あの人が今生きていたならば、この世界を見て何を思い、どのようなヒントを与えてくれるのだろうか。かつての大混乱時代を生きた政治家や科学者、文学者など各分野の偉人たちの思想を、研究者・識者に聞く。第1回の偉人は小説家・安部公房。

 小説「砂の女」をはじめ数々の名著を残した安部公房。どの国や民族にも属さぬ無国籍的な世界観を描きつつ、理系的な視点から分析的な表現に徹した作品は、今なお多くの知識人を魅了する。

 実は安部公房、今から60年ほど前から、AI(人工知能)に似た、自ら考え進歩する機械を作品に登場させている。そして、それらの存在はどれも、最終的に人間を苦しめる悪として描かれている。

 今やAI技術が世界中で必需品となりつつある。一方で、人間のコントロールを超えたテクノロジーの進歩に、脆さや危うさを指摘する声は思いの外少ない。安部公房ならば今のAIの台頭を見て何を思うのか。安部公房研究の第一人者である早稲田大学の鳥羽耕史教授に聞いた。(聞き手 武田 健太郎)

安部公房は1950年代頃から、AIに似た機能を持つ機械やロボットなどを作品に登場させていました。理系出身でテクノロジーへの関心も人一倍強かったとはいえ、将来を予見するセンスには驚かされますね。

鳥羽:1958年に出版された小説「第四間氷期」において、いくつかのデータを入れると未来の予想ができる「予言機械」が登場しています。物語では、予言機械によって予言された未来と、それに抵抗する主人公の姿を描いていました。まさに、AIに似たコンセプトですね。

<b>鳥羽 耕史(とば・こうじ)</b><br /> 早稲田大学文学学術院教授。専門は日本近代文学、戦後文化運動、記録映画、記録文学。博士(文学)。安部公房を中心に、戦後の労働者や学生らによるサークル運動などを研究。一方で、ダム建設記録映画の系譜、東京タワーの象徴性、独立プロによる「蟹工船」の映画化、「私は貝になりたい」などの初期テレビドラマ、坂本九「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」の日米でのヒットが持った意味など、1950~60年代の多様な文化現象についても研究する。近著に『安部公房 メディアの越境者』(森話社、2013年)、『運動体・安部公房』(一葉社、2007年)、『1950年代──「記録」の時代』(河出書房新社、2010年)など。(写真:木村輝)
鳥羽 耕史(とば・こうじ)
早稲田大学文学学術院教授。専門は日本近代文学、戦後文化運動、記録映画、記録文学。博士(文学)。安部公房を中心に、戦後の労働者や学生らによるサークル運動などを研究。一方で、ダム建設記録映画の系譜、東京タワーの象徴性、独立プロによる「蟹工船」の映画化、「私は貝になりたい」などの初期テレビドラマ、坂本九「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」の日米でのヒットが持った意味など、1950~60年代の多様な文化現象についても研究する。近著に『安部公房 メディアの越境者』(森話社、2013年)、『運動体・安部公房』(一葉社、2007年)、『1950年代──「記録」の時代』(河出書房新社、2010年)など。(写真:木村輝)

当時の科学技術から、AIの登場を予想する何かヒントがあったのでしょうか。

鳥羽:当時は米ソ冷戦のまっただ中で、世界情勢を反映した話でもありました。米国のテクノロジーと、ソ連のテクノロジーの対立を第四間氷期では描いています。

 予言機械は当時のコンピューターサイエンスを参考にしています。さらに、死体の脳細胞に電極をつないで記憶を再生するという場面が出てくるのですが、これは生物と機械との間での情報のやりとりを研究するサイバネティックスと呼ぶ米国側の科学をモチーフに使っています。

 一方で、水の中で生きられる、エラを持った水棲人間をつくるという話も物語に出てきています。当時のソ連のミチューリン生物学という、科学的に植物などの品種改良などを進める技術や考え方に基づいています。

AIは人間とは違う倫理体系を持つ

第四間氷期は、最終的に人間の主人公は死を宣告され、機械側に破れてしまうというストーリーでした。安部公房は、人知を超えたテクノロジーという存在にネガティブな印象を持っていたのでしょう。AIがこれだけ台頭した現在を見たらどのような意見を持っていたのでしょうか。

鳥羽:人間のコントロールを超えた機械が働く未来は、人間が想像できる延長線上にある未来とは全く違うものになると多くの作品で警鐘を鳴らしています。

 昔のSFによくあるテーマですが、人間的な善悪判断とはまったく相いれない別の価値観を機械が持ってしまうのではないかという恐れが安部公房には常にありました。これまでの人間の想像力では考えられないことが起こり得るということは、安部公房も常に考えたと思うし、実際、今のAIの発展を見るとそういうことが絶対あり得るなと思います。コンピューターが悪意を持つからではなく、コンピューター独自の論理体系が出来上がり、それが時に人間にとっては非常に残酷なものになるということです。

