星野仙一氏の訃報に接し、生前、彼から聞いたいくつかの言葉を感慨深く思い出した。

 「青島、今の若い連中に昔と同じようなことをやっていたら、誰もついてこないよ。今じゃすっかり優しいおじさん、いや、おじいさんだよ。ただ、戦う熱い気持ちは今も昔も変わらないけどな」

中日ドラゴンズをはじめ、「燃える男」「闘将」と呼ばれ武闘派の監督として活躍してきた星野仙一氏。昭和スタイルを貫きつつ、誰よりも時代を読むリーダーだった。(写真[右]は2008年の北京五輪で日本代表監督を務めた時のもの=AFP/アフロ)
中日ドラゴンズをはじめ、「燃える男」「闘将」と呼ばれ武闘派の監督として活躍してきた星野仙一氏。昭和スタイルを貫きつつ、誰よりも時代を読むリーダーだった。(写真[右]は2008年の北京五輪で日本代表監督を務めた時のもの=AFP/アフロ)

 還暦を過ぎて東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した年にグラウンドで聞いた話だ。

 こんなことも言っていた。試合中に乱闘沙汰になると誰よりも早くベンチを飛び出して、相手の選手や首脳陣に向かっていく星野監督。「乱闘の際には何を考えているのか」と尋ねた時の答えが次のようなものだった。

 「頭の前のほうは熱く燃えたぎっているけど、頭の後ろでは冷静に状況を考えて振舞っているんだよ。全部熱くなっていたらそれは野球じゃないし、監督は務まらんぞ」

 そう、つまり彼はいつでも「計算ずく」で動いていたのだ。

 現役引退後、30代で中日ドラゴンズの監督に就任して以来、「燃える男」「闘将」と呼ばれ武闘派の監督を自認してきた星野氏だが、それはすべて自身で作ってきたイメージだろう。

明大・島岡監督から受け継いだ武士道

 星野氏が楽天の監督になった時に、「果たして昭和スタイルのマネジメントが通用するのかどうか注目だ」という趣旨の原稿を本誌系列のWebサイトで書いた。

 「昭和スタイル」とは、古いという意味ではない。乱闘や鉄拳制裁も時には辞さない、組織の先頭に立って戦うリーダーのマネジメントだ。

 ビートたけし氏がスポーツ新聞(日刊スポーツ・1月7日付け)の追悼記事にコメントを寄せていたが、その文言を借りれば次のような表現になる。

 「怖いけど一度惚れたら付いていく」

 そんな心理が星野氏と出会った選手たちに働くのだろう。

 そのスタイルのルーツをたどれば、やはり明治大学の「御大(おんたい)」こと、故・島岡吉郎監督に行きつくはずだ。島岡監督の教え子で「御大」とのエピソードを持たない明治OBはいない。

 数々の理不尽や蛮行を乗り越えて、明治の選手たちは島岡さんと一緒に戦った。リーグ戦で負けて帰って、徹夜で翌朝まで練習することなど当たり前。ミーティングで日本刀を畳に刺して、負けたら「腹を切れ」とげき(檄)を飛ばすこともあったらしい。そうしたエピソードは、明治の選手だけでなく、他大学の選手にも伝わっていた。それがそのまま明治野球部のカルチャーであり、相手を圧倒する部風だった。

 島岡監督の生き方の根底にあったのは、武士道的な死生観か?

 とにかく命を懸けて戦う。そんな激烈な精神性を島岡軍団は有していた。そして、星野仙一が生涯放ち続けた魅力に、こうした明治の芳香を感じずにはいられない。星野仙一も言うまでもなく、島岡吉郎の厚い薫陶を受けている。

 星野氏のマネジメントを「昭和スタイル」と評した理由は、彼のリーダーとしての言動に常に「恐怖」の匂いがあったからだ。中途半端な姿勢を許さない。前述のように彼はそのスタイルが今の若者には通用しないことを十分に知っていたが、それでも大切な何かがそこにあることを疑ってはいなかった。

 だから彼は自らが経験した理不尽と恐怖のエッセンスを現代風に抽出して、戦う者が持つべき気概として若い選手たちに訴え続けてきたのだ。その意味でも星野仙一は誰よりも時代を読むリーダーだったと言えるだろう。

怖さの陰にあふれる選手への愛情

 「恐怖」の使い手は知っている。

 それは島岡吉郎がそうだったように、星野仙一も誰よりも周囲に気を使い、怖さ以上の愛情を選手たちに注ぎ込んでいた。それがあるから己の感情を前面に出して戦うことができるのだ。

 その証拠に、星野仙一の死を悼む各界からの言葉は、優しさに満ちあふれている。

 この時代に、日本刀を畳に刺すパフォーマンスなど、言うまでもなく通用しない。そればかりか、ハラスメントやコンプライアンス、リスク管理の観点からも大問題になりかねない。それは、昭和の蛮行がまかり通っていたあの時代だからこそ許された指導法だ。

 星野仙一は、そうしたことをもちろんよく理解していた。ただその効能もよく知っていた。だから戦う星野は、自らの言動を刃物にしてグラウンドに立ち続けてきたのだ。

 正月の箱根駅伝では青山学院大学が4連覇を果たした。1月7日の大学ラグビー決勝では、帝京大学が史上最多を更新する9連覇を達成した。こうした素晴らしい活躍を続ける運動部を率いる監督は、選手たちの自主性を尊重し、旧態依然とした体育会の文化を否定するところから快進撃を始めている。それはアンチ「昭和スタイル」というべきマネジメントかもしれない。

 しかし、そうした新しい潮流が星野氏を否定するものではない。両者に共通するのは、誰よりも選手たちに愛情を注いで、彼らが活躍するにはどうしたら良いのかを必死になって考え続ける姿勢だ。そして、それこそが時代を問わず、指導者が持たなければならない資質と言えるだろう。

 星野仙一が漂わせた「恐怖」は、すべてそのための装置だったのだ。

 星野仙一が逝って、覇気に満ちた昭和という時代がさらに遠くなった気がする。

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