2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を担当する歴史学者、小和田哲男さんの「新しい家康」が見える3冊。1回目は『徳川家康の決断 桶狭間から関ヶ原、大坂の陣まで10の選択』(本多隆成著/中公新書)。私たちは家康というと、「天下を取って江戸幕府を開いた」という結果を知っているので、なるべくして天下人になった人物と思いがちですが、実は苦難の連続で、まさに「どうする家康」だったのです。

人物イメージはドラマに影響される

 私はこれまで戦国時代史の研究を行い、NHKの大河ドラマ『秀吉』『功名が辻』『おんな城主 直虎』などで時代考証を手掛けてきました。今作の『どうする家康』でも考証を行っています。

 今回は「新しい家康像」というテーマで、今読むべき3冊をご紹介したいと思います。

 みなさん、「徳川家康」というと「狸親父」「策士」などと、どこか老獪(ろうかい)な印象を持っているのではないでしょうか。歴史上の人物に対する一般の認識は、テレビドラマや映画に大きく影響されます。これまでの家康のイメージは、山岡荘八原作・滝田栄主演・1983年放映のNHK大河ドラマ『徳川家康』が大きいかと思います。

 ところが近年、これまでの家康の人柄や合戦に対して「実はそうではなかった」という研究が現れてきています。

 まず1冊目に紹介するのは、『 徳川家康の決断 桶狭間から関ヶ原、大坂の陣まで10の選択 』(本多隆成著/中公新書)です。著者の本多さんは静岡大学の名誉教授で、家康について研究をされていますが、本書では数々の新事実が紹介されています。

『徳川家康の決断 桶狭間から関ヶ原、大坂の陣まで10の選択』(本多隆成著/中公新書)
『徳川家康の決断 桶狭間から関ヶ原、大坂の陣まで10の選択』(本多隆成著/中公新書)
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 例えば、家康の生涯には「3大危機」があります。そのうちの1つは武田信玄と戦った「三方原の戦い」です。このとき家康は大敗を喫し、信玄は家康のいた浜松城に攻め込み、討ち取ることも可能でした。しかし、なぜか信玄は三河に向かったため、家康は命拾いをします。

 これまで三方原の戦いについては、国学院大学教授の高柳光寿さんが書いた『武田信玄の戦略 三方原の戦』(春秋社)が通説でした。武田軍の進路についても、山梨の躑躅ヶ崎(つつじがさき)から諏訪・高遠を通って天竜川を南下し、遠江に攻め込んだ、とされていましたが、最近の研究では、富士川を南下してから駿河に入り、大井川を越えて遠江に攻め込んだということが明らかになってきました。

 ちなみに三方原の戦いで大敗した家康が、恐怖に震えている自らの姿を絵師に描かせ、自らへの戒めとしたとする「顰像(しかみぞう)」がありますが、これも『徳川家康の決断』では「三方原の戦いとは関連がないことが分かった」と書かれています。

ドラマ化で研究が進むことも

 一般に戦国史に関する研究は、5年、10年で大きく変わるものではありません。ただ、大河ドラマなどで世間の注目を浴びると、戦国大名間でやり取りされていた書簡が新たに発見されたり、これまでの史料も異なる角度から解釈されたりして、一気に研究が進む場合があります。

 例えば、2020年のNHK大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』もそうですが、ドラマ以前は明智光秀に関する書籍が1年に何冊も出版されるとは考えられませんでした。

 今回の『どうする家康』では、最新の研究で分かった新たな家康像が脚本に反映されています。これまでの通説とは違う、新たな発見をみなさんに知ってもらえるのは、私にとっても喜びであり、非常にやりがいを感じています。

「大河ドラマに取り上げられると、歴史研究が進みます」と話す小和田哲男さん
「大河ドラマに取り上げられると、歴史研究が進みます」と話す小和田哲男さん
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家康と瀬名は恋愛結婚?

 あまり話すと大河ドラマを見る楽しみが薄れるので控えますが、少しだけ述べます。これまで家康と正室である瀬名(築山殿、つきやまどの)は政略結婚というのが通説でした。しかし、今回脚本を担当した古沢良太さんは、「恋愛結婚」として描くようです。

 最初にその案を聞いたとき、私は「当時、恋愛結婚はありません」とアドバイスしようとしたのですが、いや、待てよ、と。豊臣秀吉とおね(ねね)も恋愛結婚だったなと。秀吉とおねが恋愛関係になったとき、おねの母親はたいそう怒り、「親子の縁を切る」とまで言いました。

 また、22年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する源頼朝と北条政子も恋愛結婚でした。だから、家康が恋愛結婚をしてもおかしくないと思い直し、この案を受け入れました。

 また、私たちはどうしても「家康が天下を取って江戸幕府を開いた」という結果を知っているので、「家康はなるべくして天下人になった人物」と思いがちですが、実は先ほどの三方原の戦いのように苦難の連続だったのです。

 三河の一向一揆のときには敵の銃弾が2発、鎧(よろい)に当たっていますし、本能寺の変の後の伊賀越えでも、一歩間違えば命を落としていたかもしれません。その時々での決断によって命を永らえてきました。まさに家康の人生はドラマのタイトル通り、『どうする家康』でした。

“松潤家康”はおかしくない

 ところで、家康演じる主演の松本潤さんはカッコよすぎるのでは…という声も耳にします。しかし、若い頃の家康は美男子だったのではないかと私は思っています。むしろ、阿部寛さんの武田信玄役のほうが、イメージに合わないかもしれません。信玄はあんなに背が高くありませんね。

 実は「家康は狸親父」説は、意外に新しいのです。江戸時代の家康は「神君家康公」。東照大権現として日光東照宮などにまつられ、神格化された存在でした。では、なぜ狸親父と呼ばれたかというと、明治維新で幕府を倒した薩長の歴史観が関係しています。新政府は「自分たちは悪しき幕府を倒したんだ」と世に広めるため、家康をおとしめる必要があったのでしょう。

 今までの通説にとらわれず、『徳川家康の決断』と『どうする家康』の両方で、新たな家康像を楽しんでもらえたらと思います。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 撮影/木村輝