 機械が主な働き手となる時代は、今日の単純な連続的な予想からは完全に断絶した未来になっていくだろうという話でもありますよね。第四間氷期でも、人類は水棲人間になってしまうというストーリーに終盤進んでいきます。今とはがらりと変わる、断絶した未来が起こり得るという話は、AIがこれだけ台頭する、今の時代の方がむしろ現実味があるのかなという気はしますけれどもね。

安部公房にはテクノロジーへの強い憧れもあったと鳥羽教授は話す(写真:木村輝)
安部公房にはテクノロジーへの強い憧れもあったと鳥羽教授は話す(写真:木村輝)

同じく1950年代に発表された短編小説「R62号の発明」では、機械が最終的に人間を殺害する過激なストーリーとなっています。やはり、機械は人間の敵というイメージを持っていたのでしょうか。

鳥羽:人間が造ったロボットが人間を超え、人間が制御しきれない方向に進んでしまうかもしれないという想像力はかなり働かせていたかなと思います。

 ロボットが人間より活躍する世界は、今とはまったく異なる世界ということですね。あと、結構軽いSFみたいなものも安部公房は書いていて、テレビドラマの仕事も手がけたことがあります。その中に「あなたがもう一人」という民放のテレビドラマがありました。これは自分そっくりのロボットを造ることができる2013年の未来を描いたもの。自分の代わりをさせるロボットの方がむしろ自分よりも優秀で、デートをさせてもむしろロボットの方がうまくいく。AIが徐々にいろいろな形で人間を超えていく、といった未来も安部公房は予想していました。

ワープロに自動車……、実は機械大好き

その一方で、安部公房は日本で初めて原稿執筆にワープロを利用するなど、先端技術への関心は非常に旺盛でした。

鳥羽:技術や科学を良く理解していた分、その力によって何かが起こるとガラッと世の中が変わると常に考えていました。例えば「鉛の卵」というSF小説だと、未来は植物人間の世界になっています。今の人類が科学技術を生かして、そのまま成長して明るい未来に進むというのとは少し違う想像をしていたのです。

では、安部公房が今生きていたとすると、どこまでテクノロジーを信頼して、どこから先は警戒すべきだと線引きしていたと考えますか。
 

鳥羽:難しい話です。でも一つ例を挙げるとすると、実は安部公房は非常に車好きだったのですね。かなり早くて、1960年の夏にはもう免許を取っていて、その年に初めての車を買っています。まだ数パーセントしか車を持っていなかった時代から乗り回していて、何万キロ乗ったという自慢をずっとしていました。

 ですので、自分の手足の延長のように動く、操縦できる自動車への信頼感はすごくあった。何台も車を買い換えて、ドライブを楽しんでいたのですね。

 北海道までフェリーを使って渡ったこともあるし、四国に行ったこともあります。まだ道が非常に悪い時代から長距離移動をして、通った道についてのリポートも書いています。

自分である程度自由にコントロールできる物が好きだったのですね。

鳥羽:ワープロもそうですね。あとシンセサイザーを使い、安部公房スタジオという演劇グループで使う効果音を作ったりもしていました。

 ですので、機械を操って何かやることには、非常に興味を持って積極的にやっていたと思うのですね。ただ、それがある種の知性や機械だけの論理を持って、人間の論理とは違う方に動き得るということも、その先の未来としては考えていたと思うので、作品中で機械が反乱するといった発想につながって行ったのだと思います。

<b>安部 公房(あべ・こうぼう)</b><br /> (1924~93年)東京生まれ。東京大学医学部卒。1951年に『壁』で芥川賞を受賞。62年発表の『砂の女』で読売文学賞を受賞、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。数々の作品の中でナショナリズムの台頭を批判していた。 ©KAKU KURITA /amanaimages
安部 公房(あべ・こうぼう)
(1924~93年)東京生まれ。東京大学医学部卒。1951年に『壁』で芥川賞を受賞。62年発表の『砂の女』で読売文学賞を受賞、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。数々の作品の中でナショナリズムの台頭を批判していた。 ©KAKU KURITA /amanaimages

自動車が大好きだった。それでは、機械というよりは、コンピューターに対して警戒感を抱いていたのですね。

鳥羽:ただ一方で、コンピューターにも関心が強くて、「第四間氷期」を書く前に、当時の紙テープでのデジタルデータ管理を取材していました。だから、そういうデジタルのものが本当に使えるようになったら、どんどん使いたかった人だったはずです。本人は1993年に亡くなったので、Windows 95などパソコンの爆発的な進歩を見ていないので何とも言えませんが(笑)。

