屋台の射的で使っていた空気銃で逮捕とは…(写真は空気銃の一例。本文とは関係ありません)
屋台の射的で使っていた空気銃で逮捕とは…(写真は空気銃の一例。本文とは関係ありません)

 天津市“河北区”に居住する“趙春華”は51歳の独り身である。彼女には婚姻歴があり、娘が1人いる。2016年8月、彼女は天津市“紅橋区”を流れる“海河”を跨ぐ“永楽橋”と一体化する形で建設された観光名所“天津之目摩天輪(天津の目観覧車)”に近い“李公祠大街”の河岸で屋台の射的屋を開業した。射的屋とは、お客にプラスチック製のBB弾を装填した玩具の空気銃「エアーガン」を貸して、彼らに仕切り線から数メートル先に置かれた板に固定された数十個の風船を狙い撃ちさせる商売で、お客は風船にBB弾を命中させて破裂させることを楽しむのである。

 観光名所である“天津之目摩天輪”は連日多数の人々が訪れて賑わい、射的を楽しもうとする人も多かったので、趙春華の商売は順調だった。天津市の規則で、街頭で露天商を営むことは禁止されているため、趙春華は毎晩8~9時頃に射的屋の屋台を出し、深夜0時に店仕舞いして働き、月に3000元(約5万円)以上の収入を得ていたが、昼間は段ボール拾いをして稼いでいた。趙春華は毎日自宅から李公祠大街の河岸まで三輪車をこいで屋台を運び、仕事が終わると三輪車で屋台を自宅まで運んでいた。これだけでも重労働だが、彼女は毎日、数百個もの的になる風船を一つずつ口にくわえて自分の息で膨らませていたから、頭がくらくらすることも度々だった。

空気銃9丁を「銃器」と認定

 趙春華が8月に射的屋を始めてから2か月間は何事もなく過ぎたが、その彼女に悲運が襲い掛かったのは2016年10月12日の夜10時頃だった。周辺を巡回していた警察官が突然に彼女の屋台へ立ち寄り、彼女を連行すると同時に商売用のエアーガン9丁とBB弾を押収したのだった。彼女の娘である“王艶玲”は、「趙春華が屋台を営業しているのは元々射的屋を営んでいた老人から譲り受けた場所であり、射的屋は玩具のエアーガンで風船を撃つもので、使う弾はプラスチック製のBB弾だから、母は何も悪いことをしていない」とメディアの記者に強い口調で語った。

 “天津市公安局”の“物証鑑定中心”は趙春華から押収した銃形状物9件のうち6件を「圧縮空気を動力とする“槍支(銃器)”」と認定した。このため、趙春華は正式に逮捕された後に“天津市人民検察院”へ送検された。“天津市人民検察院”は事件の調査を行った上で、趙春華を“非法持有槍支(銃器不法所持)”の容疑で起訴した。趙春華の逮捕から2か月半後の12月27日、“天津市河北区人民法院(下級裁判所)”で趙春華の銃器不法所持容疑に関する一審の審議が行われた。法廷では、検察側が趙春華の銃器不法所持は6件で、その情状は重大であるとして懲役3年6か月を求刑したのに対して、弁護側は趙春蘭が初犯であり、素直に罪を認めているとして情状酌量を要請したが、最終的に下された判決は検察側の求刑通り懲役3年6か月であった。

 射的屋が商売に使うエアーガンを所持していたとして銃器不法所持容疑で逮捕された末に、裁判で懲役3年6か月の実刑判決を受けた。この事実がメディアを通じて報じられると、人々は唖然として耳を疑った後に「こんなふざけた判決があるか」と怒りを爆発させた。趙春華に対する判決の不当性を問題視する声は全国で高まり、メディアもこれを社会問題として大きく取り上げた。

通常は公安も見て見ぬふりだが…

 2010年に中央政府“公安部”が発行した『公安機関の事件に関わる銃器・弾薬の性能鑑定業務規程』によれば、この種の規格外銃器(玩具の銃を含む)については、その殺傷能力が1.8J(ジュール)/cm2以上の物を銃器と認定し、本物の銃としている。この規定によれば、玩具の銃の大部分が本物の銃となり、玩具の銃で遊んだことがあるだけで、銃器隠匿あるいは銃器不法所持で逮捕されて懲役刑の判決を受けることになる。2008年の基準は今よりもずっと緩い16J/cm2であったので、以前はただの玩具の銃であったはずのものが、現在ではどれも銃器になってしまっているのだという。

 中国の玩具工場では毎日何千何万丁の玩具の銃が生産されているし、玩具店やデパート、ネット商店などでは毎日十万丁もの玩具の銃が販売されている。上述した公安部の規定に従えば、これら玩具の銃の大部分は銃器に該当するが、公安当局は見て見ぬふりをしているのが実情である。

