため日本メディアの報道でも「順川リン酸肥料工場」 としていることがよくある。しかし、北朝鮮メディアの日本語版報道はあくまで参考であり、北朝鮮側の誤訳もよくある。ここでは「順川燐肥料工場」で通したい。

 順川燐肥料工場の着工式は2017年7月16日に開催された。だから約2年10カ月かけて建設されたことになる。着工式に金正恩は参加していないが、内閣総理(当時)の朴奉柱(パク・ボンジュ)、朝鮮労働党中央委員会副委員長(同)の呉秀容(オ・スヨン)、内閣副総理(同)の盧斗哲(ロ・ドュチョル)などそうそうたる重鎮たちが参加した。さらに、化学工業相である張吉龍(チャン・ギルヨン)が着工辞を述べていたことから、化学工業省の管理下にあることが分かる。

 正確には化学工業省化学工業管理局の管理下である。連合企業所(企業連合)内の工場という報道が過去に一度もなかったので、化学工業省化学工業管理局の直轄工場と見受けられる。建設期間中、金正恩をはじめとする数多くの朝鮮労働党および政府の幹部がこの工場の建設現場を訪れた。しかし、現役の軍人や軍需産業の幹部が訪問しなかったところを見ると、軍事部門とは直接関係がないといえる。着工式のときに報道されたように、農業生産性向上のための肥料生産が目的であると考えて問題ない。

 ジェームズ・マーティン不拡散研究センターのミドルベリー国際研究所の研究員であるマーガレット・クロイ(Margaret Croy)が、リンから核爆発物の原料になるウランの抽出をこの工場で行う可能性があると語っているが、もちろんほとんどの北朝鮮研究者が否定している。同工場の立地から見て、核物質を抽出するような危険なまねを北朝鮮はしないだろう。同工場は、北朝鮮の一大工業都市である順川市の中心部にある順川駅の東南側に隣接し、平壌の中心部を流れる大同江のほとりにある。

 まして、ウラン鉱石の埋蔵量が東洋一(韓国の一部では世界一と呼ぶ)といわれてきた北朝鮮で、リン鉱石からウランを抽出する手間をかける意味はない。しかも、順川には、実際にウラン鉱石を採掘できるいわゆる順川鉱山がある。

金日成、金正日も訪問した幸運な工場

 着工式が約2年10カ月前にあったと書いたので、多くの人たちがこの工場を新設のものと思うだろう。それは半分正しく、半分間違っている。北朝鮮のことであるから、日本の常識で考えないでほしい。順川燐肥料工場は、設備のほとんどは新しくても、歴史は古いという、北朝鮮ではありがちな工場である。

 この工場の歴史が古いことは、5月2日に朝鮮中央テレビが報道した順川燐肥料工場の映像からも分かる 。1945年12月19日に金日成*がこの工場を訪問したことが工場の記念碑に書かれている。これはつまり1945年には存在した工場を受け継いだものなのである。
*:金正恩の祖父

 記念碑には、金日成は5回、金正日 *は1958年4月22日を皮切りに3回、この工場を訪問したことが書かれている。さらに2020年1月6日に金正恩が訪問した。金正恩による今年最初の現地指導はこの工場だったのである。
*:金正恩の父

 北朝鮮では、金日成と会えば「首領福」、金正日と会えば「将軍福」という幸運が得られることになっている。2011年ぐらいから金正恩と会えば「大将福」という幸運を得られると言われ、記念碑なども建てられた。ただし、最近ではその話は聞かない。いずれにせよ3人の最高指導者が何度も足を運んだ歴史的に重要で幸運な工場ということになっているのである。

前身は日本が作った肥料工場

 北朝鮮には「燐肥料工場」の名称がついた工場が他にもある。例えば、黄海南道龍塘洞にある「海州燐肥料工場」。ただし、これは独立した工場ではなく、海州精錬所内の工場であって、採取工業省燐肥料工業管理局の管理下にある。咸鏡北道金策市にある「双龍燐肥料工場」も双龍鉱山内の工場であって、同省の管理下にある。精錬所や鉱山内でリン酸肥料を生産する他の工場も、確認される限り採取工業省の管理下にある。「燐肥料工場」で化学工業省の管理下にある工場を、筆者は順川燐肥料工場ぐらいしか知らない。

 なぜ、順川燐肥料工場は化学工業省の管理下に置かれているのか。これには歴史的な経緯がある。

 順川燐肥料工場の歴史は、もともと朝鮮半島が日本統治下にあった時代に始まる。日本化学工業が朝鮮化学順川工場を建設し、1940年の初めから操業を始めた。生産物は、石灰窒素肥料である。順川で石灰石と無煙炭が採掘できるためであった。これを戦後に北朝鮮政府が接収し、順川化学工場とした。1955年からは順川石灰肥料工場と、1957年からは順川石灰窒素肥料工場と呼ぶようになった。主要な生産物は、石灰窒素肥料とカーバイドであった。化学工場であったから、化学工業省 *の管理下にあった。
*:名称は化学建材工業省、化学工業省、化学工業部、化学工業省と時期によって変わった。いずれも同じ省庁である。

 その後も名称は時々変わり、74年に順川化学工場に戻されたが、79年には再び順川石灰窒素肥料工場になった。89年頃から順川石灰窒素肥料総合工場と呼ばれるようになったが、2013年に再び順川石灰窒素肥料工場と呼ばれるようになった後、2017年7月16日の着工式以降にはほとんどの設備が廃され、更地にされた。順川燐肥料工場は、この地に新しく建設されたものである。写真の赤円が、順川燐肥料工場の場所である。

順川石灰窒素肥料工場から順川燐肥料工場への工事
2017年7月15日
[画像のクリックで拡大表示]
2018年9月1日
[画像のクリックで拡大表示]
2019年11月29日
[画像のクリックで拡大表示]

 この間、この工場は一貫して、化学工業省の管理下に置かれていた。だから、新しく建設され、生産物が高濃度リン酸アンモニウム肥料に変わったとはいえ、もとの順川石灰窒素肥料工場の歴史を引き継いだことになっているので、採取工業省ではなく、化学工業省の管理下にある。他の燐肥料工場は確認できる限り鉱業の一部門であるから採取工業省燐肥料工業管理局の管理下にあるわけだ。

 ちなみに、日本には米国や韓国をはるかに凌駕する膨大な北朝鮮企業研究の蓄積がある。それは、日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所・主任調査研究員の中川雅彦が長年にわたって北朝鮮の企業の調査研究をされてきたおかげである。今回、本記事を書くにあたっても、彼の厚意があったことを感謝として申し上げておきたい。

鉱山が豊富で、リン化合物を副産物として産出

 北朝鮮の国営通信社『朝鮮中央通信』が2016年3月13日に報じたように、採取工業省燐肥料工業管理局が管理するのは基本的に鉱山である。同局が管理する双龍鉱山も海州精錬所ももともとリン酸肥料を生産するためでも、リン鉱石採掘のためでもなく、別の鉱業のための施設であった。鉱業を進める中で副産物であったリン化合物が多くなって、それを利用して始めたのがリン酸肥料の生産であったと考えられる。

 全般的に耕作地が少なく、堆積物は薄くて土地がやせている北朝鮮では、農作物生産高の向上のために肥料工場は重要である。北朝鮮には数多くの様々な鉱山がある。リン鉱石の鉱山はもちろん、そうでなくともリン化合物が副産物として産出されることがある。鉱業の副産物としてリン化合物が堆積すれば、それを利用するために肥料工場を建設することは自然の流れであろう。

 米国や韓国では、どうしてもこの工場を核問題と結び付けたい人たちがいるらしい。

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