日本の企業や社会が再び競争力を取り戻すためのヒントを探るインタビューシリーズ「ニッポンの活路」。今回は陸上競技のハンマー投げ選手として2004年アテネ五輪において、陸上・投てき種目でアジア史上初の金メダルを獲得した室伏広治氏に「スポーツと日本の活力」について聞いた。人生100年と言われる時代、室伏氏は、自分自身にオーナーシップを持つことが大切であり、スポーツを様々な形で楽しむことはその一助になると説く。

<span class="fontBold">室伏広治(むろふし・こうじ)氏</span><br>スポーツ庁長官<br>1974年、静岡県生まれ。陸上競技のハンマー投げ選手として2000年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドン五輪に出場。アテネ五輪では陸上・投てき種目でアジア史上初の金メダル、ロンドン五輪では銅メダルに輝いた。世界選手権では、01年に銀メダル、03年に銅メダル、11年に金メダルを獲得。国内では日本選手権20連覇達成。現役中の07年に中京大学大学院体育学研究科にて博士号を取得。11年同大学スポーツ科学部にて准教授を務める。14年には東京医科歯科大学にて教授を務めると同時に、スポーツサイエンスセンターのセンター長にも就任した。また、14年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会スポーツディレクターに選任され、日本オリンピック委員会理事、日本陸上競技連盟理事、世界反ドーピング機構アスリート委員などを歴任し、20 年10 月より現職(写真:北山宏一)
室伏広治(むろふし・こうじ)氏
スポーツ庁長官
1974年、静岡県生まれ。陸上競技のハンマー投げ選手として2000年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドン五輪に出場。アテネ五輪では陸上・投てき種目でアジア史上初の金メダル、ロンドン五輪では銅メダルに輝いた。世界選手権では、01年に銀メダル、03年に銅メダル、11年に金メダルを獲得。国内では日本選手権20連覇達成。現役中の07年に中京大学大学院体育学研究科にて博士号を取得。11年同大学スポーツ科学部にて准教授を務める。14年には東京医科歯科大学にて教授を務めると同時に、スポーツサイエンスセンターのセンター長にも就任した。また、14年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会スポーツディレクターに選任され、日本オリンピック委員会理事、日本陸上競技連盟理事、世界反ドーピング機構アスリート委員などを歴任し、20 年10 月より現職(写真:北山宏一)

北京冬季オリンピックが早くも近づいていますが、今年、日本はコロナ禍という厳しい状況下で東京オリンピック・パラリンピックを開催しました。本当に実現できるのか、反対が多いのに開催すべきなのか……。ギリギリまで不安が消えない状況が続き、私を含めた国民の多くがやきもきしましたが、なんとか無事開催できました。金メダリストであり、スポーツ庁長官でもある室伏さんにとり、どのような東京オリンピック・パラリンピックだったのでしょうか。

室伏広治氏(以下、室伏氏):多くの人々の支えのおかげで東京オリンピック・パラリンピックを無事に開催することができました。「大会を支えた人々」は世界からも注目をされました。これはコーチやトレーナー、視覚障害者マラソンの伴走者や大会運営をサポートするボランティア、そして人に限らずスポーツ科学やトレーニング方法、選手が使う器具の製作開発など、支える存在がなければなしえなかったと感謝しています。

 今回の東京五輪で分かったことは、こうした「支える」文化です。大会では空手やスケートボード、サーフィンなど新しい競技も紹介されました。パラリンピックも22競技540種目と史上最多の種目数でした。しかし、世の中にはもっと多くのスポーツがあります。年齢や身体の状態に合わせて興味のあるスポーツに様々な形で関わることができる。色々な楽しみ方ができるスポーツ環境を整備するのが、今後の課題となってきます。

 スポーツには様々な楽しみ方があります。私はそれを「する・観る・支える」スポーツ文化として日本で成熟させたいと考えています。スポーツを「する」のは分かりやすいですね。自分がプレーヤーとなって楽しむことです。そして上手に「観る」には文化が必要です。例えば、大相撲は観客が応援の仕方を心得ているでしょう。それぞれのスポーツには文化のバックグラウンドがあり、その知識を背景に頑張れと声援を送る。ジャンルはすこし違いますが、歌舞伎の「合いの手」のようなものかもしれませんね。

 こうしてスポーツを文化に落とし込むことは、その領域をプレーヤーからより多くの人々に開放する意味があるのだと感じています。それこそが東京五輪のレガシーになっていくのではないでしょうか。

「する・観る・支える」のスポーツ文化を広く根付かせるには、どのような取り組みが必要になるのでしょうか。

室伏氏:スポーツ庁では市町村会議などで全国の自治体に「街づくりにスポーツの観点を入れてほしい」と依頼しています。東京五輪後にも「スポーツ・健康まちづくり」に取り組む自治体を応援するため、良い事例を表彰して全国に知ってもらうための制度も設けています。もっとも、本当に大切なのは取り組みが地域の文化として根付くことではないでしょうか。どういうことかといえば、スポーツに関わる環境が生活に溶け込んでおり、ライフスタイルとして成立している。そして、今は技術がその実現を助けてくれます。