 香港の評論家“藩小濤”は、趙春華が懲役3年6か月の一審判決を受けたことに関する文章の中で、「中国では過去数年の間に、玩具の銃を販売、購入あるいは使用したことにより起訴された事件は23件に上るが、その量刑は大部分が3年以下の懲役であり、多くは執行猶予が付いていた」と述べている。そこで、藩小濤が言及した玩具の銃に関わる23件の事件とは異なるが、模造銃や本物の銃に関わる銃器不法所持事件の量刑を代表的な3例で見てみると以下の通り。

【1】2012年11月、広東省“呉川市”にある“看守所(拘置所)”で留置されていた“李某某”は看守の隙を突いて脱獄に成功した。その後、李某某は友人から模造の“54式手槍(54式拳銃)”1丁と多数の弾薬を入手して逃亡していたが、遂に公安警察に発見された。李某某は警官を人質に取って抵抗したが、最後には逮捕された。54式拳銃は中国共産党が政権を握った後に人民解放軍に装備された最初の制式拳銃であった。李某某は「銃器不法所持罪」に問われ、裁判で懲役2年6か月に処せられた。<注1>

<注1>李某某は他に誘拐罪などが加算され、最終的には懲役15年の判決を受けた。

【2】2012年、広東省“東莞市”で“一五金加工廠(工場)”を経営する“孫某某”とその仲間は、“盧某”との間で争いを生じ、双方が相手に報復を加えようと画策していた。孫某某は仲間の“許某某”に模造品の“64式手槍(64式拳銃)”を渡して“盧某”を射殺させた。64式拳銃は中国で最も普及している警察の制式拳銃である。殺人に使われた模造の64式拳銃は孫某某が所有していたものであったため、孫某某は銃器不法所持罪に問われ、懲役1年6か月の判決を受けた。<注2>

<注2>孫某某の量刑はこれ以外に“故意傷害罪”が加算され、最終的に懲役15年となった。

【3】2013年、安徽省“淮北市”出身の“段某某”は“KTV(カラオケ店)”で人と争い殴り合いになったが、段某某は突然懐から拳銃を取り出し相手の頭に狙いを定めた。死の恐怖を感じた相手は拳銃を奪おうと必死に抵抗して段某某に組み付いたので、拳銃から弾薬が入ったマガジンケースが脱落し、拳銃が発射されることはなかった。段某某は通報を受けて急行した警察官に逮捕されたが、段某某が所持していたのはドイツ製拳銃「ワルサーPPK」を改造したものだった。段某某は銃器不法所持罪に問われたが、裁判所は段某某が素直に罪を認めたことから懲役1年を科した。<注3>

<注3>段某某には難癖をつけて騒動を起こした罪が加算され、最終的な量刑は懲役1年6か月となった。

 上記の3例からも分かるように銃器不法所持罪の判決はいずれも懲役2年6か月、1年6か月、1年で、趙春華が一審で受けた懲役3年6か月のような判決は出されていない。3例はいずれも悪事を働いた犯罪者であるのに対して、趙春華は善良な庶民であり、悪事と言える行為は何一つ犯していない。趙春華は、射的屋の商売に使用していた玩具の「エアーガン」が公安部の規定する銃器に該当していた事実を知らなかったに過ぎず、一審の懲役3年6か月という実刑判決はあまりにも過酷と言わざるを得ない。

二審でようやく執行猶予

 一審判決を受けた後、趙春華は事態が良く理解できぬままただ茫然自失の状態だったが、娘の王艶玲に説得される形で弁護士を雇い、一審判決を不服として控訴した。一審判決から1か月後の2017年1月26日、“天津市第一中級法院(地方裁判所)”で趙春華の銃器不法所持事件に関する二審判決が言い渡された。判決は趙春華による銃器不法所持は犯罪を構成するとした一審判決を支持するが、被告人の趙春華が罪を認めて悔い改めていることを考慮し、趙春華を懲役3年、執行猶予3年に処すというものだった。この結果、趙春華は判決言い渡しの直後に釈放され、1月28日の“春節(旧正月元旦)”前に家に帰ることができた。二審判決は幾分かの人情味が感じられるものとなったが、裁判所に執行猶予を付けさせたのは、全国の怒れる庶民が天津市の司法部門に向けて浴びせかけた抗議の巨大な圧力によるものであった可能性が高い。

