新型スマートフォン、ギャラクシーノート7の発火事故と販売中止騒動で大揺れの韓国・サムスン電子。イ・ゴンヒ会長の長男で、副会長のイ・ジェヨン氏が大揺れの最中の10月初め、密かに来日した。

 関係者によると、横浜市にある日本研究所を訪問し、督励したという。グループ総帥の父親が病に倒れて2年余り。事実上のトップとして代行を務めてきたイ・ジェヨン副会長の表情に日頃の柔和さはなく、ピリピリと張りつめた雰囲気だったと言われる。

韓国・サムスン電子、イ・ゴンヒ会長の長男で、副会長のイ・ジェヨン氏(写真=ロイター/アフロ)
韓国・サムスン電子、イ・ゴンヒ会長の長男で、副会長のイ・ジェヨン氏(写真=ロイター/アフロ)

 同社は10月14日、ギャラクシーノートの販売中止によって、今10~12月期から2017年1~3月期に、3兆ウォン台中盤(3.5兆ウォン換算で約3150億円)の営業利益減になるとの見通しを公表した。既に今年7~9月期の営業利益は5.2兆ウォン(約4680億円)と前年同期比30%減。業績の低迷は避けられない見通しだ。

 だが、難題はそれだけではない。8月初めに発売したギャラクシーノートで発火事故が起きたことが分かったのは8月下旬。そして、9月2日になってバッテリーに欠陥があったとして新しい製品との交換を発表した。ところが、交換した製品でまた発火事故が起こり、原因はバッテリーではなく、設計ミスの可能性も取り沙汰され始めた。韓国国内では、「性急な判断が問題を大きくした」との指摘も出る。迷走の裏に何があったのか。

上昇トレンドが転換した
サムスン電子の四半期営業利益率の推移
上昇トレンドが転換した<br/>サムスン電子の四半期営業利益率の推移
出所:石田賢・国士舘大学講師の資料を基に本誌作成
注:2016年第3四半期は暫定
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これまで役員でなかったイ・ジェヨン副会長

サムスン電子のイ・ゴンヒ会長 (写真=AP/アフロ)
サムスン電子のイ・ゴンヒ会長 (写真=AP/アフロ)

 韓国最大の財閥であるサムスンが、イ・ゴンヒ会長の強烈なリーダーシップで成長を続けてきたことはよく知られる。即断即決のスピード経営で、半導体やスマホなどに大胆な投資を行い、1987年の就任から約30年で売上高を30倍に押し上げた。文字通りカリスマとして君臨してきた。

 今、サムスンはそのイ・ゴンヒ会長からイ・ジェヨン副会長へ代替わりを進めようとしている。微かなほころびがそこに生じていないか。

 「イ・ジェヨン氏を登記理事の候補とする」

 サムスン電子は、騒動の最中の9月12日、イ・ジェヨン氏を登記理事、つまり取締役候補として10月の株主総会に提案することを決めた。同社によれば、イ・ジェヨン氏は「リーダーとして広範な経験を持ち、サムスン電子の成長に貢献してきた」として、「今後は今後は戦略策定に、より積極的な役割を果たしていくことになる」という。

 分かりにくい話だが、イ・ジェヨン氏は2009年以降、COO(最高執行責任者)であり、イ・ゴンヒ会長が倒れた2012年には副会長に就任している。それでいて、これまでは役員ですらなかったのである。

 狙いは不明だ。「経営の失敗や、何かの問題が起きた時に責任を問われないようにしてきたのかもしれない」。サムスンウォッチャーの中には、こうした意見も少なくないが、実態として意味は持っていない。今回の発火問題でもイ・ジェヨン副会長は表に出て対応に当たっている。

 陰に回るどころか、イ・ジェヨン副会長は就任以来、むしろサムスン経営を大胆に変えようとしてきた。2014年11月には、グループのサムスン総合化学やサムスンテックウィンなど、グループの化学・防衛事業を、ハンファ財閥に売却することを決定。世紀のビッグディールと市場の話題をさらった。翌2015年秋には、残る化学部門をロッテグループに譲渡し、この分野から撤退している。狙いは、化学・防衛事業を外し、中核の電子事業に傾斜する選択と集中だった。