コンピューターへの好き嫌いでは無く、機械やコンピューターに様々な作業を完全に委ねるという感覚に拒否感があったのですね。しかし今の時代では、AIなどに自動的に計算してもらわないと、開発や生産の競争に遅れてしまう部分があると思います。AIのアルゴリズムは、多くの人にとってはブラックボックスで、最終的にはある程度AIに委ねる思い切りが必要というスタンスが、経済界やテクノロジー分野でも主流になりつつあると思っています。人間以外の存在に委ねるという感覚は、安部公房の考えとは相容れないのでしょうか。

鳥羽:そうですね。現在でも、機械にフリーハンドを与えると危ないぞという意見はあると思います。ある程度人間が関与して、ブレーキをかける仕組みをつくるのが大事ではないかと思いますけど。

 しかし、世界中でAIの開発競争が起こっている中で、ブレーキのかからないAIがどこかで生まれることも、安部公房の小説から想像し得ます。危険な出来事も起こり得るという感じはしますけどね。

 安部公房が生きた冷戦時代の軍拡競争は、今の比ではなくて、以前の2倍ではなくて、もう10倍、100倍という形でソ連と米国でしのぎを削ってテクノロジーを進歩させていました。その様子を目の当たりにして、軍事と結びついて急激に進むテクノロジーへの警戒心が強まっていたと私は想像します。

テクノロジーは人間にとって必ずしも素晴らしいだけのものではない。国家や社会に対しても、同じような考えを抱いていたようですね。

鳥羽:それはもちろんあったと思います。安部公房は東京で生まれ、満州にすぐ渡って、しかも本籍は北海道にありました。自分のアイデンティティーが分からないと常に言っていました。どこの出身で、どこの国籍でという発想がしっくりこない。

 そのため、日本人とか、民族や人種といった言葉への警戒心が強かった。国家や民族は近代の作り上げたフィクションであるとの考え方を持っていました。それが(1971年に発表された長編エッセーの)「内なる辺境」をはじめとする様々なところで発信したナショナリズムや人種主義への警戒につながっていきます。

今は世界中でナショナリズムが台頭しています。

鳥羽:国として一体化して、何かを作り出していこうとか、1つの国家として皆でまとまろうといった発想には常に警戒していました。

それでは、今の世界を安部公房が見たら、きっと憤っていたでしょうね。

鳥羽:そうですね。すごく批判しただろうと思います。むき出しの排外主義とかナショナリズムみたいなものが出てくること自体、非常な退行だと考えたはずです。

 理想論すぎるところがありますが、ある種の国境を越えた、普遍的な価値を安部公房は念頭に置いていました。「内なる辺境」では、世界中の様々な都市に住むユダヤ人に注目をしました。協同主義だとか、愛国心みたいなものとつながるような、土地に根ざした人間こそがその国の真の国民だといった考え方には、強い批判を持っていました。

「砂の女」など多くの安部公房作品は、個人と社会の関係性など普遍的なテーマを扱い、発表から数十年経った現在においても新鮮な示唆を読者に与える。 (写真:木村輝)
「砂の女」など多くの安部公房作品は、個人と社会の関係性など普遍的なテーマを扱い、発表から数十年経った現在においても新鮮な示唆を読者に与える。 (写真:木村輝)

トランプ米大統領の移民に対する態度にも怒りを感じたことでしょう。

鳥羽:移民を排斥することへの嫌悪感があるので、批判していたと思います。特に満州での経験が大きく影響しています。そこでは「五族協和」というスローガンを掲げながら、実質的には日本人が全部抑え付け、ほかの民族を虐げていたと語っていました。

 今の米国におけるメキシコ移民の問題も、内なる他者を見つけては排除することで求心力を得ようとする動きです。怒っていただろうと思いますよ。

それでは、安部公房が求めていた、世界の理想的な形とはどのようなものでしょうか。

鳥羽:1961年に共産党から除名されて以後は、どのような社会が理想かといったテーマをストレートには書かなかった。だから、こうであってはいけないという批判はあっても、こうであるべきだといった意見は出せなかったのかもしれないです。

多くの作品ではニヒリズム的な要素も感じ取れます。

鳥羽:人間が常に善意を持って何かができるとか、テクノロジーが常に明るい方向に進むということも信じてなかったですから。

前回の東京五輪では、あえて海外へ脱出

ちなみに、オリンピックも嫌いだったみたいですね。

鳥羽:オリンピックは筋肉の比べっこにすぎない、あるいはナショナリズムを喚起する祭典になっていると批判していました。本人は、とても腕相撲が強くてほとんど負けたことがないと自慢をしていたのですけど。1964年の東京オリンピックの時は、あえて東京を離れ、海外に出ています。