 例えば、サーフィン。東京で働く熱心なサーファーは、早朝に海のある近県で波に乗ってから出勤すると聞きました。でも、テレワークが普及した最近では海の近くに引っ越して、サーフィンを楽しみながら仕事をすることも可能です。空手ならばいっそ沖縄にしばらく滞在して、稽古しながらリモートで働くことも物理的には可能です。そうして地域がライフスタイルとしてのスポーツを支え、プレーヤーや観戦者は地域文化を理解していく。そうすれば日本人の暮らし方に変化が生まれるのではないでしょうか。

スポーツで健康寿命の延伸も

(写真:北山宏一)
(写真:北山宏一)

「人生100年時代」といわれますし、スポーツを楽しむことで健康寿命の延伸も期待できそうですね。

室伏氏:そうですね。高齢化社会で大切なのは「自分自身にオーナーシップを持ってライフスタイルを切り開くこと」だと思います。スポーツは身体に限らず心の健康にも寄与できます。私は「からだ」と漢字で書くときに「体」ではなく「身体」と表記します。前者は「肉体」を指し、後者は「心身」を表していると考えているからです。昨今は体だけを鍛える風潮が強いですが、スポーツは本来、心と体を両方をたくましくし、健康を向上させることができるのです。

 人間には元来、素晴らしい能力が備わっているのです。自然の中で生活するある部族は研ぎ澄まされた身体感覚を持っており、食べられるものを見分ける能力が優れています。例えば、森の中にいる動物の居場所や種類などを、足跡などわずかな情報から知ることができるそうです。こうした野性的な能力は現代では必要とされないかもしれませんが、身体能力は使わないと衰えていきます。現代に生きる私たちも、スポーツの種々の動作から身体の使い方を学ぶことが大切です。

 コロナ禍で家に閉じこもりがちになり、運動の機会が減った人は多いでしょう。そうすれば精神的にもまいってしまう。スポーツがライフスタイルとなっていれば、運動が習慣化しているため、体力が維持されることでしょう。体力は大切です。それは私のようなスポーツ選手に限りませんよ(笑)。日本では大きな災害も増えています。都市部に暮らしていても停電でエレベーターが使えなくなれば自分の足が頼りです。そして体力があれば高齢者や子どもを助けることもできる。当然、年配の方の体力の維持増進も重要になります。

 あらゆる年齢層でスポーツをライフスタイルとして楽しむことができれば、日本の活力は増すでしょうね。

スポーツの浸透にはビジネスとして収益を上げるモデルの構築も必要かと思います。米国では大学スポーツもビジネス化しており、その収益を施設整備や選手獲得に使っていると聞きます。日本ではスポーツ普及は教育の側面が強いと感じますが、お金をうまく回す仕組みづくりはどのように考えていますか。

室伏氏:確かに「する」スポーツにはお金がかかります。遠征費や用具、講習料などアスリートを育成するためにはビジネスの観点が必要なのは事実です。スポーツ庁ではスポーツビジネスの可能性を広く周知するため、スポーツの成長産業化の実現を促すべく、民間企業の力を活用した「スポーツオープンイノベーション」を推進しています。そこではスタジアムやアリーナの改革、地域の指導者を主体としたスポーツエコシステムの構築を積極的に進めています。

コロナ禍が収束すればインバウンドは戻ってくる

 スポーツを国民の心身の健康に寄与させるためには、収益を生む好循環をつくることは大切です。またコロナ禍が収束すれば日本にインバウンドが戻ってくるでしょう。日本には自然の雪が楽しめるスノーリゾートでのスキーや、豊かな海で楽しむスキューバダイビングなどの観光資源がある。日本ならではのスポーツ体験を知ってもらうために、様々なスポーツの国際大会を誘致してインバウンドに貢献することもできると見ています。素晴らしい自然のリソースがあるのに生かさない手はありませんから。

一方で国立競技場は維持管理費が年間24億円かかるなど、今後のスタジアム・アリーナ活用には課題も残っています。

室伏氏:これまでの競技施設は“する”スポーツなどを目的にしており、公的な競技場は都市部から離れた不便な場所に建てられていました。しかし、文化としてスポーツを地域に根付かせるには人が集まりやすく、つながりを生む場になる必要があります。そうしなければスポーツでの感動共有が幅広い層に広がらないからです。スポーツオープンイノベーションでも述べましたが、これからは民間事業者が入る柔軟なスタジアム・アリーナ計画が中心になるでしょう。

 先日、国立競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場が立ち並ぶ明治神宮外苑を散歩したのですが、聖徳記念絵画館などの文化施設もあり、歩いていて本当に気持ちのいい空間が広がっています。神宮外苑地区は建て替え計画がありますが、周辺一帯の環境にも配慮した素晴らしいスポーツクラスターとなるように、民間の知恵を借りながら再開発に取り組むことが重要だと思います。

 一方で、国立競技場は国を代表するスタジアムなので、国民の健康増進と収益モデルのバランスが欠かせません。これから国立競技場でプレーする人々が名勝負を繰り広げることで、スタジアムの歴史的価値は重みを増していきます。それが、スポーツを基にした文化となっていく。東京五輪は残念ながらコロナ禍で無観客開催となりましたが、今はスタジアムのフィールド展望なども開始しています。素晴らしいスタジアムなのでぜひ一度、見学してみてください。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「ニッポンの活路」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。