 ところで、中国メディアの多くは、趙春華が逮捕された時の情景を「周辺を巡回していた警察官が突然に彼女の屋台へ立ち寄り」と報じたが、実際は“天津之目摩天輪(天津の目観覧車)”付近で営業する射的屋の屋台に対し天津市公安局が一斉取り締まりを行ったのだった。2016年10月12日の夜、“天津之目摩天輪”周辺では趙春華の屋台を含む10軒の射的屋の屋台が天津市公安局の取り締まりを受け、13人が公安局へ連行された。趙春華は最初に一審の判決を受けたのであり、1月5日時点の報道によれば、残りの12人は8人が保釈され、4人が依然として拘留中で、裁判がいつ行われるかは未定となっていた。趙春華に対する厳しい判決が世論の怒りを買ったことから、彼らにはたとえ懲役刑が下されても執行猶予が付くものと思われる。

 評論家の藩小濤は上述した文章の中で、河南省“信陽市”の“新県人民法院”がインターネットの「司法オークションサイト」を通じ、「日用品オークション」と題して玩具のエアーガン29丁を2016年10月30日と12月28日の2回に分けて競売にかけたことに言及した。競売にかけられたエアーガンの一部は趙春華が銃器不法所持とされたのと同一のモデルであった。藩小濤は、「裁判所は法を知りながら法を犯すのか。裁判所は一方で玩具の銃を所持する販売者や庶民に刑罰を下しながら、他方では庶民から押収した玩具の銃を競売にかける。もし、庶民がこれを購入したら、公安警察が出動して庶民を逮捕し、裁判所が庶民に刑罰を科し、裁判所は押収した玩具の銃を競売にかける。これなら裁判所は食うに困らない」と述べて、新県人民法院を痛烈に批判した。

70~80年代生まれは皆、犯罪者?

 2016年9月27日、湖南省“株州市”に住む“葉准”(仮名)は車で走行中に交通警官の取り調べを受けた。警官は車のグローブボックスに玩具の“火柴銃”<注4>が1丁入っているのを見つけ、葉准を取り調べのため公安局へ連行した。“株州市公安局”が当該火柴銃を鑑定した結果、公安部の規定により銃器に該当することが判明し、葉准は銃器不法所持の容疑で逮捕された。葉准はその火柴銃を彼の子供のために、ネットのショッピングサイト“淘宝”を通じて148元(約2500円)で購入したと供述したという。2016年12月14日、株州市の“天元区検察院”は葉准を銃器不法所持罪で起訴した。

<注4>中国語で“火柴”は「マッチ」を意味する。“火柴銃”はマッチの「頭薬(発火性のある混合物)」を動力とする玩具の銃で、1970年代に小学生によって開発されて全国的に普及した。

 葉准が銃器不法所持罪で起訴されたことは、年が明けた2017年1月に公表されたが、天津市の趙春華事件が波紋を巻き起こしている中で玩具の銃に関わる新たな事件が発生したことに、中国の人々は驚きを隠せないでいる。ネット上では事件に関する議論が熱を帯びており、「問題の火柴銃を販売した“淘宝”も銃器売買罪を構成するのではないか。“淘宝”が販売した火柴銃の数は膨大なものになる」とか、「子供の頃、誰もが一度は火柴銃で遊んだものだ。その火柴銃が違法な銃器に該当するというなら、“70后(1970年代生まれ)”や“80后(1980年代生まれ)”の人は皆が銃器不法所持の罪を犯したことになる」といった書き込みが多数見受けられた。葉准の裁判がいつ行われるかは未定だが、果たしてどのような判決が下されるのか。

 上述した藩小濤は同じ文章の中で次のように述べている。すなわち、“菜刀(包丁)”を買うのにも実名登録が必要なご時世の下で、公安部は銃器鑑定基準をかくも過酷な内容に改訂したが、これは決して奇怪なことではない。そこから見えてくるのは、彼らが“草木皆兵(草や木まで敵兵に見える)”の精神状態にあり、自国民に対して疑心暗鬼であるということである。

政府の“不安定化”が恐ろしい

 玩具の銃を本物の銃器として認定し、それを使って射的屋を営んでいた者や子供に与えるべく購入した者を銃器不法所持容疑で逮捕するとは、どう考えても尋常とは思えない。彼らを逮捕する前に、本物の銃器と見なされる玩具の銃を製造する工場を取り締まるのが本来の筋だろう。それをしないで、購入する方を逮捕して罰するとは本末転倒も甚だしい。天津市や株州市の公安局が銃器と鑑定される玩具の銃を取り締まっているのであれば、それは中国全土の公安局が同様な取り締まりを行っていると考えてよいだろう。

 玩具の銃まで取り締まる必要があるということは、中国政府は庶民が銃器と認定される玩具の銃を手にしてテロ行為やクーデターを起こすことを恐れているのだろうか。中国社会がそこまで不安定化していると想像すると恐ろしいものがある。“草木皆兵”の精神状態は、一種の強迫観念にとらわれているということができる。中国共産党や政府が恐れているものは一体何なのか。

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