 リストラにも着手している。公式には明らかにしていないが、複数の韓国メディアは「(2015年秋以降)サムスン電子は本社間接部門の人員を10%減らし、2016年には一般経費50%削減を打ち出した」「2015年だけで5000人あまりがグループを去った」などと伝えている。最近グループの主要企業を退職したある幹部も「グループ全体でリストラは進めている」と打ち明ける。これらを主導したのがイ・ジェヨン副会長だったと言われる。

米ファンドから強まる経営改革圧力

 むしろ、「統治構造としては極めていびつな形態を正常化しようとする過程で起きたのが発火事故だった」(石田賢・国士舘大講師)のだろう。だが、そこにこそ問題が潜んでいるのではないか。

 現地メディアによると、サムスンは発火事故の後、減産こそしたものの生産は止めずに原因究明をしたという。これだけの問題が起きれば、生産を止めて原因を解明するのが、本来のリスク管理。売り上げ目標の達成を重視したと見られても仕方ないだろう。

 韓国の財閥において、「オーナー家は皇帝のような存在」(ソウル大学国際大学院のキム・ヒョンチョル教授)。イ・ジェヨン副会長の取締役就任という重要なタイミングでの事故は、社内に衝撃だけでなく、どう対応すべきかへの「戸惑い」も生んだのではないか。性急な対応にはその影がうかがえないか。

携帯電話事業の営業利益は低下してきた
半導体と携帯電話部門の営業利益の推移
携帯電話事業の営業利益は低下してきた<br/>半導体と携帯電話部門の営業利益の推移
出所:石田賢・国士舘大講師の資料を基に本誌作成
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 今、サムスン電子に対して、米国のエリオット・マネジメントが持ち株会社化を迫っている。もの言う株主として知られるファンドである。韓国の財閥の多くがそうであるように、サムスンはオーナー家の持ち株比率が高い企業を起点に、他のグループ企業の株式を循環的に持つ仕組みになっている。低い持ち株比率でもグループを支配できる循環出資と呼ばれるものだ。

 グループ企業の株主間の利害調整が難しく、誰が本当の支配者なのか明確になりにくいこの構造は、近代経営とは言えない。「イ・ジェヨン副会長はサムスン物産の株式を約17%保有し、同社がサムスン生命株を約19%、サムスン電子株を約4%持っている。サムスン生命もサムスン電子株を約7%保有するといった形で一族の支配は成り立っている」(石田・国士舘大講師)。

 株式市場では、サムスン物産とサムスン電子を合併させ、これを事業持ち株会社にするのではとの見方が広がっている。資本構成上はすっきりするが、テーマパークから商社まで営む「物産」と、スマホ、半導体が主要事業の「電子」に事業上のシナジーがあるはずはない。実行されるとすれば、これもまたオーナー家の都合でしかないと言わざるを得ない。

停滞から脱した日本企業の研究も

 そもそも、イ・ジェヨン副会長がサムスン物産の主要株主になったのは、「イ・ゴンヒ会長が1996年に、当時、グループの持ち株会社的存在だったエバーランドの転換社債を不当に安い価格でイ・ジェヨン氏に売却したのがきっかけ」(あるサムスンウォッチャー)。イ・ジェヨン副会長は、それをエバーランド株に替え、さらにエバーランドは後に別のグループ企業である第一毛織と合併。上場したことで巨額の利益を上げたとされる。その上、この新・第一毛織(合併後、エバーランドに社名変更)が、サムスン物産と合併するという変遷を経て、同社の大株主となっている。

 そのサムスン物産とサムスン電子が合併するとなると、事業承継のためなら何でもありだと言わざるを得ないだろう。イ・ジェヨン副会長は、ソウル大学、慶応大学大学院、米ハーバード大学でも学んだ秀才である。先端経営の理論は当然身に付けている。ビッグディールに見られる選択と集中など、大胆な経営改革にはそれを感じさせるものがある。

 サムスンは毎週水曜日、グループの社長たちを集めて、社長団協議会と呼ばれる勉強と協議の会を開いている。10月半ばの協議会の議題は、「日本企業は低迷からどのように脱したか」だった。発火事件に伴う、サムスンの「迷走」は古い経営体質を身の内に残したまま世界で戦わざるをえない韓国財閥の宿阿だとすれば、その苦闘はまだ続かざるを得ないのかもしれない。

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