集団で盛り上がることに馴染めなかったのですね。

鳥羽:1960年代に発表した「砂の女」や「他人の顔」「燃えつきた地図」は登場人物が失踪する「失踪3部作」と呼ばれています。国家や社会に所属して、その中で位置を得て暮らす生き方への批判や嫌悪が強かった。そこから外れていく存在、都市の中で見えなくなる浮浪者などに注目していました。

 社会から外れてしまって、別の場所に行ってしまったらどうなるかという実験をこの頃、小説の中でしていました。砂の女では、主人公が砂の穴に迷い込み、失踪して社会的な存在を消してしまいました。社会から外れることに、一種の自由だとか可能性を見ようとしたところがあるのかなと思います。

今の時代はあらゆる個人情報が管理され、データでがんじがらめの管理社会となっています。安部公房なら息苦しさを感じていたでしょうね。

鳥羽:それはすごくありますよね。個人をアイデンティファイする装置もどんどん増えていますし。クレジットカードから何まで、個人情報が登録されることで様々な行動が可能になっている社会です。便利ですけれど、非常に監視された社会と受け取ることもできます。

SNS(交流サイト)の存在を知っていたら、どのように反応していたでしょうか。

鳥羽:最初は仲間内で楽しんだかもしれません。ワープロへの反応と同様に、新しいテクノロジーとして、先進的な人だけが知っているときには喜んでやるような気がします。

 しかし、SNSが大衆化して、むしろそれを使うことで全部見張られていると感じる場合には、否定的に見るかなという気がします。大勢が上からの号令で動く集団に対しては、ずっと嫌悪があったので。利用者の共感を通じて大きな流れを生み出すSNSにも、似た構造を見いだしていたかもしれません。

SNS的「つながり社会」の対極描く

戦争を経験して、大きな流れに沿うのは嫌だという感覚が貫かれているのですね。今の人が読んで、一番メッセージを感じ取れる小説はどれだとお考えですか。

鳥羽:やはり「砂の女」は一種の普遍性がある話だと思います。

普遍性。都市と人間との関係性などについてでしょうか。

鳥羽:そうですね。あと自由についてとか。昆虫を探し歩いて砂の穴に迷い込んだ主人公の男は、最終的に砂の穴から出られるようになっても、結局逃げないのです。

 砂の女の世界では、人間のつながりは本当に希薄で、砂の穴で出会った女とほぼ2人きりの世界になってしまいます。都市とか人間関係から切り離されたところで、別の生き方の価値を最終的に見つけるという話になっています。そもそも自分と社会のつながりは何かということを考えながら。

 

 人と常につながっていなくては生きられないSNS的な価値観とは対極にある生き方が、砂の女では表現されています。砂の穴的な状況に陥った場合、自分はどうなるだろうと想像することは、今の社会を客観的に見直す面白さがあります。

社会とのつながりを失う中で、自分の存在意義はどこにあるのか。砂の女のなかで、安部公房自体はどのような結論を出していますか。

鳥羽:主人公は砂の中に穴を掘ってカラスを捕まえる罠を作ります。その罠に「希望」という名前を付けて、毎日観察をして、今日も捕まらなかったと繰り返す。ある日、罠に使っていた桶の底に水がたまっているのを発見します。砂の中を蒸発してきた水分がうまい具合に桶の中にたまっていたのです。この発見から、遠くの井戸からわざわざ水を運ぶ重労働から解放してくれるかもしれないことに気付く。

現在の文脈でも読める普遍性に魅力

非常に小さな発見にも思えます。

鳥羽:その通りです。しかし、その些細な発見によって、水を得るための苦労から自由になり、砂の穴にある村の生活が改善できます。結局、主人公は発見を村人に伝えるため、村に残る選択をします。

 発見していくプロセスというのが、主人公の生きる価値につながったのだと解釈しています。安部公房もタイヤチェーンを発明するなど、物事を作り出すのに長けていた人物でした。だからこそ、発見や発明という行為に、小説でも重きを置いていたのでしょう。

人間の存在意義は必ずしも外部との関係性だけに有るわけではない。自分の中で考え、行動し、何らかの形を生み出すことに意義があるということですね。それに比べると、今の時代はあまりにも、会社や人間関係などに存在意義のありかを求めすぎているかもしれませんね。

鳥羽:そうだと思っています。もちろん作品は様々な解釈が可能です。優れた文学作品に共通することですが、余白というか、読者が想像を広げられるところに可能性がある部分もあります。だから砂の女の主人公がなぜ最終的に逃げられるようになっても逃げなかったのかについては、本当にいろいろな解釈があり得る。安部公房の作品は、今の時代になっても色々と考えられるところに価値があるのかなと思います。

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